[本] 愛を確かめるまでに10年を要した訳 / オラクル・ナイト | そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

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大きな挑戦なんてとてもとても。
夢や志がなくても
そっと挑む暮らしの中の小さな背伸び。
表紙の手ざわりていどの本の紹介も。

相互読者登録のご期待にはそいかねますのでご了承ください。

2010年にこの本が和訳されて以来、2016年に文庫化を経て、多くの紹介記事や書評が書かれています。
その多くが、この小説の構造の複雑さとその意味するところを読み解く試みに記述の多くが集まっています。

確かにこの小説の構造に注意しながら読むことで面白さは増しますが、この小説の中心にあるのは、主人公、大病をから蘇ったものの心身ともに本調子ではない34歳の男性作家シドニーの再生です。そして再生の証に彼が持つことができた愛情です。

とんでもない悲劇を経たのちの再生とたどりついた愛情です。生半可な再生と愛情ではありません。
シドニーの再生までの道のりと持ちえた愛情を確かめいと思いながら10年経ってしまいました。10年ぶりに再読しました。


   ◆      ◆      ◆
 

2010年刊、2015年文庫化
お気にいりレベル★★★★★

 

主人公シドニー・オアは34歳の作家 生まれてからずっとNYで暮らし、いまはブルックリンに妻のグレースと暮らしています。
命が危ぶまれたほどの大病から何とか復帰し、後遺症での麻痺で足を引きずっています。
もともと悲観的人間と自任している上に病気のこともあり、退院後も精神の回路が乱闘状態と感じており、文章を書くまでは回復していません。

シドニーは中国人が営むブルックリンの小さな文具店でポルトガル製の青いノートを見つけます。
在庫最後の1冊のノートに意味があるように感じ、買い求めて帰り、そこに文章を書き始めます。

シドニーの父親の親友で、シドニーの友人でもある作家のジョン・トラウズは、シドニーが再び書き始めたことを知り、ダシール・ハメットの推理小説「マルタの鷹」で失踪するフリットクラフトの失踪の続きの物語を書くことをシドニーに進めました。

トラウズの勧めにしたがって、青いノートに小説を書き始めます。書き始め当初は順調に進みそうに見えた執筆も、そう簡単には筆は進まなくなります。


   ◆      ◆      ◆

シドニーが作家復帰を試みる世界、美女で精神的なバランスもとれた妻グレースとの出会いとここまでの暮らし。
シドニーの書く小説が、この物語と並行して作中で進みます。
作中作に登場する不思議な歴史資料を集めた歴史保存局。
作中小説の中でまた書かれている小説もあるので、複雑さは増すばかりです。

現実の世界とどこか重なり、現実に存在していそうな登場人物と不思議な世界です。
復調が本格的でないシドニーは、現実の世界に自分の書いている登場人物が現れるような錯覚を起こすほどです。

本作と本作中の小説の二つの世界で混乱しそうになったら、本作の現実世界の方を心して集中して読むことをお勧めします。
構造の複雑さに翻弄されるより、多少この小説の面白さを味わい損ねても、この小説の本質に沿うことができる方が次善の策といえます。

高齢で体の自由が利かないトラウズの勧めと、彼とともにシドニー夫婦がとる土曜日の夕食。
グレースとの夫婦生活での葛藤と決断。シドニーの中でくすぶるグレースに対する不信。
エピソードが積み重なるたびに、シドニーは自分の不甲斐なさを思い知らされます。
終盤の展開はそれまでのこの小説の空気を一転させます。シドニー&グレース夫婦に突然の出来事が訪れます。


   ◆      ◆      ◆

どうやらシドニーの再生の道は険しいようです。

 

危機的瞬間がどうやら過ぎたいま、最高に暗い、この上なく不穏な可能性を思い描くだけの強さが自分にはいまあると私は思った。

 

シドニーが可能性を問い、たどりつく事実は、どのようなものなのでしょう。
そして、どうして不穏な兆しを感じさせる可能性が再生と愛情の物語といえるようになるのでしょう。

読み手にも、この小説の中で起きることを受け止める強さが求められるのかもしれません。
それが、私が再読までに10年を要した理由だと思います。

10年を経て、私はこの小説を、少々頼りなげに見える男の力強くて柔らかな愛情の物語として受け止めることができました。



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