酔言  36

 自宅から京王八王子駅まで、意識しなければはっきりとは気がつかないほどの緩やかな下り道が延々と続いている。高尾山の裾に位置する八王子の街へ下っていく感じなのだ。私の自転車で15分、片道約4キロの走行距離である。だから、朝は都内までの長い電車通勤を除けば、気持ちをリラックスさせる、あるいは自分を取り戻すことのできる唯一の孤独な時間なのである。

 それゆえに帰りの道は逆に少なからずの上がり勾配になるわけで、自転車をこぐには少々きつい。粘質の気体が身体にからみついてくるようで、じわじわとペダルが重くなってくる。最初の頃、仕事帰りのこの自転車の辛さに、いよいよ歳のせいかと思ったがそうでもなかった。試しにグーグルマップで調べると、目的地までの標高差が30メートルほどあったのである。

 今朝、5時半、通勤途中の河川敷の様子。冬の頃とは違い、陽はすっかり昇っている。いつもより遠回りの、脚をちょっと伸ばしてして自宅近くを流れる河川「浅川」沿いに、陽光に向かって走ってみた。風は冷たく気持ちの良い朝だ。鳥の囀りが聞こえ、懐かしい夏草の匂いが河原から風に乗ってやってくる。

 先日、昭和の男と揶揄された。昭和の男には休みがない。正社員などならずに生きてきたから、そうせざる負えないところもあった。だから肉体に刻み込まれていない労働や、あるいはその関連した思考だけの思想には、私にはなんの魅力も感じない。

 年金をもらいながら革命や社会変革を謳う、どうしてそこに真実があるのだろうか? と、そんなビックワードとはもちろん縁がなかったが、自戒を含め、私もいよいよすずめの涙ほどの年金をもらう歳に至ったことを思い出す。

 子供はないが妻がいるから加給年金や振替加算と、支給申請の繰り上げ繰り下げ、期間工でも企業年金の問い合せと、私にはなにも知らないことだらけだった。こうしたことが老齢者を待つ社会のシステムであり、私の知らないところで、個人の秘儀のように広く綿々と行われていたのかと、また驚きだった。

 いったい私の中のなにが変わるのであろうか。いつの時も年齢は他者がつくるものであるとは、今、私には平和や政治よりもより具体的で、身近な実感である。生活の糧は労働によって得る、この原則を真っ向から否定するシステムは、弱者には生殺与奪を握られた態であり、また社会保障の大事な柱でもあるが、個人の使い方を一つ間違えれば、労働からの純粋な喜びと知恵を得る道を、また遠くするような気もする。

 明日は病院の特高受変電設備、その一般AC配線系統の停電作業が待っているが、そんな興味のない憂鬱な生業のことも、早朝のこのひと時だけは、私からすっかりどこかに飛んでしまっていた。そして、こうしたことは多くの人にとっては生きていく上で普通のことであり、たくさんの時間を使っていることなのだから、突出した人たちとは違い、単調反復こそは労働にとってより普遍的であり、考察を避けて通れないものであろうか。