泉神社の続きです。
拝殿が見えてきました。
鳥居の秘密めいた何も見えない感じから嘘のような明るさでした。
常陸二十八社
泉神社
常陸国風土記の記載内容の
久慈郡の項には、
此より東北二里に、密筑里あり。村の中に浄き泉あり。俗、大井といふ。洽く冬温かなり。湧き流れて川となる。夏の暑き時には、遠邇の郷里より酒と肴とを齎賷きて、男女会集ひて、休ひ遊び飲み楽しぶ。其の東と南とは海浜に臨む。石決明・棘甲贏、魚貝等の類、甚多し。西と北とは山野を帯ぶ。椎・櫟・榧・栗生ひ、鹿・猪住めり。凡て海山の珍しき味、悉に記すべからず。
私は御岩神社参拝の帰りには元々、245号線沿いの、こちらのお味噌に惚れ込みまして、必ず寄ってお味噌を買って帰っていたのです。
初めて、造り味噌屋のお味噌って、本当に美味しいお味噌なのだなと、知ったお味噌屋さんで、
その後、色々なお味噌屋さんで買ってみましたが、ここを超える味噌がありませんでした。
が、
今年、自分で作った味噌はとても美味しかったので、卒業できるなと思った矢先の、
泉神社との出会いで、やっぱり毎年このルートを通ることになるのでしょう。
密筑(みつき)→水木(みずき)
と、変わったそうです。
だから、みずきの庄だったのですね。
豊富な山海の珍味に加えての、水が豊かな土地。
味噌作りにはぴったりな場所です。
常陸国風土記は、
奈良時代の初期713年に編纂された、茨城県の地誌です。
編纂者は不明とありますが、
常陸国司であった藤原宇合(うまかい)(藤原鎌足の孫)によって完成したとする説が有力です。その内容は単なる報告ではなく文学性に富み、当時の習俗・社会のありさまが断片的にうかが窺えます。常陸国の各郡ごとにその地の特色などが記載されており、特に鹿島については神と人間の理想郷として書かれています。
鹿島を理想だと編纂している所が、藤原氏であると思われる所以です。
泉神社の御由緒には、
泉神社は人皇第十代崇神天皇の御代、宇治49年(紀元前42年)にこの地方に鎮祀されたと伝えられている。
延喜式内社の由緒深い旧郷社である。
久自國造船瀬宿禰(くじのみやつこ ふなせしゅくね)の奏請により、大臣伊香色雄(いかがしこおのみこと)が勅命を受けての久自の国に至り、天速玉姫命を祭祀して、久自の国に至り、天速玉姫命を祭祀して、久自の国の総鎮守としたことが泉神社の創立である。
社記に「上古霊玉此地に天降り霊水湧騰して泉をなす号けて泉川云ひ霊玉を以て神体とする」とある。 ご祭神はこの霊玉を神格化した天速玉姫命をお祀りしている。
「東夷の荒賊を平討する」最前線基地としての地域性を反映し、古くから多くの武将が祈祷に参拝している。
とあり、
いきなり、崇神天皇
で引っかかってしまいましてブログが進まず、
だって、別名が
御間城天皇(みまきのすめらみこと) - 『日本書紀』で、
妃の名前も、御間城姫(みまきひめ、御真津比売命)
で、同じ名前で、
兄弟説が有力ですが、兄弟を皇后に立てる??
同一人物とか、女性だった。とかのほうが面白いのでは。
なんて、空想していたら、めちゃめちゃ時間がかかり、しかも、何度もブログが消えるというね。←もう、書くのを諦めようかと思いました。
ご祭神が、天速玉姫命 様
という日本神話に出ていらっしゃらない神様であるというのも、
御間城姫 と同様に謎めいていて、
物部氏VS藤原氏の歴史の流れを感じるのは私だけでしょうか。
久自國造船瀬宿禰
『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、成務天皇の御代に物部氏の祖・伊香色雄命の3世孫の船瀬足尼(船瀬宿禰)が初代久自国造に任命されたという。
なので、
久慈川(久自)に派遣された物部氏であります。
大臣伊香色雄
伊香色雄命(いかがしこおのみこと)は、『記紀』等に伝わる古墳時代の豪族・物部氏の祖。『古事記』では伊迦賀色許男命と表記する。崇神天皇7年に大物主神を祀る「神班物者」(かみのものあかつひと)に任じられたと伝えられている。
この方も、物部氏なので、
紀元前の頃には、
久自は、砂金が取れたり、不老長寿の秘薬である鮑が取れたりするという、豊かな土地であるという事が中央の豪族達は知っていたのですね。
崇神天皇は、ヤマトタケルのお父さんである景行天皇の二代前の天皇です。
常陸には、ヤマトタケルの話もありますので、
物部氏から、藤原氏へ、流れて行ったのでしょう。








