おでん屋 リリィ 第五章 | anemone-baronのブログ

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落書き小説根底にあるもの!
私の人生は、「存在しなければ、何を言っても正しい」という数学の存在問題の定義みたいなもの。小説なんか、存在しないキャラクターが何を言っても、それはその世界での真実なのだ。

 

 

第五章

 

1960年 横田基地 

 

 1960年、アメリカ軍横田基地での基地友好祭。夕暮れが訪れると、イベント会場は祭りの賑わいで満ちていた。その中心にステージが設置され、健二たちのバンドが準備を整えていた。彼らの今夜の仕事は、基地内のアメリカ兵たちの慰労会での演奏だった。

 

 一角に集まった米兵たちの一団は、ビールを片手にリラックスしていたが、彼らの視線はステージではなく、互いの会話に集中していた。一人の兵士がバンドを見て、嘲笑混じりに言った。

 

"Man, are we really gonna listen to some monkey jazz tonight?" (今夜は本当にモンキー・ジャズを聴くのか?)彼は友達に向かって言い、周囲の兵士たちは笑い声を上げた。

 

 "Ain't nothing but monkey jazz, I bet,"(モンキー・ジャズ以外の何物でもないだろう。) 別の兵士が高笑いしながら応じた。

 

"Guess it's just some cheap imitation of the real thing,"(「本物をなぞったクソみたいなものだろう。)

  別の兵士が付け加えた。

 

 彼らにとって、日本人によるジャズ演奏は、本物のジャズの劣化版のようなものだった。彼らはステージに背を向け、自分たちの世界に浸っていた。彼らには期待感が全く無く雑談に花を咲かせるている。

 

 しかし、ベースの篠田康介をリーダにするドラム石井和夫トランペット十条健二、他三名のバンドマンたちは臆することなく、ステージに立つ。彼らが選んだ曲は、ソニー・ロリンズの「Oleo」、特にマイルス・デイヴィス版に影響を受けたアレンジだった。

 

メンバーたちはアイコンタクトを交わし、一つの息吹で演奏を始めた。

 

 和夫のドラムが軽快なビートで曲の幕を開け、そのリズムは一部の米兵の心を捉える。

 

篠田のベースがそのビートに合わせて加わり、深みのある低音がリズムを強化し曲に安定感を与え、ピアニストが速いテンポの中で華麗に鍵盤を舞わせ、メロディーを紡ぎ出す。

 

 演奏が始まると、その技術の高さと情熱に、一部の米兵たちが真剣な表情で聞き始めた。中には、米軍のバンドメンバーらしき人物もおり、彼らは健二たちの演奏に驚きを示していた。
 

 "Hey, this ain't half bad!" (おいこれはなかなかいいぞ!)一人の兵士が驚きを隠せずに言った。
 

 "Damn, didn't expect this,"(くそ!予想外だぜこれは!)隣の兵士も目を丸くしてた。
 

 そして、健二のトランペットが加わり、曲に新たな次元を加える。彼の演奏は、抑制された感情と技術的熟練を示しながら、曲に独特のキャラクターを与える。

 

 米兵たちも、徐々にステージの方に向きを変えてきて、その演奏に見入って来ていた。

 

 バンドメンバー間の意思疎通は、特にソロセクションで際立つ。健二がトランペットで繊細なメロディーラインを描くと、和夫と篠田はそれに応じてリズムとテンポを微妙に調整し、健二のソロを支える。

この無言のコミュニケーションは、バンド全体の一体感を強める。

 

サックス奏者が情熱的なソロを展開する際も、篠田のベースは巧みにサポートし、和夫のドラムはリズムを刻み続ける。

ピアニストが複雑な即興旋律を織り交ぜるとき、リズムセクションはしっかりとしたビートを提供し、曲の流れをスムーズに保つ。

 

最終的に、健二のトランペットが再び前面に出ると、篠田と和夫は彼の演奏に敏感に反応し、力強いフィナーレを支える。この瞬間、バンドは完璧な調和を達成し、観客はその結束力に魅了される。

 

 演奏が終わると、会場は歓声と拍手に包まれた。篠田と彼のバンドによる「Oleo」の演奏は、個々の才能とバンドとしての一体感を見事に融合させ、聴く者をリズムと即興の魅力的な世界へと誘った。

 

 米兵達からも「Damn, these guys can really play!」(すげえ、こいつら本当に演奏できるんだな!)
 

 「Who knew the Japanese could jazz like this?」(日本人がこんなジャズを演奏できるなんて誰が知ってる?)
 

 「What Japanese Miles Davis?」(日本のマイルス・デイヴィスか?)などと会話があちこちで起こった。

 

 健二たちは、その勢いをそのままに、続けざまに「Salt Peanuts」を演奏を始めた。

 この曲の軽快なリズムと遊び心あふれるアレンジが、観客をさらに盛り上げた。ステージからはエネルギーが溢れ、観客からは熱狂的な拍手が沸き起こった。

 

会場全体がジャズの魔法に包まれる中、健二たちの表情は達成感で満たされているようだ。彼らは異文化の中で、自らの音楽を認められ、新たな自信を得ていた。

彼らの演奏はただの音楽以上のものを伝えているようで、それは、異なる文化が出会い、理解し合う瞬間だった。

 

流れを切らさないように、和夫が軽やかなスティックワークで曲の幕を開け、リズムは即座に身体を捉え、そのビートは心地よい緊張感を生み出す。

ピアノが加わり、速いテンポの中で華麗に鍵盤を舞うようにメロディを紡ぎ出す。篠田のベースはそれに合わせ、深みのある低音でリズムを固める。

 

 そして、健二のトランペットが勇ましく鳴り響く。彼のトランペットは、急速なテンポで複雑なメロディラインを描き、曲に独特のキャラクターを与え音は鋭く、時には奔放にジャズのエッセンスを奏でる。

 

「Salt Peanuts」というキャッチーなフレーズが曲の中で繰り返され、コールアンドレスポンスの形式を取りながら進行していく。この部分は、観客に身体を揺らすよう促し、曲に親しみやすさをもたらす。

 

 ソロセクションでは、まずサックス奏者が前に出て、情熱的かつ躍動感あふれるソロを披露し、音符は速く複雑な旋律を描きながらビバップの本質を表現してる。

続いてピアニストが即興で複雑なハーモニーと旋律を織り交ぜ、これらのソロは、曲のダイナミズムと創造性を際立たせた。

 

突如、健二がトランペットを片手に中央のステージに、一瞬静寂になり彼の足元からタップダンスのリズムが生まれる。

 最初は静かに、次第に激しさを増していく。彼のタップダンスは、重力を無視したような異次元のステップを、和夫のドラムと健二のタップはエネルギッシュにリズムを刻みビートと完璧に同期し、強烈なリズムのシンフォニーを生み出している。

 

「Salt Peanuts」というキャッチーなフレーズが繰り返される中、健二のタップダンスはそれに呼応し、まるで歌っているようにコールアンドレスポンスの形式を更に強調し、観客を完全に魅了し、曲に対する親しみやすさとエキサイティングな要素を畳み掛けてくる。
 

 リズムセクションは、この間も安定したビートを提供し続け曲に一貫性と基盤を提供し、和夫のドラムのリズムは複雑でありながらも、全体のコヒーレンスを保ちつづける。

 

最終的に、バンド全員が「Salt Peanuts」のフレーズに戻り、健二もトランペットに戻り曲は高揚感あふれるフィナーレを迎えた。
 

 この瞬間、観客は曲の力強い終わりに向けての勢いを感じ取り、熱狂的な反応を示した。

 

 演奏が終わると、米兵たちから惜しみない拍手が起こった。彼らの中には、最初はバカにしていた者もいたが、健二たちの圧倒的な演奏に驚かされた様子だった。

 

 "That's some legit jazz right there. Never heard anything like that before," (正真正銘のジャズだ。こんなの聴いたことないぜ)別の兵士が感心した声を上げた。

 

 篠田率いるバンドマン達の「Oleo」「Salt Peanuts」は、特有のクールなジャズスタイルとは一線を画す、熱くダイナミックな演奏だった。

リズムセクションはタイトで、ソロパートでは健二のトランペットが際立っていた。彼の演奏は情熱的で、即興のセンスが光っていた。

 

 米兵たちは、演奏後バンドメンバーに近づき、彼らの演奏を称賛した。

 

 "Great show, guys! You Japanese can really swing!" (素晴らしいショーだった!日本人は本当にスウィングできるんだな。)一人が篠田に声をかけた。

 

 "Thanks for the music. You guys are awesome!" (音楽をありがとう。お前たち最高だぜ!)別の兵士が健二に握手を求めた。

 

 健二たちは、彼らの言葉に感謝の笑顔を返し、満足感でいっぱいだった。彼らの演奏は、音楽の力で文化の壁を越え、互いの理解を深めた瞬間だった。


 

 1964年東京のキャバレー
 

 1964年の東京、キラキラと輝くネオンの光が夜の街を包み込む中、キャバレーの中は別世界のようだった。

 店内に一歩足を踏み入れると、甘く重い香水の香りが空気を満たし、煙草の煙が薄い霧のように宙に漂っている。 
 天井から吊るされたクリスタルのシャンデリアが、柔らかい照明を放ち、店全体に暖かみのある光をもたらしていた。

 

バーカウンターに並ぶカクテルグラスからは、カラフルで魅惑的な飲み物が煌めき、それを傾ける客たちの表情には、日常からの一時の逃避がうかがえる。

ホステスたちは、キラキラとしたビーズやレースが施されたドレスを身に纏い、その動きに合わせて生地が輝きを放っている。彼女たちの笑い声は、店の中に満ちていて、訪れる客たちを歓迎していた。

 

テーブルの上では、キャンドルの炎は揺らめきその柔らかな光がゲストの顔を優しく照らしていて、店内に流れる音楽はそこにいる人々の会話や笑い声と混ざり合い、特別な夜の雰囲気を作り出している。

 

 ステージ上では、篠田たちのバンドが演奏をしていたが彼らの演奏は、この華やかで洗練された空間の一部として流れる運命にあった。

観客たちは、彼らの演奏よりも、自分たちの会話やホステスたちとの交流が中心で、バンドの存在などはほとんど意識されていない。

 

そんな中、一人のホステスが篠田に近づき、「ビキニスタイルのお嬢さん」をリクエストした。

 

篠田たちの音楽が始まると、彼女は踊り始め、その動きは観客たちの視線を釘付けにしていった。彼らは興奮してヤジを飛ばし始め、キャバレーは一気に活気づいた。

 

 キャバレーでの演奏の中、篠田たちの心は遠く離れた場所にあった。彼らの演奏は、かつての情熱を失い、この場所ではただの背景音楽と化していた。

 篠田たちは、ステージ上で無表情に楽器を奏でながら、音楽への愛と現実との間の葛藤に心を痛めていたが、彼らの音楽がかつて持っていた魂と活気は、時代の流れとともに遠のいていくようだった。

 

 音楽界はビートルズの登場とともに大きく変わりつつあった。ビートルズは、レコード販売をビジネスモデルの中心に据え、その成功は他のアーティストたちにも影響を与えた。

 

ライブパフォーマンスよりも、レコードの販売が収益の主流になりつつあったのだ。

 

テレビやラジオを駆使して自らの音楽を広めるビートルズの手法は、音楽業界全体に新しい風を吹き込んでいた。

 彼らはロック・ポップス・ジャズ・ブルースなど、多様なジャンルからの要素を取り入れ、独自の音楽スタイルを確立して、特に若者たちの間で圧倒的な人気を博し音楽のトレンドをリードしていた。

 

 この変化の波は当然のように日本にも押し寄せていた。篠田を含む多くのミュージシャンたちが、自分たちの音楽スタイルやキャリアの方向性を見つめ直すことを迫られていた。

 かつての仲間たちの中には、グルーブサウンズやコミックバンド・ポップ・歌謡曲のバックミュージシャンとして活動する者が増えて来てる中、ジャズだけでは生計を立てるのが難しくなっている現実が、篠田たちに重くのしかかっていた。

 

 ビートルズの影響は、一つの文化的現象として捉える視点を提供して、篠田たちは、自らの音楽とキャリアに新たな意味を見出すために、新しい時代の波に乗るか、それとも自らのルーツに固執するかの岐路に立たされていた。

 

 キャバレーの楽屋で、篠田たちがその晩の演奏のギャラを受け取る場面から始まる。

 支配人から渡されたのは30,000円入の封筒。この金額は、当時の平均的なサラリーマンの月給に匹敵する。しかし、メンバーたちの表情は金額にふさわしい喜びとは程遠い。

 

 楽屋内は重苦しい空気に満ちていた。篠田がギャラを数える隣で、ピアニストの田中がため息をつく。

 「また同じような夜……。いつまでこんな演奏を続けるんだ?」彼の言葉に、他のメンバーも沈黙してうなずく。

 ただ、健二だけは違った。彼は酒を片手に、どうでもいい様子だった。

 

 健二は、いつものように酒を飲みながら楽器を片付けていたが、ドラマーの和夫が彼に近づき、「毎晩の酒はやめてくれないか?演奏に影響してる」と注意する。

 

しかし、健二は反発し、「俺のラッパに文句があるのか?」と声を荒げる。

 

 二人の間に緊張が走り、和夫は「こんなでも仕事なんだ、仕事中は酒を飲むな」恫喝する。健二は半ば笑いながら「酔っ払いの相手をしてるんだ!俺が飲んで何が悪い!」楽屋は一触即発の雰囲気に包まれた。

 

 この状況を見かねた篠田が二人の間に入り、喧嘩を止めた。「二人ともやめろ、和夫。健二、落ち着け」と彼が言うと、楽屋は静まり返る。

 

 篠田の瞳はメンバーたちを一人一人見つめ、彼の手は軽く握って「時代は変わっている」と彼は静かに語った。 

 篠田には考えがあった、それは、オリジナルのレーベルを立ち上げて、知り合いのミュージシャンや仲間たちをプロジュースして送り出すことだ。篠田はゆっくりみんなに説明した。

 

 「ずっと前から考えていたんだ。幸いに、俺たちはこの業界では顔も広いし、信頼してくれているミュージシャンも多くいる。」篠田は真剣なおもむきで

 

「俺は、ベースを降ろす。営業とプロジュースに専念するつもりだ。」彼の声には確固たる決意があるものの、同時に不安も感じられる。

 

 メンバーたちはその提案に驚きを隠せなかったが、和夫がポツリと「なんだかんだ、言っても今まで引っ張ってきてくれたのは篠さんだからな」

 

田中も呆れた様子で「どうせこのままだと、キャバレーや地方のドサ回りだからな。一緒に地獄まで行くか」と微笑んだ。

 

 しかし、健二はこれに強く反発した。彼の顔は怒りで紅潮し、手は震え、目は憤慨に燃えている。彼の声は怒りで震え、「ジャズこそが俺の音楽だ!」と彼はウイスキーの瓶を床に叩きつけて叫んだ。

 

篠田との対立が決定的になり、彼は楽屋を飛び出していった。残されたメンバーたちは、この決断に複雑な思いを抱えながら、それぞれの楽器を片付け始めた。

 

 楽屋を飛び出し、夜の街を歩く健二の心は嵐のように乱れていた。ビートルズの曲が漂う居酒屋の前を通り過ぎるとき、彼の心にはジャズへの情熱と現実のギャップがぶつかり合っていた。

 

「ジャズこそが俺の命だ。でも、篠さんの言う通り、時代は変わっている。俺は……」彼の心の中で、自問自答が続く。

 

「俺はただの過去の遺物なのか?音楽業界の流れに取り残されているのか?」健二は自分の音楽キャリアに疑問を投げかけながら彼の心はジャズへの愛と、変わりゆく音楽シーンへの適応の間で揺れ動いていた。
 

彼の歩みは重く、ビートルズの新しいサウンドが彼の耳にも新鮮に響いていたが、彼はそれを自分のものとは認識できなかった。

 

 

 楽屋の喧騒が遠くに消え、篠田は一人静かに座り込んだ。彼の頭の中では、音楽業界の激動とバンドの将来に関する思考が絶え間なく渦巻いていた。
 

「もう時代はジャズだけではない。新しい流れを受け入れなければ、俺たちは取り残される」と彼は思い、心の中で渦巻く不安と期待を感じながら彼の心は長年愛してきたジャズと、進化し続ける音楽業界の間で自らの決断を考えてた。

 

 オリジナルのレーベル立ち上げの計画は彼にとって新たな挑戦であり、彼は知り合いのミュージシャンたちとの新しい可能性を探るための一歩だった。

 

「ジャズの枠を超えて、もっと幅広い音楽をプロデュースしていく。それが今の時代の要請だ」と篠田は決意を固めていた。

 彼は自分とバンドの過去を振り返りながら、未来への道を。彼には、新しい音楽の形と、その中での自分の役割が見え始めていた。

 

 楽屋を静かに後にしながら、彼は音楽という永遠の海で新たな航路を切り開く準備をしていた。この夜は篠田達にとって、新しいスタートの始まりを告げるものだった。

 

 ただ、篠田の心の中には、健二への心配が常にあった。彼は、健二が自身の演奏に完全に没頭する姿を尊敬していたが、同時に彼の孤独と内面の苦悩を知っている。

 

 楽屋での一件後、篠田はふとした瞬間に健二のことを思い、彼は健二が楽屋を飛び出した後、ひとりで彼の置いていったトランペットを眺めていた。

その楽器は健二の人生そのもののように思えた—光り輝く瞬間もあれば、影に隠れる時もある。

 

「彼はいつも自分の道を歩んでた。でも、今、奴はどこへ向かっているのだろうか?」篠田は心配そうにつぶやいた。

彼は健二の不安定な精神状態や、酒への依存が深刻になっていることに気付いてた。バンドを離れた後の健二の孤独が、篠田の心を痛めていた。

 

 篠田は、健二との長い付き合いから、彼の才能と脆さの両面を知っている。彼は健二が自分自身と向き合い、再び音楽に生きる道を見つけられることを願うしかない。篠田はただ、遠くから健二の幸福を祈ることしかできなかった。

 

 篠田は健二のことを思い彼は知っていた、真の友情とは、時に距離を置きながらも、相手の幸せを心から願うことだと。篠田は、新しい音楽の道を歩み始める一方で、いつも心のどこかで健二のことを想って、夜の街を歩いていった。

 

つづく