奈良参りの最終回です。



 東大寺大仏殿に
朝8時の開門後、二番目で入場しました。





年に数回この扉が開いてお顔が見えるのですね。






中央の瓦の紋は花弁は16枚の菊の花です。






大仏殿の建物は聖武天皇の時代から平安時代の末期と室町時代の末期に2度焼失しまして、現在の建物は江戸時代に建造された物です。






盧舎那仏様に久しぶりにお目にかかりまして、


子供の頃から大仏様と言ったら、東大寺だと思っていたので、感動しました。


華厳経で宇宙の真理を体現しておるのだそうです。



二度の建物の消失によりまして、盧舎那仏様も建立当初から現存しているのは部分的だそうで、頭部は江戸時代、体のほとんどは鎌倉時代に補修されていて、


当初から残っているのは、蓮の台座、両袖、右腹部、大腿部の一部との事で、それを知って見ますと、確かに江戸時代の流行りのお顔をされていらっしゃるような気が致します。





台座の蓮の花びらのレプリカです。


大仏の台座には蓮弁一枚ごとに華厳経の教えに基づく蓮華蔵世界が彫り込まれました。上段には如来と二十二菩薩が描かれ、中段は横線によって無色界・色界・欲界かいという三つの世界があらわされ、下段には百億世界を象徴する七つの須弥山が配されています。華厳経は新羅で研究が盛んにおこなわれ、日本ではそれを取り入れて東大寺大仏が造られました。










蓮の花びらの台座と袖








お顔は確かに色艶が違いますね。









虚空蔵菩薩様








広目天様










多聞天様

柱くぐり、誰もいなかったから、逆にきがつかなかったです。






如意輪観音様





東大寺サイズでとても大きなおびんずる様





中門





香炉も





中に入って見ないとこの細工を見ることはできません。






朝イチはじっとしていた鹿さん達も開門される時間になると、動き出して、街と一体化しているのですね。 






南大門





創建時の門は、平安時代に台風で倒れてしまった為、鎌倉時代に作り直したのだそうです。





仁王様







鎌倉時代には中門のご守護をされていた狛犬さま







振り向けば、鹿さん




さあ、ホテルに戻りましょう!




お向かいは春日大社





奈良国立博物館






氷室神社





帰りは地下道から


平城京は、驚く広さなのです。

発掘された跡地の広いこと、ドーム何個とかそんな広さではありません。


古代、どれだけたくさんの人が暮らしていたのでしょうか。










8時50分

近鉄奈良駅まで戻り、ホテルはもうすぐ。

着替えて9時に出発です。

時間ピッタリ✨



あ!お坊さん。

おかげさまで、何十年か振りの奈良散歩をして参りました。

ありがとうございました。



後で気が付きました。






その日の式の前に配られた冊子は、


義父が作った本でした。




驚いた事に、1ページ目の一句目が、東大寺でした。




近鉄奈良駅の駅前の、お坊さんは、


行基菩薩だったのですね。




教えて下さってありがとうございました。





全てのご縁の点は、ある日突然、繋がるのだなあと教えていただきました。



お読みくださいましてありがとうございました。

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