昨日、真剣になれたのは、息子のお陰
だと書いた。
そう、次男はADHD である。

みずがめ座みずがめ座みずがめ座みずがめ座みずがめ座みずがめ座みずがめ座みずがめ座みずがめ座みずがめ座

 彼の病気を知ったのは、彼が小学校3年の終わりだった。

思い起こしてみれば、その症状は、幼稚園の頃にはすでに出ていたものと思われる。
小学校2年でいきなり新学期早々登校拒否…
小学校3年で自己の欲求のままに、教室を抜け出す日々。
そして、万引きを覚えた…

 ある日、私の財布から、2万の大金を盗み、学校で自慢しているのを、担任が知らせてくれた。
「お母さんがくれたと言っています。」

んなわけないじゃん、
今日は家賃の振り込みの日…

 学校へつくと、担任、教頭、役所の相談員(それまでにも、長男のことやいろんなことで相談を受けてくれていた)達が勢揃い…
もちろん次男の顔をみるなり殴りにいった私…

でも、みんなに止められて、
みんなに守られていつも通り逃げの一手に出ている次男にぶちギレ、
会社へ戻って仕事した。

夕方、役所の相談員から電話がかかった。
「息子さん、お母さんが怖いから帰りたくないって言ってるので、ひとまず子供センターでお預かりしますね。」

「!???????   はっ!???  なに??? 何言って???
なんのこと? 私が怖いからって、
勝手に子供連れていくって、
どういうつもりよ!!!!! 」


言い様のない腹立ちとショックで、頭の中は
真っ白になった。

「私がなにをしたって言うの…?
あの子は私の息子だよ、これからあの子の事、やっと、もっとちゃんと、
私がみてあげれるって…  
やっと母もいなくなって、
やっと親子水入らずになれたのに…」

………………

 そのころ、同居していた母と息子たちの折り合いが悪く、どんどんみんなが疲れていくことを防ぐため、母と別居生活を始めたばかりだった。

いろんな要因が重なったのだ。
娘の私を想い、手をさしのべてくれた母。
お互い、ここから新しくスタートしよう!
と、始めた生活で、お互いを理解できず、
家族はバラバラだった…
頼みの綱の母も、娘に甘えられる!
と思っていたところに、母親の事よりも、3人の孫の事を優先する娘を、理解できなかった。
私が今や、娘である前に 母であるということに気付いていなかったのだ。
そして、息子たちにも個性があって、尊重してやりたくて、私が母の助けをこうたことを、わかってはいなかった。
きっと、もっと、私が思っていることを言葉で話していれば、防げた事態だったかもしれない。
が… 私は母を追い出した。

………………

 息子とは、約1ヶ月、離れて暮らした。
丁度夏休みの間で、暑い中面会に通い、夏休みが終わる前に戻ってこれた。

 その子供センターで、発達障害の恐れがありますが、お気づきでしたか?と言われた。

 この出来事の前年、長男が発達障害なのではないか… と、一抹の不安を覚え、
神戸の大学病院へ通っていた。
結果、長男は今は発達障害ではないですよ… というものだった。

…… 「そうか、こっちの方が、症状がきつかったのか………」

 気付いてやるのが遅かったかもしれない…
確かな診断は、年をまたいで3月となり、慌てて特別支援学級へ入れてもらった。