様々な「思い込み」っているのは、
祖父と縁側での1枚♡
私立の高校・大学勤めの祖父は、
真面目な人でしたね~
固い!!
でもお酒大好きで、
お酒飲んだら、超ご機嫌~
小さいながら、その変化が
理解できず、
酔っ払いはキライでした。
私は、きっと寝起きですね(*^^*)
目が腫れてます(笑)
ひいおばあちゃんと祖母と♡
二人とも、ホントに良く私の面倒を見てくれました(^-^)
ひいおばあちゃんは、私が年少の時に他界。
若い頃は、小学校の教師だったようです。
(優しいけど、気の強そうな・・ 笑)
その一人っ娘だった、祖母。
私は、おばあちゃん子でした。
3歳半下の弟が生まれてからは、
おばあちゃんと寝てました。
祖父母が寝る前につけてたテレビに
時代劇が多かったので、
「遠山の金さん」
「水戸黄門」
「破れ傘刀しゅう(字まで覚えてない・・(><;)
・・大五郎が「(おとう)ちゃん~」と呼ぶ番組です。
他、結構詳しかったりします(▰˘◡˘▰)
このころの時代劇の影響か、
「義理と人情」とか
「間違えたら。えらい目に合う」とか
「黄門さまの、紋所を見せたら
みんなひれ伏す~・・あれ、欲しい♡」
など、潜在意識にインプットされてるかもです(;^ω^A
今書いていて気づきましたが、
私の思考のベースに
かなり時代劇が影響を与えてるのでは?
と思います。
「エライこっちゃですー(*ノωノ) イヤン」
↑私を追いぬかす勢いの、
大きい弟v(^-^)v
小さい頃から、
「僕は、お寺継ぐねん!!」と
言い切ってましたが・・
それは、ほとんど曇ることなく
思春期以降もそう言ってました。
偉いなぁ~と思います(*^.^*)
私の父は、4人兄弟の長男。
若い頃は、住職を継ぐのが
嫌で嫌で・・
母に諭されて、
弟が生まれてから、
ようやく継ぐ決意したのではないでしょうか(▰˘◡˘▰)
・・そりゃ、嫌ですよね。
父の気持ちは良くわかります。
父も「長男」という見えない<重荷>が
若い頃は、特に重かったんでしょうね~
第二子独特の、容量の良さと
元気いっぱいの活発な弟でしたが、
今だに「姉貴にはかなわない」(笑)と
思い込んでるようですf^_^;
確かに、けんかして弟に負けたことは
なかったですから(笑)
なかなかキツい姉でした(///∇//)
それが想像できる1枚。
記憶にはないですが、私がこっぴどく
弟にダメだしした後の1枚ではないでしょうか・・
小学1年の私と3歳くらいの弟。
おそらく鳥羽へ。
毎年夏に家族旅行に行っていたのは
今でも良い思い出です。
子供にとって、場所は何処でもいいんですね(^-^)
こうして家族で出かけた記憶だけが
残ります。
家では、大人の中で育ち、
それなりの対応はできていたのでしょうが、
大人の「顔色」も良く見えて、
小さいながら<気の使う子>として、
どこか母に寄り添っていたのではないかと
今思います。
こんな大家族の中ですから、
いろんなことがあったはず!!
小さい私は、無垢に
「母の幸せそうな笑顔」のために
頑張るクセがついていたのではないかと思います。
でも、保育園や小学校入ったばかりの頃は、
とにかく同級生がこんなにいっぱい。
まず、大人でない人に慣れるのに
時間がかかりましたね~
活発なしっかり者の同級生や
年上のお姉さんに、
面倒をみてもらっていた記憶がある、
不安と緊張感の毎日でした。
なかなか、みんながす~っとできることが
私はできない(笑)
「間違えるのがはずかしい」
「できないのがはずかしい」
「先生が、なんのことを言ってるのか
わからない・・」
そんな私でしたから、
ニコニコしていても、消極的な
子供だったんだと思います。
続く・・
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お読みいただいて、ありがとうございます。
書きながら色んなことを
感じてたんだと
つくづく思います。
私が、感受性が豊かな強みも
ここに原点があったのかなぁ~とも思います。
「美保さんと会ったら元気がでます!!♡」
「聴いてもらったら、すっきりしました♪」
「美保さんと会ったら、いつも良いことあります」
そう言ってもらえることが、とても多いです。
消極的だった小さい頃・・
一見、<消極的>ってマイナスなイメージがありませんか?
でも、言い換えると、
凄く観察しているし、
感じて、
見ています。
その時、「この人がどんな気持ちになっている?」
とか凄く考えていましたから(^-^)
消極的だったからこそ
生産された、強み です(*^.^*)
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そんな私からプレゼンツ!!
「~思い込みをあっさり外して
思い通りの人生を手にいれるための~