たとえ「ある視点からみた」と限ったとしても、
「幸福」の本質を多くの人に伝えようとしたら、
話すにしても書くにしても、
たくさんの言葉を費やせば費やすほど、
言葉で規定するそばから、そこから零れる幸福があります。
私は、そうした大切な概念の本質を伝えるには、
あいまいながらも確かに伝わる部分もあると思っています。
この小説の主人公は医療現場で、ある人たちの幸せとは何か、とたえず考える医師です。
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スピノザの診察室 / 夏川草介 (水鈴社)
水鈴社
お気にいりレベル★★★★☆
雄町哲郎(マチ先生)は、京都の大学病院医局から町田病院に転じた38歳の内科医。
医師仲間からは屈指の内視鏡手術の名手と評されています。
アパートで美山龍之介という中学生を家族とする二人暮らし。
何やら訳ありです。
町田病院は高齢者の入院患者が多く、
内視鏡の名手としての出番はあまりありません。
それどころか、京都の町を自転車で往診している姿を知ると、
マチ先生の評判に似つかわしくない職場のように思えます。
BMWの大型バイクで通勤する50代の鍋島院長、
赤いイタリア車で通勤する40歳の、元精神科医の内科医秋鹿、
シルバーの高級英国車で通勤する若い女性外科医中将、
ひとクセありそうな土田勇外来看護師長など、
原田病院にはマチ先生に限らず訳ありをにおわせるスタッフが顔をそろえます。
そんな病院に、
マチ先生の元上司の大学准教授が、配下の若手医師南
研修と称して送り込んできました。
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この一冊に収められた四話には、
非常事態に迫られ、マチ先生が内視鏡手術の名手として手術するシーンはほとんど見当たりません。
何人か人が亡くなるシーンもあるにも関わらず、
医療モノでおなじみの緊迫シーンの連続とは縁遠い小説です。
むしろ、ゆったりした安心感が漂い、
読後もその余韻に浸ることができます。
その秘密は、原田病院看護師五橋美鈴の南茉莉へのこんな説明にも兆しています。
とありながらも、
この小説は、自身が医者でもある作者による読む治療です。
このあとに続く言葉を想像するのは、
表紙をめくらずにこの小説の本質に近づく試みです。
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タイトルにある「スピノザ」は17世紀のオランダの哲学者。
「人の幸せとは何か?」という問いを、
「人」を、誰を対象として考えるか、によって、
ある常識が覆えってみえてきます。
手垢がついたと思えるような問いも、
視線の角度をすこし変えてみると、ことなる世界が見えてくる
というのは哲学のアプローチともいえます。
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この小説を読むときに、でひとつだけ注意事項があります。
マチ先生の好みで数々の京都の名菓が登場します。
私は聞いたことがないものばかりだったので、
菓子が登場するたびに興味に駆られてネットで検索し、読書は中断しました。
小説の文章をふまえて検索でヒットした写真とみて、
無性に甘味が欲しくなって仕方ありませんでした。
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