そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

大きな挑戦なんてとてもとても。
夢や志がなくても
そっと挑む暮らしの中の小さな背伸び。
表紙の手ざわりていどの本の紹介も。

相互読者登録のご期待にはそいかねますのでご了承ください。


テーマ:

きのう、きょうと横浜は彼岸がすぎて開花宣言しても、
冬のような寒さに桜もさぞおどろいていることでしょう。


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きのう、毎朝サラダに使うキャベツを八百屋で買いました。

店頭には緑の明るさをとりもどしたキャベツが山積みでした。

その奥には野菜を入れてあった段ボールの縦長の値札が差してあります。

春キャベツ
106

              税込

毎日季節を店先に並べる八百屋の男衆が
黒のマジックインキのたくましい字体で書ききったのですから、
寒かろうが、まちがいなくもう春です。


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上海事変勃発後・太平洋戦争開戦直前、1937~1939年の中国・上海が主な舞台となると、胸騒ぎがします。
アヘン戦争を機に中国・上海で列強が仕切る租界にうごめく外国人居住者と昼夜の顔。
阿片で身をやつす人たち。
日本と中国の戦争中国内の主導権争いのきな臭さ。
表裏のそれぞれの社会の、引火点の低い混沌とした状況を思い浮かべます。

私が勝手に思い浮かべたまとまりのない先入観を超える混沌が、ひとつの小説にぴたりと収まっています。
火薬臭く、時に血生臭く、謀略が匂い、執拗に、エロティックに、アーティスティックに・・・・・・。


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(Kindle版は新潮社から出されています)

名誉と恍惚 / 松浦寿輝(上巻・下巻)(岩波文庫)
2017年刊、2024年文庫刊
お気にいりレベル★★★★★


主人公は、1937年の盧溝橋事件できな臭さを増した上海で、工部局警察部に勤務する芹沢一郎、29歳。
組織的につながりのない日本陸軍参謀本部の嘉山と名乗る少佐から呼び出され、
上海の裏社会を仕切る人物との面会の仲介
を依頼されます。
芹沢はそんな人物と面識はありませんが、
嘉山少佐によれば、芹沢の知るひとりの中国人の老店主を通じて依頼できるといいます。

なぜ陸軍が、一警察官に上司を通じることもなく依頼するのか。
なぜ陸軍参謀の少佐が、本人も気づいていない芹沢の人間関係(それも裏社会の大物との)をつかんでいるのか。
いかにも怪しげな動きなら逃れればいいものを、芹沢に有無を言わせない圧力がかかります。

芹沢の負う宿命と屈折、組織と複雑な利害関係、目くるめく愛憎、倒錯した芸術、見えない策謀・・・・・・
これらが複雑に絡み合い、果たして名誉に至るのだろうかと不安になりながらも、意外な名誉と恍惚に結晶します。

70歳近くになって、最も好きな小説のトップが入れ替わるとは思いませんでした。


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第Ⅰ部では、当初の英米に日本が加わって管理されていた共同租界(*1)の警察官で複雑な経歴を負う芹沢一郎に、
警察とは別組織の陸軍参謀本部付少佐嘉山から不思議な依頼が寄せられます。
第Ⅱ部は、警察組織を離れた芹沢一郎が、やむなく別の人間になりすまし、生き方に迷走する半生が描かれます。

*1:場所の固有名詞のこんな表記にもこの時代が表れています。
   外白渡橋(ガーデン・ブリッジ)
   百楽門舞庁(パラマウント・ボールルーム)
   月光餐庁(クレール・ド・リュンヌ)
   国際飯店(パーク・ホテル)


読み進めている途中(特に第Ⅰ部)では、主人公芹沢が追い求める「名誉」はなかなか見えてきません。
一方で「恍惚」は時おりその片りんを見せますが、タイトルに掲げるだけの強さはなかなか感じられません。

全体で序章+25章+エピローグという構成の
「二十三、I'm Getting Sentimental Over You ━━一九三九年十月十五日夜」という章から、
芹沢自身も意識していたかった自分の「名誉」や「恍惚」の姿の自覚に向かいます。

 

さらに、その後の日本の行方を示唆する言葉が日本人自身から発せられます。

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エピローグのラストシーンは、私にはあまりにも意外に思えた一方で、上下巻で900ページを要したのも納得しました。

私のなかで、この小説のもつ性格の印象をぐっと広げたのは「二十四、亡霊たち」という章の、芹沢の命をかけた、彼とある人物とのやりとりでした。
深夜の暗いレストランの一部にぼっと照明が灯る場面で、
この物語の行方に関する私のぼんやりしてきた終盤への期待に、
その場面から想像される光景とはうらはらに、
残りの少ないページ数に広がる可能性を感じさせてくれました。


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もうひとつ、この暗く堅苦しくなりがちな時代や素材を、芸術が怪しげで柔らかな面ももつ小説に仕立てています。

陸軍参謀本部嘉山少佐・警察部同僚の乾の周りにはジャズが流れます。
芹沢が出入りする骨董店老店主馮篤生 フォン・ドスァン は時計や人形といった造形美術にかけています。
老馮が面倒をみているロシア人少年アントニーはシャンソンがお気に入り。
裏社会のボスの第三夫人美雨 メイユ
と老馮が目をかけている青年洪運飛  オン・ユンフィ は映画と深い縁を持ちます。


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彼岸もすぎ、私の住む横浜あたりでは桜の開花が話題となる時季を迎えました。
休日と、満開予想と、天気予報を見比べながら花見の目論む方もたくさんいるでしょう。

飲み食い付きかどうかは別としても、
満開の花を楽しむ企てには大小にかかわらず春を待ったぶんだけ胸が躍ります。

そんな季節に私の脳裏には、
一枚の桜の花びらを愛でようすとる娘さんの姿が浮かびます。
ある本で知った、いまから50年以上前の情景です。


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亡き娘坂本きよ子さんにまつわる、母親トキノさんのその話は、
著者にお願いする読者へのこんなことづてで結ばれます。

「桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか。花の供養に」 「花の文を」『花びら供養』(石牟礼道子)

 

この母親のことづての前に、
水俣病で体の自由が利かない娘さんが
庭の1枚の花びらを拾おうとしてもままならない姿が、
お国言葉で生々しく回想されています。(本ブログ末尾ご参照)


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自らも水俣病を患った母親トキノさんのその言葉には、
娘きよ子さんを思う情愛はもとより、彼女の存在と苦悩の体験を風化させまいとする気持ちがうかがわれます。
公害の原因を作り・対応を放置した企業や国に対する怒りや恨みがあるはずです。
本に著されている限りではそれが著者への願いの場面での言葉にはありませんでした。

それどころか、

娘がつまめずに痛めた桜の花びらに同情を寄せています。

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地面に散った花びらをつまもうとすると、
思いのほかうまくいかないものです。
薄く繊細な花びらは、指先でつまもうとするとすぐ傷ついてしまいます。
障害で指先の反ったきよ子さんは、さぞかし苦労したことでしょう。

きよ子さん自身は庭の桜を前に花びらを手にできず、どんな思いだったのでしょう。
母トキノさんに花びらを1枚手のひらに乗せてもらえたのでしょか。
悔しさや悲しさと、桜の美しさに惹かれる気持ちと、どちらがまさったのでしょう。母娘で異なる思いだったかもしれません。

 


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これがトキノさんが著者に伝えた娘きよ子さんのようすです。

 

「きよ子は手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、わが身を縛っておりましたが、見るのも苦しゅうて。
それがあなた、死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に、私がちょっと留守をしとりましたら、縁側に転げ出て、縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜の花びらば拾おうとしよりましたです。曲がった指で地面ににじりつけて、肘から血ぃだして、
『おかしゃん、はなば』ちゅうて、花びらば指すとですもんね。花もあなた、かわいそうに、地面ににじりつけられて。
何の恨みを言わじゃった嫁入り前の娘が、たった一枚の桜の花びらば拾うのが、望みでした。」
「花の文を」『花びら供養』(石牟礼道子)

 


花びら供養 / 石牟礼道子(平凡社)
2013年刊



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先日、浅草に用足しにいったら、街にはあいかわらず外国人観光客が目立ち、自分がよそ者になったような気分でした。
まあ、浅草を拠点に暮らしているわけではないので、よそ者であることにまちがいはないのですが、よその国に迷い込んだ感じとでもいったらいいでしょうか。

信号待ちを避けようと、隅田川沿いの墨田公園を歩いていると、ほんの数本ですが桜が満開でした。
花の色が濃いめで咲いた花の密度も高めの品種でした。

花の周りには、スカイツリーを背景に写真を撮とうとする観光客も集まっていました。
たがいにいいショットが撮れるよう、場所・アングル・順番を譲り合う姿は、
旅先で時間を惜しむように争う姿からほどとおい落ち着きがあります。
和服姿が内面にまで影響しているかのようです。


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天気予報でも、開花予想が報じられる一方で、
河津桜を筆頭に早咲き品種をウリにした名所案内がここ何年か目につくようになりました。
私の住む神奈川県でも、三浦海岸駅、相模原・河津桜あじさいライン、大山新道、足柄の富士フイルム脇の狩川土手沿いなど数々あります。

そんな名所ではありませんが、わが家の近所の公園も3月上旬から満開で、
平日には幼な児と母親が、花の近くでおべんとうをひろげている光景をみました。


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関東や東海地方では、静岡県河津町の河津桜の早咲きブームをきっかけに、
まだ寒さの残るうちから、暑さ寒さも彼岸までの時期を待たずに、
フライング気味の兆しでも飛びつきたいほど春を待ちわびる心にみなが気づいたのでしょう。

SNSで早く見つけたり味わったりした春を、周りの人に誇りたいような、おすそわけするような気持ちも働いていそうです。
それはそれで今時の春の楽しみでしょう。

ところが、私はいまひとつ早咲き桜に飛びつけずにいます。


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私が好む桜の光景は、
最寄り駅からわが家に向かう何通りかの帰り路のひとつで見ます。

うつむき加減でのぼる細い坂道で、ひらりと舞う花びらに気づいて見あげると、
星のない都会の夜空を背景にした三分咲きの染井吉野が、
うっすらと一方向から街頭に照らされて、
早く開いた花の花びらがひらひらと舞い落ちる光景です。

チャコールグレーの夜空に淡い色合いの開きかけの花たち、
そのなかで早くも散るいくらかの花びら、
夜遅く気温が下がりながらもいくらか和らいだ夜風、

昼間仕事で硬化して周りに対して閉ざしていた気分が、ふと外に向かって開き、ほぐれていきます。


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心身の疲れを癒してくれる夜桜の光景も、ここ3年ほどは見ていません。
通勤のない暮らしに転じたおかげで、疲れ果てることも、深夜に家路につくこともなくなりました。
手に入れた暮らしは思い通りのものであるのに、
春にいくらか寂しい思いをするのはおかどちがいです。

ふと暖かさを感じさせてくれる春を感じる、

新たな光景をまだ見つけられていないのは、

私がまだまっとうな暮らしで迎える春に慣れていないからかもしれません。


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風吹ジュンと夏木マリの主演と聞いたら期待してしまいます。
6月22日からはじまるドラマの原作がこれです。

(NHK/BS、NHK/BSP4Kで毎週日曜22時放送)

 

 

照子と瑠衣 / 井上荒野(祥伝社)
2023年刊
お気にいりレベル★★★☆☆

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「助けて」

これまで頼ってばかりだったの照子に、彼女が頼りにしてきた瑠衣からかかったこの電話が引き金に
ともに70歳の中学校の同級生だった照子と瑠衣の逃避行が始まります。
照子は夫を、瑠衣は老人マンションの陰湿な人間関係を置き去りにして、
主婦照子が歌手瑠衣を乗せ、表紙にあるように夫のBMWで疾走します。

キャラが逆転しているようですが、これで合っています。
瑠衣が電話してから脱出まで2日間。一刻も早く脱出したい瑠衣からすれば照子は時間をかけすぎです。 どうやら照子には何やら企みがありそうです。


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ストーリーが進むにつれ、性格が正反対の二人が親しくなった経緯、照子に対する夫の扱い、瑠衣の半生が徐々に読者に明かされていきます。

逃走先で二人はあやしく不自由な潜伏生活をおくりながらも、
二人の人柄と特技を助けに新たな人間関係を築いていきます。

やがて明らかになる照子の企みは思わぬものでした。
いつのまにか逃避行というより新たな人生への区切りといえる旅に変わっていました。出会うための旅ですから。

この小説は、高齢者のバケットリストものでもなければ、
やりたい放題ものでも、世直しものでもない、独自の世界を見せてくれます。

逃走手段の入手、潜伏先の確保、逃走資金の調達で腕をふるった
ほどよいといったら叱られそうな、良妻による悪事や騙し。
起きたことをあれこれと書きすぎない、大切な場面の切り替え。

 

これらは、ハチャメチャな高齢女性を痛快に描きながらも、
逃走劇であることを忘れさせないスピード感と、

逃走中には欲しくなる温かさを保っているのは、

さすが作家井上荒野です。

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本書のタイトルや表紙から、すでにお気づきの方もあろうかと思いますが、
この小説は映画『テルマ・アンド・ルイーズ』(*1)のオマージュです。
  *1:監督:リドリー・スコット

    主演:スーザン・サランドン、ジーナ・デイヴィス

    1991年公開

ただし、本書では、女性二人の逃避行という点は映画と同じで、いくらか罪作りな面もあっても、人を殺めることはありません。
筋の通らない行いから懲らしめられる場面はありますが・・・・。

また、作中に井上荒野の別の小説の登場人物が、当時のままとおもわれる年齢で個性を発揮して友情出演(?)して、ストーリーの転換に貢献しています。



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