
夜遅くの便で初めて韓国に着いてすぐに地下鉄に乗った。飛行場駅からソウル市内に行く為である。地下鉄は簡素で日本とほとんど変わるところのないものだったが、乗車客もまばらで、車両も少し大きいように感じた。アイフォンを聴く若者の姿を向かい側に見ながら、でもここに流れている空気は何かが違う、なんだろうかと思い続けていた。液晶モニターは日本と同じようにニュースやコマーシャルを放映し、ホームで発停する乗車扉は規則正しく乗客を昇降させている。夜は遅いが日本と変わらない都市の日常生活の一コマである。
しばらくして、私はふと気がついた。この地下鉄の中を支配している色調がシルバーなのだ。あの韓国料理で使う銀食器、箸やお椀の冷ややかな光がこの車両の中全体にも沈んでいる。そう思うとその沈んだ色調は、私の座る固めの座席と背もたれを急に際立たせ、私がこうして異国に接近させることを拒み始めているようにも感じ始めた。
なぜ食べるときに銀食器を使うのか、聞くところによると、昔、両班などの上流階級達が動乱や陰謀の長い歴史のなかで、毒を盛られないよう警戒したためという。銀はヒ素などの毒に敏感に反応して黒く変色するのだ。近年、庶民が憧れからそれを真似た。
そしてそんな知識よりも、私がその時、頭をよぎったことは、この清浄とした冷ややかな光には深い悲しみが染み込んでいるのではないかということだった。近くでは日本に、遠くは中国に飜弄され続けて民族として苦しんできたその呻吟が、この地下鉄の光の中に沈澱しているように思えたのだ。それはまるで斎場を静かに包む午後の光のように私には感じられた。