ひよこです。
ここ3日間、東北に行っていました。
じつは大学の同窓会の理事の取材で、いろいろ周り、最後に宮古市田老地区に行きました。
じつは、この田老地区(かつての田老町)は岩手県にあり、世界一の防潮堤で有名だったのですが、今回の震災では、防潮堤を越えて津波が流れ込み、軽減はされたものの大きな被害がでました。
今からちょうど20年前、女子美術大学の学生70人以上が、この防潮堤に壁画を描きに行っています
10mの防潮堤が威圧感をあたえないように、また町のシンボルになるようにとの思いから実現したことのようです
ひよこは、当時助手だったので、学生の引率で行きました。
学生は、暑い中、それは一生懸命描き、町には、町をあげてバックアップして頂き、婦人会の方は毎日炊き出しに出て、おいしい三王汁や、暑さでふーふー言っている学生に「氷のおばちゃ~ん」と呼ばれ、氷やお水を配って頂いたり、漁師さんが捕れたてのウニをその場で割って食べせてくれたり、本当に熱い歓迎を受けて感動の毎日でした
最後のお別れパーティのときに、学生代表が挨拶しました。
「私たちは、ここでみなさんにやさしくして頂き、ほんとうに感動の日々を送りました。もしこの壁画が壊れたり、汚れたり、消えたりしたら、また必ず私たちが直します。」と。
そんなことできるはずもない、けれど、彼女にそう言わせた何かがあったと、感動しながら、聞いたこともよく覚えています。
彼女は今どうしているでしょうか。
学生が心をこめて描いた防潮堤は残りました。
崩れたところも多々あったのですが、奇跡的に残りました
そして、昨日、20年ぶりに訪れました。
そのときお世話頂いた市議会議員さん、そして、そのときお世話してくださった女性たちが駆けつけてくださいました
岩手の新聞社、岩手日報も取材に来てくれました。
(今日の新聞とネットに載りました)
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20121109_7
この防潮堤は、もしかすると崩して新しく嵩上げしするかもしれないと聞きました。
また、同窓生、在校生で、そして町の人たち皆で、何かできないか。
(壁画が描けたら最高ですが)
そう改めて感じました
「どんなに大学から離れていても、年月が経っても、私たちは必ず集まって直します」
その時がやってきた。。。と思いたいです。
Mahalo ひよこ