なんというタイトルだ(笑)
我ながらおかしなタイトルだと思う。
父親が延命措置を拒否し、終末医療に転院してからは本当に病院スタッフにはお世話になりました。
尊厳死についても多くの知識をくださり、きっと生涯 感謝を忘れないでしょうし
世の中に尊厳死という選択がもっと理解されてゆくようにと願っています。
数々の死をみてきたスタッフや看護師さんは、患者家族のケアにも時間を作ってくださいました。
私は担当の看護師さんに、虐待された経緯、その為に今でも父親の看病には抵抗があることや絶縁していた事などを簡単に話しました。
看護師さんは私の手を握り
「それでも来てくれてありがとう。」
そう言ってくれ、私は涙が止まらなくなりました。
他にメンタル面を支えてくれる人が居なかったので(次女の助けは大きかったのですが、我が子に毒親他界の強烈な苦しみを余りみせたくはなかった。)
終末医療や緩和ケアについては父親は生前 若い頃から希望していたし
私自身もそうなった場合は延命措置はしないと決めているので
父親との話はスムーズに進み(父親との話がスムーズに進んだってこれが人生で最初で最後じゃなかろうか?)
早い段階で転院先を探せました。
その病院は全て個室で食事制限もなくアルコールもOKで、温泉に入ることも終活に出掛けることも可能でしたし
部屋からベッドごと広いバルコニーに出て空気を感じることもできました。
父親は胃癌でしたし末期なので食べ物は全く受け付けず
病院の談話室にあるカキ氷を部屋に持ってきてもらい好んで食べていました。
必ずメロン味を欲しがるので父親は口の中が緑色になっていて
担当医や看護師さんたちがそれを見て、笑い話にして父親を和ませてくれたりもしました。
丁度その頃 私がある雑誌の連載をスタートしていたのを父に話したら。。。
父親は物凄く喜び、連載記事だけでなく、私の載った雑誌を看護師さんやスタッフに自慢しまくる親バカ健在(笑)。
であれば私が成長する過程で、そうやって褒めて欲しかったよな〜。
父親に対しては怒りや怨みなど全く感じていなかったのですが、私はいつも、どこか冷静でした。
嘔吐を繰り返す父親の背中をさすったり、口元を拭いたり、
「苦しい。。。辛い。。。情けない。。。」
と心身の苦しみを訴える姿をみても、父親が眠ってしまうと
私はボンヤリと病室の窓から夕陽を眺めて
「今のお父さんと、あの子供時代の私、
どっちが苦しいのだろう?
同じくらいなのかなあ?」
「こんなに此の世に思いを残して亡くなったら、浮かばれないでさまようのかなあ?」
なんて考えていました。
周りからは物凄く冷静な表情をした娘に見えたと思います。
父親はとにかく誰にも会いたくない!と言いました。
特に会社後継者には会いたくないと。
死を迎える人の為の本を読みあさりました。
本にはできる限り会える人には会って、分かり合えるよう話が出来たら良いと書いてありましたが
会長職だと自負してきた父親を見舞う社員は1人としていませんでした。
起業した頃からの友人や仲間がポツリポツリと見舞いにきましたが、寂しさと後悔の日々だったと思います。
どんなに仕事する姿勢を貫いて生きてきても
どれほど金儲けをしてきても
人間は死を迎える時
自分の人生を振り返って 後悔するか、或いは、思い残すことはないと満足するか
それがどれほど大切かを知っている人は少ないのかもしれない。
父は窓から遠くを眺め
「あそこにある建物、見えるか?
アンの仕事が成功して、俺が退職した時、アンは温泉に連れていってくれたよなあ。
部屋から遠くまで見えたなあ。」
そんな話を懐かしそうに話していました。
「アンは仕事が忙しくなって本当に良かった。」
「それはお父さんの仕事を子供の頃からみていたからできたんだよ。
経営者がどうあるべきかを晩酌しながら話してたじゃない。」
そう父に伝えたけれど
父は寂しそうに
「見ていてわかる人間ばかりじゃない。
見ていても何もわからない人間が多い。
アン、万が一お金に困るような事が起きても絶対にお母さんだけには相談するなよ。
あいつは金に汚い。」
私はこの言葉を生涯忘れない。
そりゃそうだろ。
自分の子供を育てた事で死ぬまで恩義がある 恩義があると言われなきゃならないのだから。
要するに
父親は私を愛する気持ちはあったのだろうけれど
どう愛したらよいかわからなかったし
我が子よりも自分が可愛かったのだ。
自分が価値を感じるような状態の我が子でなければ愛せなかった。
条件付き愛情だった。
それが少しずつ少しずつ氷山が溶けるように
父は私を無条件で我が子として愛そうとしていた。
だけど時間は短く 父はあっと言う間にモルヒネ投与となり
幻覚や夢の中で過ごす日々となった。
幻覚なのか夢なのか、ある日 父は私に車の運転を教えていた。
握った手を離さず
「ブレーキをゆっくりかけて。ハンドルはゆっくり切って。」
そんな事を しどろもどろに話していた。
私は病室には毎日は行かなかった。
精神が持ち堪えなかった。
病院に行く日を減らしても、それでも食事がほとんど摂れなくなり
仕事は半分に減らし 収入も半分以下になった。
母親はそれを私の娘に
「ママねー!利益落ちて借金数千万円あるんだってぇ〜〜❗️」
と言って鼻で笑った。
どこでどう、ありもしない借金というワードが出たのやら。
母親は父親の口座から1日50万円をATMで引き出し続けていて、そのセリフってなんなんだ?
(後から生前財産分与で大変な税金の支払いになり、それでも悪態をついていた。)
つまりアナタ父親が入院したら、毎日お金が豊かになり、楽になり、幸せいっぱいを隠せないのだよね?
それならそれで、人前で悲劇の主人公になるのは辞めて欲しいもんだ。
とにかく母親は、娘が自分より不幸であればあるほど快楽を感じてドーパミンが放出されるから嬉しそうな顔は隠せない。
人間は快楽を求めてしまう生き物だとしても、セーブする力も働くワケなのですが
毒母の脳にはその機能はなかったらしい。
こうして、私達は毒母が喪主という見栄張りで、毒母主人公の葬儀に突入した。

