東京地裁、申立て却下
まあ、そういうことである。しかし、人さまのやることには反対はしない、国のやることに反対するのである。やりたい人たちだけでやるのがいい、それだけの単純な話なのだが、不思議な国である、この私のたまたま生まれ育った日本。どうして個人の人権を社会の礎として尊重しなかった人物を、真面目な顔をして弔うことに賛成できようか。つまらない嘘を平気で吐き出して、恥じらいもしない人物だっただろうに。
それでも数ヶ月もすれば、各国から大勢の弔問客が押しかけるのを見た国民は、声をひそめて誇らしげにテレビに食い入ることになるのだろう、しかもあの天下の電通がしきるのだ。内緒の話しだが恩人の葬式は実入も多い。半数近くが反対でもそんなことはたいしたことではない。まるでこないだのオリンピックの開催式のようにやればいい。強行してでもやってしまえばこちらのものさと、さすがに長年与党の知恵、しかもよかったよかったの大合唱なんてたやすいもの、大衆の扱い方を実に心得ている。
生前、貴方から庶民の匂いは何もしなかった。ということは国民の声は貴方とはおそろしいほど関係が無かったということだ。国葬、笑わせる。生き残った貴方の仲間たちの悪知恵で、このイベントは貴方のせいではないかもしれないが、それでも大方の責任は貴方にある。昔、街宣で、あの人たちには負けるわけにいかないと貴方は声に力を入れた。しかし、私の仲間であったあの人たちにも、それぞれの大切な日本があるのである。貴方だけのこの国ではけしてないのだ。
統一教会の関連者に命を奪われたたことは、因果は巡るで、結局は貴方自身が招いたことであろう。少なくとも私にはどう転んでも起こり得ないことだ。貴方の死にざまは、私にも国民にもまったく関係のないことである。なぜ、そんなことに我々の大切な税金をもっともらしく使う必要があるのだろうか?腹立たしいことにはすっかり慣れている世の中のはずだが、実に不思議なことだらけである。
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