おはようございます🕊️



(2日続けての投稿になります。

よければ 昨日の投稿も

見てくださると 嬉しいです。)



今日、3月12日は、私たち家族にとって

何より 特別で

何より 忘れてはならない

大切な日です。。





一年前の今日、

母が 亡くなりました、、




一年前の今日 家族の誰が

この悲しみを 想像出来たでしょうか、、




一年前の 今日の夜11時頃

風呂場で 亡くなり

それを 次の日の朝方2時

父がトイレに起きたとき

母が隣で寝ていないことに気づき

どれほどの恐怖と 不安の中

風呂場を見に行ったか…



風呂場は 簡易の鍵がかかっていたため

父は 震える手で スプーンの先を使い

開けたそうです、、



どんな気持ちで

風呂場の湯船で 倒れていた母を

抱き起こしたのでしょう、、




私たちを呼んだとき、

父の服は濡れていました、、



私と姉が急いで駆け下りてきたとき

父の 母を抱き起こす手は

震えていました、、


そして何度も何度も 声を枯らしながら

母の名前を呼んでいました…




どんなに服が濡れても

助けたかった想いを感じます、、





そのことを 考えるだけで

胸が苦しいです、、




死因は、特定されたわけではありませんが

母は 亡くなる数週間前

帯状疱疹が 背中に出来ていました



ただ 亡くなる4、5日前に

帯状疱疹が良くなってきたからと

処方されていた塗り薬も 飲み薬も

止めてしまっていました、、



姉は 福祉施設でケアマネをしているため

年配の方がなりやすい病気と

対処法は 熟知していて

母の遺品整理をしていた際

帯状疱疹の薬が

何日分も飲まずにあったのを見つけて

帯状疱疹の薬を規定の日数を

しっかり飲まなかったせいで

亡くなったのではないかと言っていました、、




それくらい 帯状疱疹は

侮ったらいけない病気なんだと。




見た目で傷が消えても

内部では 細胞を殺している場合がある、

だから 素人である患者の判断で

薬を止めるのは とても危険なんだ

そう 姉は言っていました、、




本当に 今思っても

悔しい…溢れては止まない思いが

込み上げます、、




ですが 今日までの一年間

家族3人で

喧嘩をしながらも

支え合い 生きてきました。






今日は 母の一周忌をします。





県内に暮らす親戚が 集まる中

私は コロナワクチンを打っていないため

2階の自分の部屋で 終わるまで

ひとりで過ごします。




いろんなことを思い出します、、



母との思い出…



母は学校の用務員をしていました。




マイペースだった母は

たまに 傷つくようなことを

言いはしましたが、、

私が 幼い頃から

朝から夕方まで仕事をして働き

家に帰ってからも

夕ご飯を作り 夜遅くまで みんなのために

家庭を守ってきました。




飲み会や 打ち上げがあるときも、

必ず みんなの夕飯を用意してから

飲み会や 打ち上げに行っていました、、




私がいじめのせいで

心を病んで 小学6年生のときに

チック症と 強迫性障害を発症した際

辛く困難な日々の中で どんな時も

側に寄り添い 温かい手で

私の涙を 拭ってくれました、、





私が17歳の頃、

母が くも膜下で倒れた時も

病気の恵子を置いては死ねない、と

強く思ったことで

生かされたのかもしれないと言っていました、、





そして、母の母である 私のおばあちゃんも

65歳の時に くも膜下で

亡くなっていたため

そのとき 花畑の向こうに

おばあちゃんがいたようだった、

そして お前はまだ来ちゃ行けないと

言われたような気がするの、と

不思議な体験を

話してくれたことがありました。





だから きっと、、

母は ものすごく 無念だったろう…

本当に 言葉にならないような

熱いものが込み上げてきて

苦しいです、、





父も、最近 私が母の話をすると

とたんに黙り込みます、、





きっと、何かを考えているんだろうな、、





私には想像できないくらいの想い…





だって50年近く

連れ添って生きてきたんだもの、、





苦しいだろうな…お父さん、、





そう思いながら 今日という日が来ました、、





今日は、込み上げてくるものがありすぎて、

新しく詩を書こうとしても

中々まとまりません、、



なので、、すみません、、

母への想いを書いた

昨年末に 詩の賞に応募し佳作を頂いた作品を

母への感謝を込めて

ここに捧げたいと思います。



母の遺影です。

この笑顔が 私は大好きでした、、





私が29歳くらいの頃 

最初で最後の 母と撮ったプリクラは

私の永遠の宝物です、、

🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️

「悲しみからの旅立ち」

涙を堪え 見上げた空が
哀悼の思いに 泣いている

白く昇る煙の先に
人の命が 還る場所がある

明日という日が
どんな人にも 必ずやってくるか
それは 誰にも分からない

突然奪われた 命を思い
残された痛みが
心の奥に深い傷を残す

その悲しみを 
独り 掘り起こす夜は
溢れて止まない思いの束が
繰り返し 貴女の名を呼ぶ

叶えられず 散った約束
思い出の中で 後から後から
尾を引いて込み上げる記憶

優しい母の面影
膝を抱えて泣いた 幼き頃の私を
そっと抱き締め 頬を包み
涙を拭ってくれた 温かい掌に
もう 触れる事すら 出来ぬのだ

夜更けに 突然奪われた命
脈を止めた心臓 それは無情な程に
私達は 貴女という 大切な人を
失った悲しみに 打たれた

無念な思いは 悲痛な叫びに共に
貴女の心 そのものとなって
膨れ上がり 空を見上げる度
震えて 息さえ出来ない

悲しみは 何故
突然 波の様に押し寄せては
手の届かない 遥か遠くへ
攫ってゆくのか

未来を語っていた
その数時間前の背中にすら
眼差しを向ける事も 叶わない

堰を切って 溢れる思いは
いくつ 日を越えても
途切れぬまま

空を仰ぎ 祈りと共に
心に満ちるのは 消える事の無い
貴女への感謝の気持ち

それでも 時折
酷く 訳の分からない感情が襲う
それが どこか虚しく 刹那的で

貴女が 大切にしていたもの
一つひとつを 見返す度
優しい面影が 胸をよぎり
溢れては 悲しみを 拭いきれない

どれだけ月日が経とうとも
脳裏に焼きつく 笑顔が
愛おしく 私を抱き締め
泣き崩れる肩を そっと支えた

時は 戻らない
それでも この世には
貴女が 生きた 確かな証がある
無償の愛の様に 家族皆を
優しく 包み込んでくれた
あの かけがえのない日々が
満ちているから

溢れ出す涙 そのとき
私は 確かに 見たんだ

春の息吹が 朝日の中で
美しく 儚く 微笑んでいるのをーー。

🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️



そして、今日は 上の詩を

YouTubeにて 朗読しました。



溢れてくる思いを

なだめながら、、

母へ 届くように読みました。。



何度も納得がいかず

何度 録り直したかわかりません、、



何度も 言葉に詰まりながら

練習し なんとか録ることが出来ました、



もし この記事を読んでくれた方の中に

お母様を亡くされた方がいたら…

重なる思いを 思いながら、

大切に 大切に 心を込めて読みました🕊️



自作詩•朗読ポエム 朗読時間4分14秒
「悲しみからの旅立ち」
一年前に突然死した母へ。あなたを思う
優しい気持ちを胸に、私達家族、
力を合わせてがんばって生きていくから…。
見守っていてください。。



この想いすべて

母へ…届くといいな…。


 ♬*.+゜♬*.+゜♬*.+゜♬*.+゜♬*.+゜♬*.+゜

今日の一曲は、

母への想いを代弁してくれているような曲を。


島津亜矢さんで、

「感謝状〜母へのメッセージ〜」

島津亜矢さんの 母を想う心…
たくさんの感謝と愛を 私もこの曲に託します。

大好きだよ、お母さん…。




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空を見上げて 祈る心を
優しく 抱き締めながら
ここまで 大切に 読んでいただいたこと
心から感謝します🕊️
本当に 本当にありがとう(*˘︶˘*).。.:*🍀