そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

大きな挑戦なんてとてもとても。
夢や志がなくても
そっと挑む暮らしの中の小さな背伸び。
表紙の手ざわりていどの本の紹介も。

相互読者登録のご期待にはそいかねますのでご了承ください。


NEW !

「別れ」も「告げる」もどちらもふだん使いの言葉です。
これが、この小説のように『別れを告げない』と使われると、
そこに別の新たな強い意思が生まれます。

別れている/別れるのががふつうと考えるのに、
その別れていると考えていない、あるいは
別れの挨拶をしないので別れてない、

と考えてほしいのです。

誰との別れ?
なぜ別れとしない?
別れずにどんな状態にある?


冒頭の主人公のみる不穏な夢から最後まで読み終えても、
キョンハとインソン、同い年二人の女性の繊細な対話と思索は
何通りもの答えに誘ってくれました。


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別れを告げない / ハン・カン著 斎藤真理子訳(白水社<エクス・リブリス>)
(原題:작별하지 않는다 by 한강、Han Kang、韓江
2021年原書刊 2024年和訳刊
お気にいりレベル★★★★☆

作家キョンハは、虐殺の歴史を題材に小説を書こうと

2012年にその資料を読んでから悪夢に見舞われます。

夫や娘と離れ、ひどい片頭痛でソウル郊外の部屋に引きこもり、宛名のない遺書まで書く心境でした。


そこに友人インソンから「すぐに来て」とメールを受信します。インソンは写真家として知り合い、ドキュメンタリー映画を撮ろうと約束したまま4年経ち、いまは故郷の済州島にいるはず。
キョンハはとにかく急ぎインソンの指定するソウルの病院へ急行します。

そこで凄惨な治療を受けているインソンから、キョンハは急いで済州島のインソンの家に行って欲しいと頼まれます。


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キョンハはかつてインソンの母親と会ったこともあり、4年前には彼女の葬儀で済州島を再訪しています。

今回、インソンの頼みで訪れた彼女の家で、

インソンの母のその地で起きた歴史的事件を背負った経歴や、

インソンと母との関係をさらに深く知ることになります。

キョンハの見る悪夢

~ インソンと約束した映画撮影

~ 済州島の背負う歴史

~ インソンの親族の犠牲

~ インソンの母親の生きざま

が連なる不穏で苛酷な物語が、キョンハとインソンの二人のやりとりで明らかになっていきます。

この小説の終盤で一気に、

人と歴史、および故人と生きている人が、
どのように関わりあうことができるのか、
記録や記憶を時空を超えて一体化させようとする試みを通じて、
人の生き方というか、愛し方に広い可能性を広げます。


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音を消す雪・白い鳥と闇・焼け焦げなどをつうじて、
モノクロの静寂に繊細に揺れる思いが折り重なります。

そこに時おり現れる、焔、コチュジャン、血など赤は、
母親の生涯を追ったインソンにこんな言葉を口にさせるほど鮮烈な行動を象徴します。

資料が集まって、その輪郭がはっきりしてきたある時点から、自分が変形していくのを感じたよ。人間が人間に何をしようが、もう驚きそうにない状態・・・・・・


もう一方で、タイトルの意味を考える いとぐち のほんのひとつになる、こんな言葉もインソンはつぶやきます。

 

この世でいちばん弱い人が、私の母さんだと思ってたの。
幻。
生きた抜け殻みたいな人だと思ってた。


その母親の認知が進みインソンを判別できなくなってから、
インソンがみかんをひと房わたしたときの母の仕草に、
インソンは心を揺さぶられます。

また、
インソンの母が瀕死の妹の唇に水分を与えようとしたときの妹の反応で湧いた愛情の回想にも、インソンの心は揺れます。

そんなインソンが母親から聴いたエピソードや回想を繊細な文章で積み重ねながら、
強い衝撃を与える歴史的な出来事と並行して
個人の大切な人に対する力強い思いと行動が潜んでいます。


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物語の重要な背景となる「済州島 チェジェド 四・三事件」というにつらなるジェノサイドについて、
本作を読む前に私の理解はまったく不足していましたが、
本作の中の説明や出来事の描写による理解に加え、
「訳者あとがき」で斎藤真理子氏が日本人を意識して加えた解説に大いに助けられました。



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テーマ:

私のクローゼットの枕棚に、男性老人が赤ん坊を抱いた高さ20cm位の胸像がしまわれています。
8年ぶりの孫の誕生をよろこぶ祖父をモデルに、

知り合いの美術教師が作ったものと聞いています。

私がものごころつく前に祖父は病没したので、

私には祖父の記憶はいくつかの断片しかありません。
側溝近くで遊んでいた私が、帰宅した祖父に叱られたたこと。
六畳間で病気の祖父が床で寝間着姿で起きているところ。
波が打ち寄せる崖にある病室で、祖父がベッドのヘッドボードを背に起きているところ。
記憶にあるのは、この3つの場面と最初の叱られた場面での祖父の声です。

私は覚えていませんが、祖父はさかんに文字の書かれた積み木で私に読みを教えていたのだとか。
年長で保育園に入園したときには、ひらがな・カタカナ・いくつかの漢字の読み書きや本の黙読に苦労しなかったのは、祖父のおかげにちがいありません。


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若松英輔は随筆で、宮澤賢治と妹の死別を引きあいに、こんなことを書いています。

独り悲しむとき人は、時空を超えて広く、深く、他者とつながる。 
「悲しみの秘儀」『悲しみの秘儀』

そうはいっても、
はたして祖父はどんな眼差しで私をみていたのか、
私の限られた記憶ではたどることができません。


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先月読んだケン・リュウの『紙の動物園』で、
中国生まれで英語が不十分な母親に冷たくあたったジャックは、
母の死後、母が中国語で書いた自分宛の文章を見つけ、
亡き母とつながり直そうとします。

成長したジャックが母の文章を見つけたきっかけは、
自分が亡きあと清明 チンメイ 節には思い出の品で偲んでほしい
との生前の母の言葉です。


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二十四節気の清明 せいめい は日本でも中国同様4月5日です。
とはいえ、清明に中国のように先祖と過ごす風習は、私の住む横浜にはありません。
それでも、私も祖父が亡くなった年齢を超え、孫もいます。
いまなら、悲しむほどの祖父と接した記憶はなくとも時空を超えて祖父と無言の対話をつうじ かな しむことならできます。

 

 

 


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テーマ:

きのう、きょうと横浜は彼岸がすぎて開花宣言しても、
冬のような寒さに桜もさぞおどろいていることでしょう。


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きのう、毎朝サラダに使うキャベツを八百屋で買いました。

店頭には緑の明るさをとりもどしたキャベツが山積みでした。

その奥には野菜を入れてあった段ボールの縦長の値札が差してあります。

春キャベツ
106

              税込

毎日季節を店先に並べる八百屋の男衆が
黒のマジックインキのたくましい字体で書ききったのですから、
寒かろうが、まちがいなくもう春です。


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上海事変勃発後・太平洋戦争開戦直前、1937~1939年の中国・上海が主な舞台となると、胸騒ぎがします。
アヘン戦争を機に中国・上海で列強が仕切る租界にうごめく外国人居住者と昼夜の顔。
阿片で身をやつす人たち。
日本と中国の戦争中国内の主導権争いのきな臭さ。
表裏のそれぞれの社会の、引火点の低い混沌とした状況を思い浮かべます。

私が勝手に思い浮かべたまとまりのない先入観を超える混沌が、ひとつの小説にぴたりと収まっています。
火薬臭く、時に血生臭く、謀略が匂い、執拗に、エロティックに、アーティスティックに・・・・・・。


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(Kindle版は新潮社から出されています)

名誉と恍惚 / 松浦寿輝(上巻・下巻)(岩波文庫)
2017年刊、2024年文庫刊
お気にいりレベル★★★★★


主人公は、1937年の盧溝橋事件できな臭さを増した上海で、工部局警察部に勤務する芹沢一郎、29歳。
組織的につながりのない日本陸軍参謀本部の嘉山と名乗る少佐から呼び出され、
上海の裏社会を仕切る人物との面会の仲介
を依頼されます。
芹沢はそんな人物と面識はありませんが、
嘉山少佐によれば、芹沢の知るひとりの中国人の老店主を通じて依頼できるといいます。

なぜ陸軍が、一警察官に上司を通じることもなく依頼するのか。
なぜ陸軍参謀の少佐が、本人も気づいていない芹沢の人間関係(それも裏社会の大物との)をつかんでいるのか。
いかにも怪しげな動きなら逃れればいいものを、芹沢に有無を言わせない圧力がかかります。

芹沢の負う宿命と屈折、組織と複雑な利害関係、目くるめく愛憎、倒錯した芸術、見えない策謀・・・・・・
これらが複雑に絡み合い、果たして名誉に至るのだろうかと不安になりながらも、意外な名誉と恍惚に結晶します。

70歳近くになって、最も好きな小説のトップが入れ替わるとは思いませんでした。


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第Ⅰ部では、当初の英米に日本が加わって管理されていた共同租界(*1)の警察官で複雑な経歴を負う芹沢一郎に、
警察とは別組織の陸軍参謀本部付少佐嘉山から不思議な依頼が寄せられます。
第Ⅱ部は、警察組織を離れた芹沢一郎が、やむなく別の人間になりすまし、生き方に迷走する半生が描かれます。

*1:場所の固有名詞のこんな表記にもこの時代が表れています。
   外白渡橋(ガーデン・ブリッジ)
   百楽門舞庁(パラマウント・ボールルーム)
   月光餐庁(クレール・ド・リュンヌ)
   国際飯店(パーク・ホテル)


読み進めている途中(特に第Ⅰ部)では、主人公芹沢が追い求める「名誉」はなかなか見えてきません。
一方で「恍惚」は時おりその片りんを見せますが、タイトルに掲げるだけの強さはなかなか感じられません。

全体で序章+25章+エピローグという構成の
「二十三、I'm Getting Sentimental Over You ━━一九三九年十月十五日夜」という章から、
芹沢自身も意識していたかった自分の「名誉」や「恍惚」の姿の自覚に向かいます。

 

さらに、その後の日本の行方を示唆する言葉が日本人自身から発せられます。

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エピローグのラストシーンは、私にはあまりにも意外に思えた一方で、上下巻で900ページを要したのも納得しました。

私のなかで、この小説のもつ性格の印象をぐっと広げたのは「二十四、亡霊たち」という章の、芹沢の命をかけた、彼とある人物とのやりとりでした。
深夜の暗いレストランの一部にぼっと照明が灯る場面で、
この物語の行方に関する私のぼんやりしてきた終盤への期待に、
その場面から想像される光景とはうらはらに、
残りの少ないページ数に広がる可能性を感じさせてくれました。


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もうひとつ、この暗く堅苦しくなりがちな時代や素材を、芸術が怪しげで柔らかな面ももつ小説に仕立てています。

陸軍参謀本部嘉山少佐・警察部同僚の乾の周りにはジャズが流れます。
芹沢が出入りする骨董店老店主馮篤生 フォン・ドスァン は時計や人形といった造形美術にかけています。
老馮が面倒をみているロシア人少年アントニーはシャンソンがお気に入り。
裏社会のボスの第三夫人美雨 メイユ
と老馮が目をかけている青年洪運飛  オン・ユンフィ は映画と深い縁を持ちます。


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テーマ:

彼岸もすぎ、私の住む横浜あたりでは桜の開花が話題となる時季を迎えました。
休日と、満開予想と、天気予報を見比べながら花見の目論む方もたくさんいるでしょう。

飲み食い付きかどうかは別としても、
満開の花を楽しむ企てには大小にかかわらず春を待ったぶんだけ胸が躍ります。

そんな季節に私の脳裏には、
一枚の桜の花びらを愛でようすとる娘さんの姿が浮かびます。
ある本で知った、いまから50年以上前の情景です。


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亡き娘坂本きよ子さんにまつわる、母親トキノさんのその話は、
著者にお願いする読者へのこんなことづてで結ばれます。

「桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか。花の供養に」 「花の文を」『花びら供養』(石牟礼道子)

 

この母親のことづての前に、
水俣病で体の自由が利かない娘さんが
庭の1枚の花びらを拾おうとしてもままならない姿が、
お国言葉で生々しく回想されています。(本ブログ末尾ご参照)


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自らも水俣病を患った母親トキノさんのその言葉には、
娘きよ子さんを思う情愛はもとより、彼女の存在と苦悩の体験を風化させまいとする気持ちがうかがわれます。
公害の原因を作り・対応を放置した企業や国に対する怒りや恨みがあるはずです。
本に著されている限りではそれが著者への願いの場面での言葉にはありませんでした。

それどころか、

娘がつまめずに痛めた桜の花びらに同情を寄せています。

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地面に散った花びらをつまもうとすると、
思いのほかうまくいかないものです。
薄く繊細な花びらは、指先でつまもうとするとすぐ傷ついてしまいます。
障害で指先の反ったきよ子さんは、さぞかし苦労したことでしょう。

きよ子さん自身は庭の桜を前に花びらを手にできず、どんな思いだったのでしょう。
母トキノさんに花びらを1枚手のひらに乗せてもらえたのでしょか。
悔しさや悲しさと、桜の美しさに惹かれる気持ちと、どちらがまさったのでしょう。母娘で異なる思いだったかもしれません。

 


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これがトキノさんが著者に伝えた娘きよ子さんのようすです。

 

「きよ子は手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、わが身を縛っておりましたが、見るのも苦しゅうて。
それがあなた、死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に、私がちょっと留守をしとりましたら、縁側に転げ出て、縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜の花びらば拾おうとしよりましたです。曲がった指で地面ににじりつけて、肘から血ぃだして、
『おかしゃん、はなば』ちゅうて、花びらば指すとですもんね。花もあなた、かわいそうに、地面ににじりつけられて。
何の恨みを言わじゃった嫁入り前の娘が、たった一枚の桜の花びらば拾うのが、望みでした。」
「花の文を」『花びら供養』(石牟礼道子)

 


花びら供養 / 石牟礼道子(平凡社)
2013年刊



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