[本] なぜ作家がこんなに短い自伝を? / 文盲 | そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

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大きな挑戦なんてとてもとても。
夢や志がなくても
そっと挑む暮らしの中の小さな背伸び。
表紙の手ざわりていどの本の紹介も。

相互読者登録のご期待にはそいかねますのでご了承ください。

 この作家は、波乱に富んだ自分の人生をたった100ページほどにおさめました。
 彼女の体験が反映されている代表作の内容から想像すると、1935年生まれの彼女の暮らしは、ドイツによる占領に怯えた子ども時代以降、生き残るために大陸を漂流するようなものだったはずです。

 またそれを、訳者あとがきにあるエピソードから推せば、かなりの期間をかけて、推敲を重ね言葉を選びぬいて書いた結果にちがいありません。

 そんな作家の自伝が、たった100ページです。作家の自伝のタイトルが『文盲』だなんて。


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文盲~アゴタ・クリストフ自伝 / アゴタ・クリストフ著、堀茂樹訳 (白水Uブックス)

2006年初版、2014年新書化
お気にいりレベル★★★★★

 筆者の代表作『悪童日記』にはじまり『ふたりの証拠』、『第三の嘘』と続く三部作は、フランス語で出版された後、世界弟30ヶ国以上の言葉に訳され、ロングセラーとして読まれています。

 1935年にハンガリーに生まれ、ドイツやロシアからの圧力を避けて、生後4ヶ月のおさな児を抱えオーストリアへ、そしてさらにスイスのフランス語圏へと逃れます。ハンガリー語が母語でありながら、ドイツ語やロシア語を押しつけられ、フランス語を話さなければ暮らしがなりたたない土地へと逃れたことになります。

 この自伝の語りは、三部作のような、各場面を苛酷で具体的に描きつくすわけでも、感情を つぶさ に表す文章でもありません。要所となる場面を淡々と両手にのるほどの言葉数で救いあげて読者の前に示すような、タイトルを彷彿とさせるたどたどしい文章です。

 一つひとつの場面から、あるいは前の場面からの時間の経緯を踏まえて想像力の翼を広げて、筆者の日々や積る辛苦と感情を思い浮かべながら読み進みました。


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 4歳から本を読むことができた少女だった女性が母親になってから、自国を離れ、母語を捨てて会話・読み書きができない言葉に囲まれる日常を、漢字2文字になる言葉で表しています。
 その日本語2文字は、筆者の自国を離れてからの時間の長さと心の空虚さを、読者に投げかけてきます。

 もし筆者が自国に留まったとしても、実際に味わっている難民生活より貧しかったでしょう。政治的な圧力で身の危険が迫ったかもしれません。実際、彼女の父親は自国で政治犯として服役しました。

 筆者はフランス語を話すようになって30年経った自伝執筆時も、まだフランス語に不自由し「敵語」と呼んでいます。にもかかわらず、東西冷戦終結後も筆者は自国に戻っていません。フランス語で書き続けています。


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 難民としてスイスに逃れて、当地であてがわれたのが時計工場の単純作業でした。

詩を書くには、工場はとても都合がよい。


 筆者にとって、避難先の土地を自分にとってどのような場所ととらえたのでしょう?
 書くこととは何なのか?
 母語とともに喪ったものはあるのか?
 言葉とは何なのか?
 フランス語とは何なのか?

 これらの答えをフランス人のようには表現できない言語で書くより、読み手の想像力に委ねた方が背景にあるコンテクストを伝えるには適切と考えたのではないでしょうか。

 自伝の最後に、これらの問いの直接の答えにはならないものの、想像の確かな出発点となる文章が示されています。

 

 

 

 

 

 

 


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