おはようございます🕊️✨




いつも 見に来てくださり感謝しています🙏✨




だんだん春めいて

暖かくなってきましたね✨



三寒四温だから まだ寒い日は

ちらほらありますが

春と秋が好きな季節なので

だいぶ春が近づいてきて

嬉しいです😆✨




ひな祭りが明日だというのに

昨年母が亡くなって

一緒に ひな祭りのガラスケースを

出す作業してくれていたのが母で

けっこう重いので

いつも母と2人がかりでした、、

今年は、と思い

家族に聞いてみたところ

体の弱い父は 力が無くて出来ず、、

姉はおひなさま自体嫌いらしいので

一緒に出す人がいないので

今年からは 飾れないんです、、




おひなさまが入っている大きな箱に

そっと ごめんなさいを言いました😭💦




春は ひな祭りや連休や

楽しいイベントがたくさんありますが

皆さんは予定ありますか?




私は特にないので

家で創作活動をしているんじゃないかな🤔




5月末日が締め切りの詩の賞に

また今年も応募しようと思っています😊




今日は、昨年 詩の賞で

佳作を獲った2つのうちの一つを

載せますね🙏



なぜ今日 その詩を

紹介しようと思ったかというと

昨日 17歳の高校生が

教員を切りつけ

その地域で猫が何匹も

惨殺されていた事件についても

犯行をほのめかしているんだそうです、、




猫に罪はないです、、



まだ事件が どうなったのかは

詳細がわかっていないので

私の 想像でしかありませんが

でも その少年の心には

どれくらいの闇があったのでしょうか…

訴えたかった何かが

あったのでしょう、、

それとも 自分は生きている価値もないから

もうどうなってもいいと

思ってしまったのでしょうか、、




溢れ出す 蓄積された思いが

これでもかと 溢れ出して

犯行に行き着いてしまったのではないかと

私は そう思ったんです、、




犯人を庇護しているように聞こえたら

ごめんなさい、、




ただ 私が体験した過去の自分の姿と

ダブって見えたため

伝えさせてください、、




昨年 応募した詩のひとつに

非行へと走る 現代の子供たちへの思いを

書いた詩だったため

読んだ皆さんがそれぞれ

何かを感じ 大切な思いを

その詩の中から 見つけてくれたらいいな

という願いを込めて

今日の詩として紹介したいと思います。




人の精神は 

我慢にも限界があります。




限界まで行き着くと

理屈が通らなくなるほど

正常に 物事を考えられなくなります、、




私もそうでした、、




私は中学と高校のころ

いじめのストレスと

音声チックと行動チックの酷さが

辛く心にのしかかっていました、、




最初は 我慢出来たんです、

でも 次第に それじゃ心が辛くて

自分を傷つける方向にいってしまった、、




だけど、自分を傷つけることを

いろんな人に 否定されました、、




それを繰り返しては

大人の顔色を 伺って

日々 自分の中の叫びたい思いを

吐き出せずに 何度も

我慢し続けていたら

自分の中のコップの水が溢れ出すように

これ以上精神が 保てないと

体と脳と心が 思ったのか

入院が必要なほどチック症状や
(実際入院しました、、)

ドアや引き出しを

開けたり閉めたりの確認がひどくなり

髪の毛を抜いたり

自分の腕を 爪でかきむしり 

血だらけになるほど

自分を傷つけてしまいました、、
(今は亡くなった母が悲しむので、
自傷行為は絶対にしません、どうかご安心を)


あの頃は 辛くのしかかった心が

張り裂けそうでした、、




私も 自分を傷つけていたのが

エスカレートし 高校生の頃

服も ぬいぐるみも 座布団も

ハサミでめちゃくちゃにしてしまいました、、
(今はしていませんが、いじめがまだ心を
支配していたころは、辛かったんです)




もう自分はどうなってもいい、、

と、そこまで追い詰められた人間は

絶望感に飲まれて

自分の存在理由すら 見えなくなります、、



彼らも どこかで 助けての

サインを出していたはずなんです。



助けてのサインを否定される→我慢の限界を超えて自傷行為へ→動物や人への虐待行動へ、、




そんな風に 心が壊れ始めたら

もう 心は 正常じゃなくなります、、



子供が発したサインが

自傷行為です。

けっして死にたいからしているんじゃない。



なのに それを大人たちが

否定するだけで

話もろくに聞いてももらえなかったら

子供たちの心は

学校にも 家にも居場所がないと

非行や 動物への虐待などの事件に

発展してしまうのではないでしょうか、、



事件を起こす前に

周りに相談すれば良かったのにって

言っていた方もいました




ですが 周りに相談しても

必ずわかってもらえる保証はなく

逆に 否定されたら

どんな気持ちになるでしょうか、、



私もいじめられていたとき

なんで私がいじめられるのかをクラスで

会議になったことがありました、、




クラスの子は言いました、

恵子が 自分から

友達の輪に入ろうとしないから

孤立していったんだと、、




ですが 私も最初は

輪の中に入ろうと いろんな子に

声かけをしたんです、、



でも そのたびに何度も

「ここは○○ちゃんがくるからだめ、

あなたは入れない」

そう何度もいろんな人に否定されていたら

入ろうという気力を失ってしまったんです、、



同じように

否定され続けた経験を持つ子供は

誰も信用出来なくなり

何もかも 信じれなくなります、、

すべてがもうどうでもよくなってしまう…




そして もっと我慢しなきゃ

耐えなきゃいけないんだと

計り知れない悲しみが

何度も 心に溢れてゆくんです、、




子供が 自分を傷つけ始めている時点で

もう いっぱいいっぱいであるということに

誰かが気づいてくれたなら。




自分を傷つけている姿を

頭ごなしに 否定するのではなく

悩みを否定せずに

何かあったの?と寄り添い

味方になって 聞いてあげること。



それは 親じゃなくても

子供と関わるすべての大人に伝えたい。




アドバイスが欲しい場合もあるけれど

ただ頷いて 否定せずに

話を 聞いてくれる存在が

いてくれるのと、いないのとでは

いる方が 遥かに

その子たちの表情が和らぎます。




非行に走ってしまう子供たち…

その子の問題だと言って

終わらせてしまうのではなく

その手前で 大人である私たちが異変に気づき

ためこんだ思いを 放置せずに

子供たちと同等の目線に立って

そして 心の味方になり

少しでも 支えてあげられたなら。




子供を責める前に 

大人である 私たちに

責められる箇所がないか考える。




よかれと思ってした 私たちの行動が

子供たちの心を

苦しめている場合がある、、




子供の心に

どれくらい大人の行動が

影響しているか わからないからこそ

想像してみてほしい。




子供の眼差しは 痛いくらい

問題の本質を 的確に捉えていたりする、、

子供だから なんて言葉で

区切ったりしないで。

大人が思う以上に

しっかりとした意見を持っているから。



ただ 表現するスキルがないだけ。

皆 たくさんの思いを 胸の奥に抱えてる、、



ここまで書いてあれですが

いろんな考え方が あるはずなので

今回のテーマに込めた思いを

どうか こんな感じ方もあるのだと

一意見として 読んでください。


伝えたいことがありすぎて

前書きが 長くなりました、、

それでは 応募した詩です。




🕊️🍀🕊️🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️



2022年度、現代詩賞応募作品。

「絶望の向こう側で」


三浦恵子

この青き地球に 
深い悲しみが 堕ちてゆく
美しく 咲いたはずの 花は枯れ
渇いた大地は 幾度も
水が欲しいと 泣き続けた

静かに 壊れ始めてゆく何か
心癒す 美しい景色さえ
誰かのエゴが 容赦なく握り潰した

世界が 刻一刻と 形を変え
悲しみを 絞り出すような現実に
何度 耳を塞いだことか

込み上げる思いが
溢れる絶望となっては
心に覆い被さり 人々を苦しめた

日常の中で 繰り返される
他者の人生を 狂わせる程
弱者を 罵倒し
嘲笑う 冷ややかな声

時代は 人との繋がりを
どこか鬱陶しいと
人間性すら 疑う様な社会へと
変容を遂げてきた

人を陥れる手は 罪で汚れ
命を 抱き締める 温もりすら
知らぬまま 小さく震えていた
少年少女達の 孤独な胸の内に
冷たい雨が しきりに打ちつける

本気で 誰かを信じられず
明日を 絶望し
声を殺して 泣いていた

孤独に塗れ 飢えた心は
愛する術すら 知らぬまま
吹き荒ぶ 闇の中で 踠き続けた

それでも それでもと
逆境に 立ち向かい
肩を 激しく震わせながら
居場所を探すことに
必死だった 彼等

心を閉ざした 胸の内を
発言することさえ 叶わずに
非行を 心の拠り所にしてゆく

ボロボロになり 溢れる苦しみは
今にも 破裂しそうに 喘いで

ふと 顔を上げた先に
頭を垂れた 名も知らぬ草花
幾度も 踏見つけられながら
咲き続ける その姿を
どんな思いで 見つめていたのか

社会が どれだけ
有りのままを 否定し
秤にかけ 尊厳すら奪おうとも
子供達が 生まれながら持つ
豊かな感性と 純粋な心は
決して 誰にも 汚されなきもの
だからこそ 強く
真っ直ぐで 深い その眼差しから
何度でも 学びを力に這い上がれ

一寸先が どんなに闇濃くとも
傷は いつの日か
同じ涙を 拭うために生かされ
糧へと 巡りゆくだろう

やがて 水平線を越え
暁の空が 世界を満たし始める頃
そこに広がる青さは 
どんな時代を 象徴する為に
どう 描かれてゆくべきなのかを
大人である私達に 諭すように佇む

大人に近づく その度に
魂を 奮い立たせ
歩んでゆく その横顔には
多くの気づきと 価値が宿る

だから今は 孤独な思いを
大切に 心の引き出しに
閉まっておいて

悲しみは ゆっくりと 空に溶け
他者の涙に共鳴してゆく

愛を欲していた いつかの思いを
そっと 誰かに 差し出せる日まで。

🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀🕊️🍀




幼い頃負った 心の傷は

大人になったからって 癒えるものじゃない、、


だからこそ

ふとしたときに 溢れてくる、、




私の経験でもあるのですが

どんなにがんばっていても

成績が平均で

もっと 頑張らなきゃだめだと

祖父母に言われたり、、



姉と兄が頭が良かったため

いつも秤にかけられていました、、



担任の先生が家庭訪問に来るたびに

私の話よりも

頭の良い 兄と

クラス1  頭の良かった

伯父さんの話ばかりする祖母、、




がんばってねという言葉が

嬉しいときもある…だけど

本当にしんどいときは

耳を塞ぎたかった、、




まるで 頑張ってなかったと

判断されていた幼い頃の記憶が

湧き返ってきたみたいで、、




本当は 一番言われたかった言葉は

「○○ちゃんが頑張っているから、私も頑張るね!」

と、私の頑張りを認めてくれた上で

共に頑張るよ!と励ますように

応援してくれる、

友達にそれを言われたとき

ものすごく 嬉しかったんです🕊️✨



そんな 気持ちに寄り添うような

無償の愛のような言葉が

事件を起こした子供たちに

かけられていたのか、、




キレる子供が増え

情報社会に繋がれた世界の中で



私の心は 何かを失いながらも

傷ついた心を抱き留め

涙を拭うように

誰かの孤独な心に語りかけたい。



通り過ぎてゆく空に 祈りを込めて。。



🌸🍀🌸🍀🌸🍀🌸🍀🌸🍀🌸🍀🌸🍀🌸

今日の私の朗読の YouTube紹介は

昨日更新した 物語風の詩です😊


自作詩•朗読ポエム 朗読の長さ2分24秒
「天使の涙」
今回は、物語風の詩です。悩んだときも、
生きるのが苦しかった日も、変わらずに
僕を見守っていた天使たちへ。




誰もが 皆 強いわけじゃない。
弱さに震える夜は
たぶん 誰もが感じているはずです、、

だけど 目に見えない存在が
いつも 私たちを信じて
私たちと共に泣いて
一緒に 出口を探している。

目に見えないものを信じない人はたくさんいる。
だけど 溢れてくる この感情が
きっと答え。
感情だって目には見えないのに
誰かを愛したり 込み上げてくる思いは
こんなにもはっきりと感じられる。

星の王子さまを書いた
サン=テグジュペリは言いました、
「心で見なくちゃものごとはよく見えない。
かんじんなことは目には見えないんだよ」と。

天使の涙が あなたの心にそっと染み込む朝。
きっとそばで あなたを見つめ 
あなたが立ち上がるその瞬間を信じ
いつも近くで 見守っています。

そんな思いを重ねて
朗読を聴いてくださると嬉しいです😊

 ♬*.+゜♬*.+゜♬*.+゜♬*.+゜♬*.+゜♬*.+゜♬


今日の一曲は
ReoNaさんの「human」です。

大切な誰かを失うとき
こぼれ落ちる涙と共に
溢れていくもの。

生まれてきた意味を探しながら
今日という日を 模索している人へ。

この曲には そんな
無数のいのちの音が溢れていました。

(humanとは、読み方はヒューマン、日本語で「人間らしいさま」という意味です。)




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心を込めて ありがとう(*˘︶˘*).。.:*♡