自分自身を大切に扱うために
カウンセリングをどう受けるべきか?問題
こんにちは、ふみです
前回のブログで
「自分自身を大切に扱いましょう」
と諭されて、そうですね!って感動したとしても
現実が変わらない問題を取り上げました。
そしてちょっと説明が足りなすぎるな
と思ったので、続編書いてみますね
たとえば最近、100日で生活を整えるチャレンジを
しており、衣食住を改善しています。
断捨離したりね
台所のコンロ周りと床を掃除したら
メッチャ汚くて、油汚れが落ちなくて
過去の自分を恨みました
なんで、掃除してないのよーって
以前の私なら、夫にも怒っていたでしょう。
私、ずっと体調崩してて
掃除なんてできる環境じゃなかったし
やってくれてもいいじゃないのー
なんでやってくれないのよー
みたいな
さて、心の傷が癒えて
脳科学や心理学を学んだ今の私なら
どう考えるでしょうね
まず、過去の自分に恨み言はいいます
:言うんかい!
はい、だって私聖人じゃないですし
汚いなーとも思います。
面倒くさいなー、
誰かやってくれないかなーとかも
漏れなく思うでしょう。
:思うんかい!
はい、だって事実面倒ですし
だけど、最近思うのは
「こうやって手間暇と時間を掛けるのが
自分を大切にするって事なのね」
というものです。
体調が今よりも悪かった時は
生命維持が精いっぱいだったんですね。
そしてやっと元氣になってきて
掃除や片付けに目が向けるようになった
これは私にとって、もの凄い進化です
だから、ほんのちょっとでも
やれている自分が嬉しいし、誇らしい
できないが悪ではない
生命維持に精一杯だった自分も誇らしいし、愛おしい
ぶっちゃけると、
どっちでもいいし
どうでもいいのです(良い意味で)
●●ができるから素晴らしくて
●●ができないからダメ、最低、生きている意味ない
なわけないんです
どっちにしろ、素晴らしい存在
できる、できないに自分の価値は関係ない
この前提があってこその
やりたい事をやろう なのです
だけど私たちは教育の中で
違う価値観を植え付けられてきました。
だから、もう一度生まれる前から
やり直す必要があったりします。
それを、セッションでやっています
という話です(長かった)
私自身は、病氣で倒れてから
約16年かけて、ここに辿り着きました。
「役に立たない自分には生きる価値がない」
という信じ込みがあったので
生きるのは困難でしたね
今でもたまに、何もしないと
罪の意識が湧いてきたりします。
もう、これって呪いだなーと感じています
人生を恨んだり呪ったりした時期もあったけど
そこも含めて、自分で決めてきた道のりだと
腑に落ちてきているので
人生を自由に楽しむと決めています
今日から11月!今年も残りあと2か月です。
「人生は生きる喜びに満ちている」
と言い切れる日々を過ごしていきたいです。
では、また