話はまた時期を飛ばし少しさかのぼります。


長女が嫁いで直ぐ、私は実家の父親宛に手紙を送りました。


内容はB5用紙に打ち出して10枚以上になりました。


父親が知らなかった母親の姿を明確に書いたり、その為に自分自身のケアに専念したい意思。


生きてゆくために親子の交流を一切断ち切るというお願い。


その理由として、我が子までが毒にさらされてきた経緯と我が子を守る意思などと


両親や親族が言うところの育ててくれた恩義に対する感謝と謝罪がありましまから膨大な量の文章となってしまいました。





分籍は既に成されていたので、後は事実上 被害を被らないように日々を過ごしてゆくための策を取りました。



自宅にはセコムを完備して(コレがないと父親が勝手に庭に入り 気に入らなければ寄せ植えの鉢も蹴り倒されてしまうので。)電話は一切 取りませんでした。



父親宛に手紙を書いた事が正解だったらしく、一切の連絡は来なくなりました。




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時が過ぎ


父親は胃癌を発症。


私が再会した時は末期を迎えていました。



父親は検査や通院をことごとく拒み自宅で衰弱していたのを


母親に促され段取りされ

「娘のせいで鬱病になったに違いない!」

と、驚くことに精神科に入院したそうです。




父親は会長職も退き、絵を描いたりして過ごしていたようですが段々に食事を摂らなくなり


起き上がるのも苦痛だったそうです。



精神科入院中に医師がやっと腹水で巨大に膨れ上がった腹部に気付き、転院となり私に連絡がきました。


母親からの連絡は奇妙としか言いようがなく、私が仕事のため着信を逃したら

自宅玄関前で大声で私の名前を叫び

呼び


セコムが来るか警察がくるか?という騒ぎよう。


しかし折り返し電話をしても出ない。

私は数十回の発信記録を保存しました。
そうしなければ父親と再会しても恩義を踏みにじる娘と罵倒されることは火を見るよりも明らかだったので。


母親は、


こんなに娘を呼んだのに無視された!
というパフォーマンスをしたかったワケです。






父との再会


迷いました。


丁度、私は厳島神社に仕事で出掛けていましたが軍人のように厳しく 怒鳴り散らしていた印象しかない父親でも、やはり会うべきだろうと


厳島神社で授かる事ができる宮司様の衣で作られた御守りを購入し、


新幹線で帰宅。その足で病院に向かいました。



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病室を開けると父親はゆっくりと私に目を向けました。


病室には無神経極まりないヘルパーさんが雇われて付き添っていました。



瞬時に


私でなければ何の手配も治療の話し合いもムリだと理解しました。



父は


私をみて


「俺は、、、誰でもない。。。ただ、おまえに、、、会いたかった。」



そう言って涙ぐみました。


私は厳島神社の御守りがどんなに有り難いかを説明し、父に持っていればきっと力を貸してもらえるよ、と話しました。



父は


御守りに手を合わせ


「日本は、、、神道の国だからなあ。
おまえは、今、本当に、、良い仕事をしている。」


初めて父は私の在り方を認める言葉をくれましたが、その時はピンときませんでした。



なにせ仕事に関しても母親から


「他人の不幸に関わる仕事など、ロクな仕事じゃない!」


と散々に罵倒されていましたから。



それから、
毎日 私と父の


人生で最初で最後の親子2人の時間が始まりました。



最初で最後の。



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父はその時 既に退職金や持ち株 1億円以上を会社後継者に渡していて、入院費の心配をしなくてはならない程でした。



父は、会社の後継者に恐らくは税金が課せられない手段でかなりの財産を譲渡していたようで


父の死後


よくわからないまま消えた1億円以上が私のタンス預金になったと追求されるのも困るという事で税理士と相談し

国税局が動いても身の潔白をスンナリ証明できるように会社後継者に対しての調停だけはしておく事に決まり

一通り相手側の様子だけ記録して取り下げました。




私が欲しかったモノは。。。お金ではなく


父に愛されていた という確信だけを求めていました。



父は そんな経緯からもあらゆる治療を拒否し

終末医療に転院し 延命措置を終わらせました。


死の間際まで来る日も来る日も


「会社後継者を信じていたのに。。」

「このまま死ぬのは情けない。。。」



と悔しさに苛まれていたので私は病室担当者に相談し

シスターと死を迎える父親との面談をお願いしました。






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終末医療の病院に転院した日 母親は担当医の白衣に現金封筒を捩じ込もうとして

あわや入院を断わられるほどに叱られてしまい


父が終末医療の個室に落ち着くまでは日々 仕事と病院の手続きなどで私は元々の拒食気味のせいか激しく痩せてしまい


葬儀までは毎日が闘いでした。




父との終末医療での短い生活と財産行方不明はまた後日に書きます。



いよいよ父親にモルヒネなどの最終治療に踏み切りますという話がされ


私は


ただただ胸がいっぱいで溢れる涙(他の人達が親の死を目の前にして哀しむ涙とはかなり異なります)を拭きながら同意書にサインし帰宅。



母親は待ち構えていたかのように、経緯を私に聞いたので


最終緩和ケアに入ったから、同意書にサインした。
もういつ息を引き取ってもおかしくはない。


という状況を説明しました。



母親は


半狂乱になり


「だったら直ぐに病院に行かなきゃ❗️
私はね 私のお父さんに対する思いは、あなたとは違うのよ❗️」


と叫び


このセリフは父親が他界するまで続き
父親の死後も繰り返し繰り返し言われる事態になってしまいました。


このセリフのために、私は父他界後かなりメンタルをやられ苦しむ事になったので


毒親を持つ人が毒親の死に直面したら


絶対に貴方の味方をしてくれる人

大切に思ってくれる人

のサポートを大事にして


ご自身の心身を守る事を第一に考えてください。


問題が無い親子関係の家庭とは全く違う事態は大いに有り得るのです。


私自身 メンタル面をサポートしてくれる人が皆無でしたから大変に辛い日々でした。



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私の手元には父親の遺影はありません。


母親が持ち去りました。

返して欲しい!と。


遺骨は父親が嫌がっていた寺に持っていったようです。


遺影は携帯に保存してある画像をプリントアウトすればそれでよいので、別段 困りはしません。



その画像に時々 話し掛けています。



「お父さん 今ならわかるのかな?

私ね 寂しかったよ。ずっとずっと独りぼっちだったよ。


そして今 やっと幸せだよ。


なにが幸せか 本当の幸せはお金なんて最低限しか必要ないんだって今ならわかるのかな?」



病室で

父は その時 婚約中だった私のパートナーの手を握り


「娘達をよろしくたのむ」

と言った 1時間後に静かに息を引き取りました。

シスターとの面談は間に合わず

父親は最後まで此の世に未練と後悔と様々な思いを抱えたまま亡くなりました。




そして母親に父の死を告げた数時間後


「なんでもっと早く言わないの❗️銀行口座が凍結したじゃないの❗️」


そう言い放たれ


私は生涯 この母親を愛する事はできないと改めて実感しました。