おはようございます🕊️



今日は 東日本大震災が起こった日です。

今年で 12年の月日が経ちました、、



私が暮らしている岩手県一関市も

地図で言うと 県南の地域のため

12年前のあの日

かなりの揺れを経験しました、、



電線は 波打ち

電柱は 大きくしなるように揺れ

家の前に置いてあった車は ジャンピングして

何十cmも 移動して

タンスの上で くつろいでいた猫たちも

異常に驚いて すぐにこたつに潜りました、、





あの日 私が

忘れられなかった光景があります、、





私の住む街が 海岸部の気仙沼から

一番近い 葬儀場が 数箇所かあり

震災から 何日か経ったあと

街に買い出しに行った際

その葬儀場の前に

何十人もの名前が並んで立てかけてあり

亡くなった人の多さに 愕然としました…




停電が続く中 テレビが映らない状況で

何日も 沿岸部の状況がわかりませんでしたが

その人数の多さで

被害の大きさが 垣間見えて

酷く締め付けられたことが

今でも 脳裏に焼きついています、、





母がその時言っていました。

「停電していたからだけれど、

津波の様子が観れなくて

逆に幸せだったのかもしれない…。

あれをリアルタイムで観た人たちの中には、

きっと 今起こっていることが信じられなくて

津波が来ているのを 知っているのに、

助けてあげられないことに 絶望して

トラウマになってしまった人も

いたんじゃないか…」と。





今 あの日の出来事を

被災地では 皆さんが

風化させないようにと

さまざまな取り組みをしています。





大震災であっても 凶悪な事件であっても

年が経つごとに

人の記憶から 薄れ始める現実…。




うちの父も

震災当時のことは

もう 忘れてしまい 思い出せないそうです、、





あんなにも たくさんの方が

津波に流され 家を失い

家族を失い ペットを失い

何もかも失って、、

生きることが 虚しさで満ちていた

あの 込み上げる思いを

けっして 意味のないものにしてほしくない、、





あの時 それぞれが 力を合わせて

炊き出しを行い

困っていたら 助け合い 支え合えた

そこに満ちていた 温かい 人の輪が

今は コロナ禍からの影響か、、

咳をしている人を すぐ

コロナじゃないかと疑ったり

人を騙したり 脅したりして 金品を奪ったり

マスクをし忘れた人を 執拗になじり咎める

マスク警察まで現れ

殺伐とした 社会になってしまいました、、





なぜ、こんなにも

変わってしまったのでしょう、、





あのとき 見た 絶望の先に

私たちの未来は どう見えていたのか





きっと 心から

懸命に 生きていたはずです、、






地震国である日本は

どの県に住んでいても 少なからず

地震に 遭遇してしまうと思います、、





日頃から 防災に役立つ

保存食の備蓄や

地域の 防災マップや

居住している地域の

災害リスクを 家族や親戚

そして 可能ならば 御近所の方々と

意識して 話し合い

対策をしていくことが大切です。





今は 南海トラフ地震も

懸念されていて

甚大な被害が出てからでは遅いです。





自分たち それぞれ 個人でも

きっと 出来ることがあるはずです、、






皆さんの各自での 対策が

地域全体を 守る力にもなります。




顔も知らないけれど

たくさんの方が 悲しみに

打ち震えていた今日を 心に刻むこと。





体験していない私たちが出来ることは

体験した人たちの悲しみを

けっして 他人事ではないと

身近に起きかねない怖さとして

置き換え 噛み締めること。




今日は、そんな思いを込めて詩を書きました。


🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️


「寄り添うということ」

あの日 溢れ出た涙は
未だ 心の奥底で 凍えたまま

記憶は どうして こんなにも
悲しみで心を締め付け 離さないのだろう

守りたい人 大切な人
かけがえのない尊い命が
救えなかったと泣いたあなたが
今日まで ずっと
自分を 責め続けてきたこと

そんな ひとりの孤独な闘いを
今までずっと 被災地のあちこちで
いろんな人が 抱えてきた

私たちが 風化させてしまうということは
その人たちの心から どれくらい遠くて
距離があることなのか

分からないからこそ
私たちが あなたたちのことを
忘れたらいけないんだよね

震災を体験していない君は言った
「知らないから 体験してないから
忘れやすいんだ」

そんなことが 当たり前のように
人の頭の中で 言い訳として
繰り返されるたび
自分から 分かろうともしない
心の 薄っぺらさを知る

あの震災が 原因で
心を病んでしまった人たち

目の前で 人が流されているのに
助けられなかった
その後悔から 海を見るたび忘れられず
海では 暮らせなくなった
心に 深い傷を負った人たち

その人たちは きっと
被災者や 亡くなった人たちの思いや
痛みを 自分の気持ち そのものとして
心で 感じていたからこそ

体験していないから わからないとか
自分が鈍感だからとか
そんな理由をつけて 目をそむけないで

病んで欲しいわけじゃない
ただ 忘れて欲しくないんだよ

辛い経験を 風化させたせいで
未来の子供たちが
同じように 大切な人を
失なったりしないためにも

崩れ落ちる思いで
打ち震える悲しみを
もう 誰にも感じて欲しくないから

大切な人のために
あなたが 痛みに気づくことを願います

心で 想像してみて

簡単には 想像出来ないはず
でも それで良いの

容易く 想像出来ないほどの悲しみが
この世界には あるんだということを
想像することが 何より大切なの

私たちが その思いを
感じて噛み締めることこそ 大切なことなの

そこで感じた 人の痛みに
心から寄り添うことで得た学びが
やがて 教訓と呼べる
何よりの きっかけとなるから

そして 歩んでゆく
誰かの隣で 微笑む大切な人たちと共に

大切な思いを 果てしなく続く
すべての時代の空に 力強く掲げて。

 🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️




震災後、たくさんの方が支援にと

被災地に赴き 買い物をしてくださり

本当に 救われたそうです。




だけど 年々、来てくださる方は減り

潰れてしまった店もたくさんあります、、




一時の支援ではなく

震災から、何年日が経とうと

忘れずに 何度も通ってくれる

みんな そう信じていました、、

だけど、、淡い期待は 打ち砕かれてゆく…



一度だけの善意では

明日には 消えてしまう幸せがあります、、



忘れないで欲しいという思いは

きっと ずっと 被災者の心の奥で

深く 辛く 溢れ出すのです、、



何年経ってからでもい

震災当時 訪れてくださった方々に伝えたい。




被災地の皆が

ここまで 取り戻すまでに歩いた

日々の軌跡を

再び訪れ 見つめて欲しい。




それがきっと

心からの 復興となるのです。




ここで、物語風の詩を、私の詩集から。。

「希望が心に咲きますように」


私たちの街で咲いたたんぽぽが

綿毛を飛ばし 風に吹かれ

被災地へと飛んでいき

そこで また たんぽぽの花を咲かせました。


被災地で咲いた花は

人々の苦しみと困難の中

復興への歩みを そこで見つめてきました。



いつか 復興が 日々の暮らしだけでなく

被災者の心にも訪れたとき

たんぽぽたちは 御礼にと

私たちの街に戻ってきては 心に留まり

みんなの涙が 笑顔に変わっていった

その歩みを 私たちが

ずっと覚えておけるようにと

毎年 繰り返し 春が来ると

ありがとうを言いたかった

被災地の方々の心を届けに 御礼をしに

私たちの街の 野山を 彩り続けるでしょう。


いつまでも いつまでも残る…

抱えきれないほどのありがとうと共に。

(私の詩集からイメージを抜粋して、
再編集しました。)



あなたが見つけた、そのたんぽぽは
どこから来た種から
咲いたものなのでしょう。

どうぞ、目を閉じて 心に想い描いてください。
そして 優しくその想いを抱き締めて。

そして 私から
この物語を、
被災地の皆さんへと贈ります。


 ♬*.+゜♬*.+゜♬*.+゜♬*.+゜♬*.+゜♬*.+゜

今日の一曲は、震災をテーマに歌った曲を。


毎年、震災の日のブログで
貼り付けている曲です。


岩手県二戸市出身の4兄弟バンド
SaToMansionさんで「明日を」です。

被災した 岩手県出身の彼らだからこそ
制作出来た一曲だと思います。

悲しみを拭う強さが、
この曲にはある気がします。

ずっと歌い続けて欲しい曲です。


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