はぁ.......

コロちゃんのおかげで
いろんな種類のサイトや投稿をSNSで目にするけれど......

しんどいなぁ......


今 目にするものは政府への非難が多い

総理大臣というポストが
どうしても叩かれるためのポストなんだなと
小学校一年生の夏休みに初めて観た国会答弁で理解し
「小学生の学級会以下やん」 と思っていたっけ

そういった国会のシステムは
何十年を経過しようともいっこうに変化がなく
それゆえそれってシャーないことょなぁ.....と私は思うんだけど

その政界への一般の人たちからのバッシング投稿
...........
要はイコール 自分たちへのバッシングだと
当然ご理解の上で書いてますょね、みなさん???
それを理解した上で、あえて投稿してくれてるんだょね、
うんうんきっとそう......

マスメディアのそれは
血祭りにあげるが如く批判すれば まず、視聴率が上がる、販売部数が上がる、まさに人の不幸は蜜の味で ある種生産活動でもあるわけだから仕方ないとして

一般の方々のそれは 気をつけなければならないでしょう.....

まぁ国が悪者になってくれるおかげで 
国民の意識が同じ方向に向けられ 団結が図られるという利点もあるから 善い側面も多々あるけれど......


私がまだ20代前半の頃
スピリチュアル の流行があって みんなで瞑想したりするサークル活動が多くあった

その頃知り合った魂の姉から誘われて参加したその集まりでは
お話が始まって瞑想タイムになると 必ず眠気に襲われて すっかり熟睡していたので
はっきり言って どんな話をしていたのか全く覚えていないんだけど
たったひとつ その集まりで私の中に深く残った話があった

それは 

「自分をはっきり持つという点で、批判と肯定という行動が発生する。
その過程で、宗教だの教育だの、おおよその批判はしてもいいものだが、政治の批判は決してしてはならない。なぜなら、批判というものには、自分がそれができるか否かが問われるからである。」

てな内容だった

一人前の社会人として生活できるようになっていた若干23、4の私は まだまだ血気盛んで
人並みに、我こそが全てを理解していると言わんばかりに自我を主張するようになっていた

当然 様々なものへの批判的見解も多くあり
宗教にも教育にも そして政治についても自分なりの意見を持ち始めていた

そんな青さ際立つ頃にそんな言葉を聞いても
あの当時は全く意味が理解できなくて
多少の反発心とともに 
「理解できなければならないのではないか.....」
という気持ち悪さを抱え
その意味を考えながら帰路についたことを覚えている
その違和感はなかなか気持ち悪かったので
その瞑想サークルにはそれ以来二度と行かなかったほどだ

その後もことあるごとにその言葉は私の脳裏をかすめ
要は 批判するからには自分が政治家になれょ.....的なことであると理解していたにとどまっていた

それから10数後......

元の旦那の鬱のおかげで出会った 健康食品のネットワークビジネスで
実に多くの先輩方に出会い いろんな生き様を見させてもらった

そこは いわゆる潜在意識を使いこなして成功を掴み取るという考えを教えてくれたが
やはりどうしてもネットワークを築く上で
「リーダー」というポストをこなすうちに
潜在意識の活用を真髄としているにもかかわらず
人をコントロールしようという言葉にその人の
「我欲」が出てしまう瞬間を見ることもたくさんあった

そのせいで 「このリーダーにはついていけないな」と感じ そこから離れていく者も多かった

そんな者たち同士の会話は 当然そのリーダーの批判ばかりになるのだが、それを聞いていてハタと気づいた

「あれ.....?批判しても、私たちは彼らが受け取っている会社からのボーナス(報酬)を上回ることはできないょな。これっていわゆる負け犬の遠吠え???

少なからず私たちより多額のボーナス(報酬)を受け取るために、私たちとは違った努力や私たちがしていない努力をしているわけで、
同じことはしたくないって批判するのは簡単だけど 彼らと同じことをしてからでないと どんな形であれそれを批判してはいけないんぢゃないのか?
だって、明らか 私たちよりも良い結果を出しているもの......

偉そうに批判するなら、彼らと同じことをしてからでないとダメなんだ
それが嫌なら、明らか別の方法で 彼らの受け取るボーナス(報酬)を抜き去ってからだ......
でなければ、彼らのポストに上がるための苦労や そこに行きついて見える景色を知らない私たちが何をいう権利もないんだ.....」

まぁ これは あくまで結果を目に見える数値で表した場合のことだが

そうしてやっと繋がった
23、4で納得いかないまま帰ってきたあの夜のあの違和感と......

これは政治のみならず 全てのことに当てはまる

人の批判をする前に
まずは自分がそれと同じことをしたことがあるのか?を考えよう

元来 その人と同じことをして初めて物事に意見ができるというもので
それをしていないのであれば 基本的に批判はすべきではない

同じことをして 同じ経験をして 同じ想いを味わって初めてモノは言えるのだ

でなければ それらを受け入れ認めて初めて別の見解を提示できるってもんだろう

コロナで露呈した国の浅はかさも
責めるべきではない

その中から自分たちができること、すべきことを見定めて生活するほうが建設的だ

思いは口に出さないと伝わらない
が、その時の言葉の綴方には 全ての立場から見た景色を理解した上での細心の注意が必要だろう


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