そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

大きな挑戦なんてとてもとても。
夢や志がなくても
そっと挑む暮らしの中の小さな背伸び。
表紙の手ざわりていどの本の紹介も。

相互読者登録のご期待にはそいかねますのでご了承ください。


今年の春から椅子を探していました。おもに読書用です。
背中の下半分から尻、太ももの裏側を、姿勢よい形でそっと支えてくれる椅子が望みです。
条件を物理的に表すとこうなります。

座面は堅めで、奥行は尻を背もたれにあてて座ると膝少し上で座面が終わるくらい。
高さは足の裏全体がちょうと床にとどく高さ。
背もたれは低めで背中をそっと支える木製の曲面が好み。
ひじ掛けは欲しいけど、ひじを支えられれば十分(手首まではいらない)
椅子を持って部屋を移動するので重さは軽め。
色は全体の印象がアイボリー。

座った時に長い時間でも姿勢よくしっくりくる椅子を、
文字で伝えようとするとかえって感覚的には伝わらないですね。


外出先でついでに立ち寄った店で
「おや?! もしかしたら」と目にとまった椅子に試しに座ると、
なんとしっくりくるではありませんか。早速持ち帰りました。
現品限りの一脚でお値段も予算内におさまりました。


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椅子と並行して探していた机も決めました。こちらはECで現品を見ずに購入。
天板は幅60cm×奥行60cmと決めていました。高さは椅子が決まったので70cmに決まり。
読書と仕事で使うので、本かパソコンにくわえ、マグやグラスを置いても窮屈にならない程度です。
重さもなるべく軽いもの。
あとは天板の色合いを椅子の背もたれやひじ掛けと合わせるだけでした。
こちらも予算内。


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さっそく新しい椅子と机を自室に置いて小説を読み始めました。

それをみて妻のサマンサが声をあげて笑いだしました。
「なんか、カフェみたい」
「あたりまえ、これ業務用だから」
「だからかぁ、このテーブルの脚、へんだもん」
コーヒーショップのテーブルのように脚が床に接する部分が円形なのです。いくらか家庭用っぽさに欠けます。
「あとは、オーダーしたら旨いコーヒーが出てくれば完璧」
「それはない」


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まだ使いはじめてそれほど経っていませんが、
1、2時間、読書していても、パソコンを使っていても楽です。

私が不在の間に座ったのでしょう(互いの部屋に出入り自由)
「座り心地いいね」とサマンサにも好評です。


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さて、あとは照明です。
部屋が暗くなると、 だいだい 色の灯のデスクスタンドの下で本を読んでいます。

現在、部屋全体を灯しているのは白色の光の蛍光灯。
これを橙色の光の間接照明に替え、スタンドとともに使おうと考えています。
部屋は小さいので

天井1か所から、小さな額のある壁2か所と読書用テーブル、部屋の入口の床に光をあてようと思っています。
ポイントは使い勝手のいいリモコンがみつかるかどうか。

ここまでできれば、読書環境整備事業は一区切り。あと息です。


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「散歩」と「思索」という言葉の組み合わせは
一度にできる相性のいい組み合わせです。
さらに「思索」の先には「行動」が続くとしたら、

「未来」を迎えるための「練習」に、
いつ、どこで、どんな「散歩」をするのだろうか、
と問いと期待がふくらみました。


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来てほしい未来を思い描き、手を触れるためには、どんな時間を反復すべきなのか、私はまずそれをどこかに書きとめておこうと思った。   「遠いところの友だちへ」

 

この小説の主人公で一方の物語の語り手「私」は、序章のような最初の章でこの小説へのアプローチをこう語っています。

 

 

未来散歩練習 / パク・ソルメ著 斎藤真理子訳(エクス・リブリス白水社)
2023刊
お気にいりレベル★★★★☆

1982年に実際に韓国で起きた釜山アメリカ文化院放火事件を体験した二人の女性を鍵に二つの物語が並走します。

一人は、事件に直接関わりをもつユンミ姉さん。事件から数年後、刑を終えてソウルの妹の家に身を寄せますが、姪のスミに誰も詳しい事情を説明しません。
もう一人、当時現場近くで経理の仕事をしていた女性チェ・ミョンファンは、事件を眺めていたところで屈辱的な思いをしました。60代の今は不動産賃貸業。「私」と銭湯で知り合い、意気投合し、私は彼女から部屋を借りますます。

ユンミ姉さんは、事件当時、どんな未来を描き、ここまで行動を重ねてきたのでしょう。出所後には、その未来をどう描き直したのでしょう。
チェ・ミョンファンは、屈辱的な思いからどう未来を描いて、今にいたったのでしょう。
そして、書くことで身を立てようとする「私」は、ソウルの実家と別に釜山にも部屋を借りてまでして、どんな未来に向けてどんな練習を積もうというのでしょう。


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釜山アメリカ文化院放火事件とその背景となる光州事件(1980年)について、簡単に歴史的に説明されても、この小説で書かれているのはそうした歴史とは別の個人の話です。

女性たちが過去に描いた未来と、それに向けた反復練習について、語り手が彼女たちから話を聴いたり、時代を経てその現場に立って過去の未来に想像を巡らします。
同時に、ユンミ姉さんとチェ・ミョンファンが体験した現場を前に、
未体験の歴史を自らの過去であるかのように据え、
彼女たちと同様に未来に向きあおうとする反復練習の試みです。

おなじ釜山でソウルと二重生活しながら少しずつ書く、小説の作者の若き日とも重なって見える「私」が、覚束ない未来を描く後ろ姿が見えます。


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自分が未体験の過去のできごとを他人の視点を想像して向き合う。
その時にその人が描いたかもしれない未来を、散歩しながら想像する。
その未来を実現するためにその人はどんな反復練習したか、想像したり散歩途中で話を聴く。
その人は描いた未来にたったか考える。
自分も未来を描き、反復練習を積む。ときおり散歩の途中で立ち止まって軌跡とその先をみながら。

そして、ユンミ姉さんとチェ・ミョンファンはこれからの未来にどう向かうのか、

もう一度序章を読んで、私も本を閉じてしばし想像してみました。

異なる時間、異なる個人、それぞれがある時点で描く未来。
それらを書く作者独特の筆致は、覚束ないながらも柔らかく「私」を包んでいます。

こんな特異な筆致の上をこれからも眼を這わせたいですね。



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先月下旬の金曜日、50年来の友人3人と都内で飲みました。
前回この顔ぶれがそろったのは今年の6月、大人数の集まりで。
この4人だけで飲むのは何年ぶりでしょう。

このうち一人は、60代後半になったいまでもフルタイムで働いています。気力、体力、能力、どの面からもたいしたものです。


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学生時代は4人に顔ぶれを固定せずに遊んでいました。
卒業とともに、地元に帰ったり、留年したり、付きあいが途絶えたり、と様々な事情から徐々にとメンバーは欠けていき、
気がつけば、いつのまにかこの4人になっていました。

国内外の転勤があっても、4人とも公私のホーム・ポジションが首都圏だったので、集まりやすかったのでしょう。

同時に、同学年というのも長く続いた大きな要因です。
卒業後もずっと先輩風を吹かせるような人もおらず、
逆に我々を先輩として敬語を使い続ける後輩もいません。
感心したり、落としたり、仕事上の駆け引きもなく、タメぐちで気楽に対話できる関係は寛げる貴重な時間です。


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知り合った時期もポイントです。

幼なじみは、
成長するにしたがい芽生える価値観は十代に成長をみせ、
仕事や家族構成などによりその価値観の相違は時間の経過とともに拡大します。
子どもの時分とかなり変化した人間になっても、
幼なじみは互いに良く知っているので、周りは自分の考えを理解していてあたりまえという前提が邪魔して真面目な議論ができないことも。
また、気安さから幼なじみ間でプライベートな情報が漏れたり。

これが、高校を出てから知り合い、社会に出てからも並走している仲間となると、
ある程度人柄や価値観ができた段階で集うようになり、
意見の相違はあたりまえ
で、むしろそれを議論する作法も互いに心得て楽しめ、
プライベート面も信用できる面々を自然と選んでいます。


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とはいえ、集まってでた話題は四方山話。
菜園で獲れたさつまいもの大きさ、
親がなくなった後の実家の整理、
住み替えた住居の処分、
肝臓の数値と酒量(医者と相談した飲酒という言い訳付き)、
転職先での責任や労働時間、
夜中に起きるトイレの回数、
高齢者政策の在り方(言うことは高齢者に厳しい)、
話題に出たが誰も興味がなかった、後輩代議士の当落予想(さっき結果を調べたら裏金議員で落選でした)・・・・ etc.
といった具合に、たいしたことを話していません。

そんな集まりでも、帰りしな、4人のうちの一人がぽつりと言いました。

「やっぱり4人がいちばんいいや」

時間も自由になったので、もう少し頻繁に合うことになりました。

おそらく、言葉にしないまでも四人の胸中にあるのは、
「元気なうちに」のひと言でしょう。



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小学生だった長女サクラと次女モモと、妻のサマンサと私の4人が並んだ写真が私の部屋に飾られています。モモは着物姿、他の3人が外出着とあらたまった服装で神妙な面持ちなのは、モモの七五三だからです。

それと同じ場所で、大人になった長女サクラと次女モモと私たち夫婦の4人が並んだ写真が、リビングに飾られています。
二人の娘が育った家を取り壊す前日に、それじゃあ記念に、と七五三のときと同じ場所で撮りました。こちらの4人は笑顔です。


2枚の写真の間にある30年を経て、4人にとってまずまずの地点に立っている表れといえそうです。

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子どもが巣立ち、生家に一人住まいの母親ロザリーン(76歳)は、二人の息子と二人の娘にクリスマースカードを送ります。
カードの末尾に、今年のクリスマスにはアイルランド西部の実家に必ず帰るよう命じるとともにこんな一文を添えました。

「この家を売ることにしました」

 

 

グリーン・ロード / アン・エンライト著 伊藤 淳 訳(白水社エクス・リブリス)
2023年刊
お気にいりレベル★★★★☆

第一部は、地球の各地にちらばる4人の子どもそれぞれの様子を察することができる時期の情況と、 母ロザリーンの現況(2005年)を描きます。

第二部は、クリスマスに向けて実家に向かう4人の娘・息子と、
クリスマス当日の家族一人ひとりの心の動きがつぶさに描かれます。

実家からそう遠くない地域で夫・子どもと家庭を営む者、
カナダで自分の在り方を問い続けている者、
アフリカに渡り恵まれない人たちを救おうとする者、
子どもの時分から憧れた職業を目指す者、
それぞれが模索しながら生きています。
年をとったせいか、それとも性分からか、少し扱いづらそうな母。

4人の子どもにしても、母ロザリーンにしても、それぞれ屈託があり、母子間の関係にも温度差を感じます。
母親がカードに「必ず」と念押しして帰省を促すほどですから、
クリスマスといえども、黙っていてもすんなり同に会する一族ではなさそうです。


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5人それぞれの歩みを想像するための断片が描かれ、読者はみんなが集まるクリスマスまでの空白期間を想像で埋めていくか、空白のまま迎えます。
互いにわだかまりを持ち、すすんで集まろうとは思わないものの、
母親が生家を売却する放っておくわけにもいかない、
それぞれ色彩の異なるもやもやをかかえた一族5人の、
クリスマス直前の心情が断片的に描かれます。

この少々不親切な、読み手としては読みづらさも感じる状況描写や心理描写は、
一族5人それぞれからしても互いに情況や考えがよくわからない様子そのものです。

そんな状況のなかで、母が突然言い出した生家売却という一大事に、一族でなんとか方向を見いださなければなりません。
憂鬱なクリスマスです。


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一族が集まっても、それぞれは孤立感を感じています。
どうやらとても高額で売却が可能らしい生家の売却も、母の今後も、子
ものではないでしょう。

クリスマスの晩、街頭や家の灯りもない暗闇の緑の小径 グリーン・ロード に、徐々に光が集まりだします。
そのほんの一時 いっとき 家族がひとつになります。

家族がそれぞれ暗闇をさまようなか、自分や知人や地域のひとたちが点す光の力を娘や息子は感じます。
さて、クリスマスの後、その出来事は一家のそれぞれの行方をどう左右するのでしょう。

ママはお金のことを教えてくれなかった。


母親、娘や息子の独白をつないでいくと、過去から続くこの一家の在りようが浮かびあがります。
クリスマスの後の後日譚をたどると、一族5人もそれぞれ、一家の在りようにそれぞれの形で気づいたようです。



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かかりつけの内科で健康診断を受けました。
その結果、経過観察している部分にも進行はみられず、

1項目だけあと一息の努力を、との助言をもらいましたが、

ほぼ問題なしとの判定でした。

画像と血液の診断は、毎年、脳神経外科医と内科医の二人に時期を半年ずらして診てもらっています。

今年の春、世代交替した脳神経外科医に新たなリスクを発見してもらいました。
そこで指摘されたリスクと投薬について、私から内科医に伝えた上で、診断の結果を評価してもらいました。
今回の健康診断結果も、脳神経外科医と共有したところ、

「いまの状態を維持しましょう」とのこと。
ひと安心です。


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健康診断を受けるのは、そして特に結果を聴くのは、いくらかの勇気を必要とします。
もういつ悪い報せを聴かされても不思議はありません。

私は小心者なので、そんな報せを聴かされるのではないかとの怖れから勇気を要しているわけです。

幸い、今回は、悪い知らせを聞かずにすみました。
それでも、1年前、3年前、5年前と比較して、データの上では悪化は見られなくても、体力や知力の衰えを感じます。

 

自転車で坂を登ったときの動悸や息苦しさとか、
タレントの名前を思い出せないことが増えたとか、
夜寝ているときにトイレに立つ回数が増えたとか、

眼鏡のレンズを交換したとか、
もっと衰えを感じる場面がたくさんあったのに、いざと挙げようとすると思い出せないとか・・・・。


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そういえば、今回の健康診断のときも、

一通り検査を終えてすぐ結果を聴いているときに、

「あっ肺がんの検査受けるの忘れてた」と気づきました。
翌週、血液検査の結果を聴きにくるときに、肺の画像を撮って確認することにしました。

2年前、肺の画像に気になる影があって再検査したのに、それすら忘れていて、申込手続きを落としていました。老いです。

と思っていたら、
「しっかりしているようで、大事なところが抜けてるのよね
肺の検査を受け損ねたことを妻のサマンサにいったら、こんな答えがかえってきました。
要は、肺の検査を忘れたのは老いのせいではなく、

もともとからのダメなところが出ただけ

というのがサマンサの視たてです。

たぶん、そちらなのでしょう。

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小心者としては、

いっそのこともっと老いが進んで、

何を心配してたんだけ忘れてしまう

くらいになると、ずっと気が楽になりそうですけどね。


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