この本に収められている各篇の初出は1991~1995年、1996年に出版時の書下ろしです。文庫化されたのは2009年です。
1990年代初期はバブル経済の崩壊、2009年はリーマンショック初期の時期です。この本とこの時期との関連性に必然性があるか定かではありませんが、どちらも借入の増大を背景とする資本主義の仕組みに生じたほころびが露わになった時期です。
なぜそんな時期に、主に貨幣経済の前に部族社会で、社会を動かしていた「贈与」に関する本が出されたのでしょう。
「贈与の原理を、経済や表現行為の土台に据え直すことによって、近代の思考法とは別の世界を開いていく試み」と著者はこの本を総括しています。無理な拡大を繰り返す資本主義と別の価値観と仕組み、ポスト資本主義の一端を見出そうとする試みです。
***◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆
純粋な自然の贈与 / 中沢新一 (講談社学術文庫)
1996年刊、2009年文庫化
お気にいりレベル★★★★☆
贈与とは、ある人が別の人に見返りをも求めずに何かを贈ること。社会の仕組みとなる「贈与」は、受け取った人が贈り物に応えて見劣りしないお返しをしたり、新たに他の人に贈る仕組み。
そこには、各地で限られた規模とはいえ、ある種の霊性をともなう贈与の輪ができ、より多くの「ひと」や「もの」をやりとりするようになると、そこには絆が形づくられてきました。
この本で語られる「贈与」は人間同士のやりとりにとどまりません。「無」から「有」を生む贈与について語られます。さらに「売買」は絆を断ち切る分離を基本とした仕組みと整理して、贈与と売買の違いを際立たせていきます。
贈与の霊性の源泉をマルクスの『剰余価値学説史』に求め、この本のタイトルもフランスの重農主義経済学者フランソワ・ケネーらの富の生産・価値の増殖を「純粋な自然の贈与 (don pur de la nature)」と呼んでいることに因んでいます。
***◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆
この本の存在意義をぐんと高めているのは、こうした贈与の存在を、スポーツや映画・音楽・文学といった芸術や宗教の世界といった、現在も私たちが感知にできる領域にも見出している点です。そんな視点があるのか、と何度も驚かされました。
とはいえ、現実の社会では時を経るにつれ、自然に突き動かされて生まれる活動の源となるエネルギーは、通貨で換算される定量化された経済に追いやられてきました。資本主義は、科学技術の進化を経済的に・動機的に支えながら、呼び名を変えてバージョンアップしてきた結果、人々の価値は定量化された経済的価値に比重をおいています。
それでも著者は、こんな期待をもって時代に臨んでいます。
大地・貨幣・情報に次ぐ「第四の自然」に位置付けるものを挙げています。
資本主義とそっくり入れ替わらないまでも、社会に価値の選択肢を広げる試みです。
***◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆**◆
**目次**
序曲
すばらしい日本捕鯨
日本思想の原郷
バスケットボール神学
ゴダールとマルクス
バルトークにかえれ
新贈与論序説
ディケンズの亡霊
後奏曲
あとがき
学術文庫へのあとがき
[end]
*****************************
作家別本の紹介の目次なら
日本人著者はこちら
海外の著者はこちら
i-ちひろの本棚(読書メーター)はここをクリック
*****************************