こんばんは
そこは、とても古い場所で
中臣鎌足の出生地は、奈良県橿原市の藤原説と鹿嶋市下生説の二つがあります。下生説は、平安時代後期に藤原家がまとめた『大鏡』に、藤原鎌足は鹿島神宮のある常陸の鹿島で生まれたと記されています。鹿嶋市に残る言い伝えでは「神官の子として生まれ、名を鎌子といい、極めて利発な子でしたので、奈良の都へ行かせ、中臣本家に養子となった」とも伝えられています。
1300年も昔の話なので、私の読解力では調べようもないことばかりなのですが、
ワクワクします。
だって、鎌足さんは、1300年前に何らかの用があって、
鎌倉を通り、鹿島神宮へ行かれたのは、アリアリのアリ!だと、
思う。
その
鎌子が、鎌を埋めた場所が、浄妙寺にあるのです。
さて、この、1300年の数字。
そうです。
こちらです。
それでは、タイムマシーンに乗って御一緒に出かけましょう!
鎌倉の長谷寺縁起の絵巻物によりますと、
開基となる藤原房前の援助を受けて徳道が二体の十一面観音を造立し、行基によって開眼供養した一体を海に流して15年の月日をかけて流れ着いたのが横須賀の長井の浜だったのだそうです。
行基と言えば、
聖武天皇の帰依を受けて、東大寺の大仏を作った方です。
そして、長谷寺を開基された、藤原房前(ふじわらのふさまえ)は、
藤原不比等の子で、鎌足の孫にあたります。
また、聖武天皇の妻、藤原光明子は藤原不比等の娘なので、
1300年も前から奈良と鎌倉、そして、鹿島は信仰と政治で一直線に繋がっていたのですね。
その年代に開基された鎌倉で一番古いお寺は
杉本寺で
杉本寺は、天平(てんぴょう)6年(734年)聖武天皇の后である光明皇后の御願により、藤原房前(ふじわらのふささき)、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)によって建立されました。御本尊は天平6年(734年)行基菩薩御作(ぎょうきぼさつおんさく)、仁寿元年(851年)慈覚大師円仁御作(じかくだいしえんにんおんさく)、寛和(かんわ)2年(986年)恵心僧都源信御作(えしんそうずげんしんおんさく)の三体の十一面観音様です。
聖武天皇
光明子
行基
藤原房前
同じ方々によって、観音様のお寺として創建されております。
同じ頃、鎌倉近辺で、開基されたお寺はほとんどが行基の開基といわれていて、
杉本寺、岩殿寺、長善寺、神武寺、満福寺、星の井寺、甘縄神明宮で、ほとんどのお寺が観音様をおまつりしていて、
岩殿寺以外は、行基開基といわれています。
そのどれもを頼朝が厚く信仰したことも興味深いです。
なので、鎌倉へ行く機会があれば、
御先祖の鎌足が鎌を埋めたといわれている、浄妙寺の鎌足稲荷神社
鎌倉で一番古いお寺の、杉本寺
鎌倉で一番古い神社の、甘縄神明宮に伺ってみたいなと、思いました。
ややこしくてすみません。
続きます。
長々とお読み下さいましてありがとうございました。
今夜は、1300年前の夢をみられるかもです😌
皆様心穏やかに過ごせますように。