【MyStory】波瀾万丈幼少期② | 金なし/コネなし/英語力なし、アラフィフで子連れ国際結婚もハワイ移住も叶えた!Sayoのリアルハワイ生活♡

金なし/コネなし/英語力なし、アラフィフで子連れ国際結婚もハワイ移住も叶えた!Sayoのリアルハワイ生活♡

大阪在住のボンビーシングルマザーだった私。どうしてもハワイに住みたくてオンライン婚活して子連れでハワイ移住!そしてハワイで起業!長年の夢を叶えました❤︎アラフォー、アラフィフ、シングルマザーだからって諦めないで!あなたの夢も叶うよ!私も次の夢の途中♡

ALOHAやしの木


**********
2018年、オンラインで知り合った
ハワイロコ旦那と
再婚のためハワイ移住し、

ステップファミリー(子供合わせて5)

になった我が家。

2020年6月からは

女性の自立、シンママ応援を目指して

ハワイでR+Fビジネススタート❤︎

ビジネスパートナーも絶賛募集中!

気軽にメッセージ下さい(^^)

2018年より前は大阪での

母子家庭生活いろいろブログです。

はじめましての方はプロフィールをどうぞ♡

**********

前回の続きです。
まだまだ私の波瀾万丈人生は続きます。

前回を読んでない方は

私の波瀾万丈人生のスタートは
両親の離婚。
だと思う。


私が小学校4年生のある日、
私達は父方の祖父の家にみんなで行く事に。


遊びに行くと思っていたから
ワクワクしながら行くと


従兄弟や叔父さん叔母さんも来ていて
余計にイェーイ!
って喜んでたら、


あれ????
何かいつもと違う感じ⁉️


と、ただならぬ空気感を察知していたワタシ。


私達子供は、居間ではない部屋で
遊ぶ様に言われ、
従兄弟たちと遊んでました。


そしたら、私だけが居間に呼ばれて、



お父さんとお母さん
離婚する事になったけど
サヨはどっちと暮らしたい?

ってガーン


はぁ!?
離婚て何よ!?
突然言われて、しかもどっちか
選べって!?
そんなの、簡単に決めれるわけないやん!!!


と心の中で叫びつつ


『えー、わからん。』
とだけ答えて
ただ呆然と立っていた気がします。
*この辺の記憶は忘れたい出来事で
勝手に記憶から消去されてる部分もあるので
正直曖昧な記憶になってます。



それからは
あれよあれよと言う間に離婚が進み
時間の経過がどれくらいだったかは覚えてませんが。



私達3人(私、妹、弟)はそれぞれ
父方の親戚の家に数ヶ月ですが
バラバラで預けられる事に。


私は父の姉の家に。
妹は父の兄の家に。
弟は祖父の家に。


私と弟は、歩いていける距離に預けられたので
ほぼ毎日のように会えていました照れ


でも、妹は電車を乗り継いで1時間以上かかる
ところに預けられたので、
頻繁には会えず、それがとても悲しかった事を
覚えています。



ただ、その家で妹はとても可愛がられている事を
知っていたので、私なりに安心していました。



こんな話を聞くと、可哀想に〜
とか、大変だったね〜
と思われるかもしれませんが、


私は預けられた家の叔父、叔母、従姉妹のお姉ちゃんやお兄ちゃんが大好きだったから
私にお姉ちゃんやお兄ちゃんが出来た!!!


とむしろ楽しんでいましたデレデレ
この頃から、何事もあまり深く考えず
その場を楽しんでしまう子だったんだと
今になって思います。


だから、もちろん小学校も
叔母の家の校区に転校しました。


が、ほんの数ヶ月しかいなかったので
学校の記憶は殆どありません。


預けられて数ヶ月後
父が転勤になったことで
私達兄妹は母と暮らす事に。


母の実家のある福島県へと
大移動です。


でもこの辺りの出来事は
私にとってとてもつらくて悲しい出来事だったからか
記憶から削除されている部分が多くて


どうやって母と福島県まで行ったのか、
何を持って行ったのか。
叔母の家からや、父と別れる時どうだったのか。


全く記憶にありません。


そして、気づけば今度は母方の親戚の家で
私達と母で居候の生活が始まります。


それはそれで、また兄弟が増えたみたいで
楽しかったんですが、
どこかで父の居ない寂しさを感じていました。
私は父が大好きだったからね〜。


それから数ヶ月後、母はアパートを借りて
私達4人での生活が始まりました。


そして、しばらくすると
男の人が時々家に来るように。


妹や弟は、まだ小さいからか
その人に懐いていました。


が、私は父が大好きだったから
受け入れられず、
いつもすごく嫌な気分でした。



そしてある時、思い出したのですひらめき電球ひらめき電球ひらめき電球



この人、見たことある!
大阪の家にも来てた人や!


そぉ、まだ両親が離婚する前、
父が出張中で、大雨が降っていたある日。


私は夜中にトイレに行こうと起きて
何気なく母の寝ている部屋を開けると


母がガバっと起きて、
何やの!?
トイレやったら
さっさと行きなさい!

ってなぜか怒鳴られたから
すぐにドアを閉めて


何で怒ってるんやろ?
と思いながらトイレに行こうとしたら、、、


玄関に見知らぬ大きな長靴と
レインコートがかかっているのを見て


何やろこれ?
誰のん?
お父さん?
そんなわけない。
誰か来てる????


と思いながらトイレに行きました。


お母さん、怒ってたし
また開けたらあかんな。
とそのまま部屋に戻って寝た私。


その時はまだ小学3年生だったと思うので
何もわからなくて、考えも及ばなくて
ずーっとハテナマーク❓❓❓
のまま時が過ぎていました。



そして、その知らない男の人が
来るようになって
しばらくして


あっ、思い出した!!!
この人もしかして!?


あの大雨の日に母の隣で寝てた人ちゃうん!?


母が慌てて起き上がり、
いきなりキレられたあの日。


たしかに、横に誰かが寝てました。


父でもなく、妹や弟でもなく
大きな人でした。



そぉ、私は見てはいけないモノを
見てしまったのです。


だから、あんなに母が慌てていて
しかもキレられたんだと

あの時何となく
腑に落ちなかった事が
すっと腑に落ちて

なんか、お父さん可哀想。


と子供心に思いましたが、


しばらくすると
更に恐ろしい事を
目撃してしまいました。



長くなるので、続く…


こんな、私の人生について
誰が興味あんねん!

ですが、最後までお読みいただき



MAHALO虹





紗代のmy Pick