酔言 88
これは凄いやと、世の中、目を釘づけにされるものに出会うことは稀である。そんな時は、たまたま手にしたさかずきの酒も普段よりは格段に旨くなる。お猪口の底に沈む群青色の蛇の目の模様も、心なしか生き生きと見えてくるようだ。
事実、時を忘れて、何度もこの映像を見直した。見直すごとに、お互い投げ返す(It's A Man's Man's Man's World )二人の細かな表情が新たに見え隠れして、画面に囚われ身の私自身に苦笑しながらも、妄想はさらに尽きなかった。
映像の二人、最初は誰か分からなかった。この発信の日時も定かでない。しかし老人の名前はトム・ジョーンズ、すでに歴史上に消えたあの人物かと思いきや、さにあらず。映像に映る姿は颯爽として、テノールの声にはまだまだ張りがある。そして、深みのあるその歌唱力。円熟の到達とはまさにこのことだろうか。
相方のジェニファー・ハドソンを含めて、こういう才能の熟し方は、鍛錬もさることながら、芸ごととはすべて、これぞと自分で思うもの、しかもせめてたった一つの、他人に有無をいわせぬ何かを持っていなければ、到底だめだということを改めて思い知らされる。
私を含めて、そこまで底に降りて行き、自分を再発見できる人は甚だ少ないのだ。才能の鉱脈があからさまに地表に出ている人はよい。しかし、汗も流さず目に見える形で採掘ができる人は、そうはいない。
たしかに誰にとっても、人でも物でも、有無を言わせぬものに出会うことはそう多くはないはずだ。間違いなく、これまたそうした奇縁に結ばれれば、我々一般人である繰り返し人生の中の、救いの一つにもなるだろう。
しかし、やはりそうした選ばれた人は傍に置き、花盛りにはおよそ縁のないように見える、我々大多数の一般人の一人ひとりの中にこそ、いや、あえて言えば、そうした基本的で単調な人間の営みの条件の中にこそ、私が思う普遍的な宝の山が転がっていると、私は考えたい。
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