こんにちは
海南神社の続きです。
神楽殿の、古代の神話の額縁にも、驚きましたが、
見た事のない絵面の大きな、オブジェがありまして、
相州海南高家神社
(そうしゅうかいなんたかべじんじゃ)
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以下ホームページより
祭神
磐鹿六雁命は日本書紀(七二〇年)第十二代景行天皇が、悲劇的な最後をとげた日本武尊、東征の跡を偲んで、三浦半島から安房上総に巡行された時、天皇の料理賄方を司った神様です。
後に宮中にあって大膳職の長となり、わが国における料理の祖神として食にかかわる人々に崇められています。
神社右手の包丁塚は、人の食生活の伴侶として務めを終えた包丁に感謝を捧げ、人の食膳に供された鳥獣魚菜の霊をなぐさめる碑です。
包丁奉納殿は、使い古された包丁に労わりの心をこめて納めるところです。また、永かった料理賄の仕事場を去る料理人が愛用の包丁を納めるところでもあります。
後に宮中にあって大膳職の長となり、わが国における料理の祖神として食にかかわる人々に崇められています。
神社右手の包丁塚は、人の食生活の伴侶として務めを終えた包丁に感謝を捧げ、人の食膳に供された鳥獣魚菜の霊をなぐさめる碑です。
包丁奉納殿は、使い古された包丁に労わりの心をこめて納めるところです。また、永かった料理賄の仕事場を去る料理人が愛用の包丁を納めるところでもあります。
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調べてみましたら、
磐鹿六雁命様(いわやむつかりのみこと)が
景行天皇に献上して、喜ばれたお料理は、
ハマグリの料理だそう。
え?これって…
デジャブ??
300年代に、走水神社の包丁塚にお祀りされていた、日本武尊様に料理を献上して、大和朝廷の料理人になったとされる
日本武尊様により姓名を賜わりました、大伴黒主氏が、献上した料理もハマグリの料理でした。
磐鹿六雁命の家系は、曽祖父が第8代の孝元天皇、祖父はその皇子の大彦命、父親は比古伊那許志別命(大稲腰命)とあり、磐鹿六雁命は天皇家に繋がる家系の出であったことが分かり、
その後、天皇の料理を作る職を世襲によって務め続けた一族となってゆくのだそうです。磐鹿六雁命様が、景行天皇から賜った、姓が膳臣(かしわでのおみ)で、料理を司る役職名が膳大伴部(かしわでのともべ)というのは、
大伴黒主から来ているのかな?
とも、思いました。
大伴黒主がいつの間にか帝の血筋になっていたとしてもおかしくはないので、ロマンが広がります。
怪我をしないで過ごせますように。
祈りました。
相州海南高家神社の脇に階段がありまして
拝殿の右側の階段を登りますと、金比羅宮があります。
登りました。
ここ、おかしいね?
気が枯れてるよね?
という会話をしたのですが、その時はわからなかったのです。
写真を見ていて気がつきました。
右側、木が枯れています。
明るい
暗い
空気が澄んでいるなどの雰囲気で
具体的な事実以外を、心が感じる事は、あながち間違っていないという、気付きがありまして、海南神社のブログは終了です。
三浦半島巡りも、もう少しで終わります
皆様に良い気付きが訪れますように。