人の気持ちが理解できない人は貧しい人よりも不幸です。
その言葉を読んで
『そうだよね!』
と改めて感じました。
お話は現在に飛びます。
今、人を愛することが幸せです。
過去には愛情飢餓状態が続いて、わかって欲しい 受け入れて欲しいと見捨てられ不安に何度も襲われていましたが
自分が人を愛することや、人の気持ちに共感したり 或いは 誰かの役に立てることに損得感情はなく
ただありのままの自分が寄り添えたなら、それが私が私として生まれてきた理由であり修行だったのだと思うようになってからは
日々 心が穏やかなんです。
だから今 文章にする事に抵抗を感じないのでしょうね。
つい先日 やむなくクライアントさんについて(そのお子様)命と心の危険を感じ 児童相談所に通法せざるを得なかった時
胸が張り裂けそうでした。
どう考えても電話口の向こうの人は敏速に対応するようには思えなかったこともありますし
お子様の命が守られても愛着障害が発症していれば、何処で暮らすかは人生を大きく左右するはず。
そんな経緯を知人に相談した際
『虐待やネグレクトは子供に受け継がれますから、その判断しかないでしょうね。』
という返答でした。
それは余りにも、その子がかわいそうです。
その子は成人するまで、成人してからも自分の中の過去や傷と向き合う時間が必要とはなるでしょうが、必ずしも虐待をした義父、それを放置した母親と思考が同一と言い切れないはずです。
ですが、実際には被虐待者は受け継がれていると思われてしまいがちですし、
そんな自己暗示や人からの警告があったがために結婚や出産を拒む人をたくさんみてきました。
本来なら誰もが幸せになりたいと思っているのです。
幸せになる資格がないという毒親からの洗脳だけでも辛いことなのに、世間からまでも洗脳されては打破するチャンスを逃してしまいます。
1人でも多くの人が 親と子供は別の人間である事を前提として人を見るようになって欲しいと願って
私はこの文章を書いています。
また被虐待者である方が、洗脳されたままではなく夜明けはあり、幸せに生きる資格もあるのだと実感して欲しいと願って書いています。
毒親被害者が出版した本は時として読むのが疲れるパターンもありました。
それはカサンドラ症候群の人が執筆された本でも感じました。
被害者である事の哀しみだけでなく、怒りや憎悪、それが自分自身に向けられていると感じるケースほど哀しい気持ちになります。
あ〜。カサンドラ症候群は被害者という表現は間違っていますね。
パートナーを理解しようと歩み寄る人は絶対に被害者とは思わないですし
逆に
パートナーを憎む人は常に被害者でしかないので。
脳内構造は顔がそれぞれ違うように、違って当たり前なんです。
成人してからでも前頭前皮質は発達し続けると聞いています。
(脳に関してはMRIが進化してから本当に、昔はなんだったの?というくらい いい加減な伝説が勃発していたかを思い知りました。)
愛着障害により脳内の発達に支障をきたしたとしても、トレーナーとの信頼関係があれば人はいくらでも変わります。
大切なのは
変わりたい 幸せになりたい 愛したい 愛されたい
その気持ちが健康的な範疇で保たれながら
諦めないで生きてゆくことだと考えています。
パーセナリティ障害と診断された方も、実は、そうではなく単に良いパートナーやトレーナーやカウンセラー、お人好しのおばちゃんや、暖かいおばあちゃんと出会うチャンスがなかっただけでした。
深夜 相談申し込みがあると一瞬にして目が覚めます(笑)。
声に出して伝えようとしてくれてありがとう!
辛く苦しくても、もがき、泣き疲れても
「なんとかしよう。」
という気持ちが少しでも残っていてくれてありがとう!
そう 感じたりすると飛び起きて良かった〜。
と思います。
どうか 被虐待者が二重の苦しみを味わう事がないように。。。
そう願っています。

