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F5の地平

小宇宙を追求するブログ

とりあえず、第二子産まれました。
産まれるまでは順調だったのですが、色々ありまして怒涛の日々でした。
今、これを書いてる時は、上の子を実母が遊びに連れ出してくれていて、ウトウトしている下の子を抱えながらの穏やかな時間です。
上の子が戻って来たら、こんな穏やかな時間は吹っ飛びますので、この隙に書いておきます。

下の子は、陣痛開始して約2時間、病院着いてからだと約40分と超スピードで産まれてくれました。展開が早かったのでドタバタでしたが、結果的に苦しむ時間が短くて、母体のダメージが少なく済んだので、やはり二人目は楽だと感じました。
(その分陣痛は一気に痛くて大変でしたが)

問題はそこからで、産まれた日の晩に、赤ちゃんが上手く呼吸が出来てないことがわかり、産院では詳しい検査や治療が出来ないので、産院から車で片道一時間ほどかかる小児医療センターに赤ちゃんは救急搬送され、検査の結果待ちとなりました。
結果によってはまた産院に戻してもらえる予定でしたが、呼吸についてはすぐ正常に戻ったものの、血液の値でどこかに炎症がおきていることがわかり、結局そのままNICUで入院となりました。

産院に残された私には、赤ちゃんを追って医療センターの産科に転院するか、産院に残って医療センターに通うか、それとも産院を早めに退院して医療センターに通うかの選択肢を出されましたが、気軽に通える距離の場所では無かったのと、やはり赤ちゃんと離ればなれになってるのは精神的に落ち着かなかったので、一日産後の休養を取ってから医療センターに転院となりました。

かえすがえすも未練なのは、産院のご飯が美味しいと有名で、実際、豪華ではないけど味の染みた煮物や出汁の効いた味噌汁など、体に染み入る美味さの料理を全部食べられなかった事です…。
もちろん惜しかったのら食事だけではなく、実家からも近くて家族も気軽に会いに来れたし、先生も優しく、助産師さんもベテラン揃いで、上の子も泊まれる静かな個室だったので、そこでの産後の生活を本当に楽しみにしていたのですが、泣く泣くの転院となりました。

まだ産後でフラフラな体のまま、はるばる車で一時間かけて転院した医療センターで、一日半ぶりぐらいに我が子と再会。
抗生剤を24時間点滴しないとならないため、NICUでの再会となりました。
しかし、点滴以外では元気な赤ちゃんだったため、私の母乳育児生活をスタートさせるためにもと、NICU内の授乳室に私と子供が寝泊まりできる布団を用意してもらい、そこからNICU合宿がスタートしました。

今まで、幸いな事にNICUにお世話になるようなことは無かったので、もちろん初の体験でしたが、入室には実の両親以外制限が厳しかったり、手洗いなどの指導がかなり細かったりと、やはり「命の現場」であるんだなぁと実感しました。
実際、軽症なうちの子とは違って、24時間ほぼ昏睡状態で人工呼吸器を付けている子や、薬の副作用なのか顔が丸く膨れている子など、同じ子を持つ親として、見ているのが辛くなりそうなお子さんが沢山いて、うちは自力でおっぱいが飲める元気があってとてもラッキーなんだと実感しました。

しかし、そうは言っても点滴とモニターに繋がれた子、しかもまだお互いにおっぱいに慣れてない者同士での合宿は大変でした。
久し振りの母乳育児で水疱ができて痛いし、なかなか量も安定せず、特に初日は一時間おきぐらいに泣いて起こされ、フラフラになってました。さらに、NICUの中なので、席を外すには毎回看護士さん達に子供を預けたいと申し込んで、頭を下げながら行く訳です。だもんで、気軽にトイレや食事に行ったり気分転換するわけにもいかず、空いた時間はただひたすら赤ちゃんを抱っこしてうつらうつらしてました。
さらに、仕方ないんですけど授乳室とは言え機械音やモニターの電子音がうるさく、ずっと落ち着きませんでした。ああいうモニターの警告音とかって、耳に入りやすいようにするためなのか、わざと不快な音(緊急地震速報とかそんな音になってますね)なの?と聞きたくなるほど耳障りで、退院した今もまだ耳に残ってます。
また、母乳育児を管理する上で必要なんでしょうが、毎回毎回授乳の度に飲ませる前と後の体重を計らねばならず、さらに点滴をしているために毎回看護士さんを呼んで計ってもらわないといけないという心苦しさ。
まあ、色々精神的にくるものがありました。

そんな親の心理を悟ったのか、赤ちゃんは頑張ってくれて、あと数日はかかるかもと言われていた目標数値を急激に達成し、出産から約一週間で母子共々無事に退院できました。

自分の身に起こってみないとわかりませんが、本当に出産が無事に終わるかどうかなんて保証は無く、母子共に健康に出産出来るということはとても幸福な事だと実感しました。
そして、24時間対応の大変な職場で、不安になりがちな親に対して笑顔で接してくれるNICUのスタッフさん達は、本当に凄いお仕事をしていると尊敬せずにはいられません。
『職業に貴賎はない』とは言いますが、あの方達の仕事は間違い無く『貴』であります。
元気に帰して貰った赤ちゃんを、上の子共々立派に育てる事で、恩返ししたいと思います。
今、しんみりした気持ちでミカンを食べてます。
なぜかと言うと、この美味しいミカンを来年から食べられないかもしれないからです。

このミカンは、毎年親戚のミカン農家をやってる伯母さんが送ってきてくれていたもので、我が家ではミカンは買うものでは無く伯母さんが送ってくれるものでした。
商売用ではないので、大きさがまちまちだったりすることもありましたが、野菜なんかも一緒に送ってくれていて、毎年ありがたく受け取ってました。
「秋と言えば伯母さんからミカンが届く」
というのが、もはや我が家の風物詩みたいなものでした。

ところが、今年のミカンが届いたのでお礼の電話をしたところ、今年がミカンを送る最後の年になるかもとのことでした。
なぜかと聞くと、もう伯母さん達も歳で、ミカンの管理が出来なくなってきた…と。
これまで育ててきたミカンの木も、来年は切ってしまうとこのとでした。

伯母さんももう70代で、体の無理がきかなくなってきた歳なのはわかってましたが、小さいながらも手入れの行き届いたあのミカン畑が無くなるのは哀しいことです。

自分で管理が難しいなら、人を雇えば…、と思うのが遠方の事情を知らない人間の性ですが、「そもそもお金を払うと言っても、手伝える人間がいない」というのが現実のようです。

伯母さんの住んでいる地域は限界集落で、70代の伯母さんが『若手』としてカウントされるという超高齢地域です。
私も子供の頃泊まりに行ったりしてましたが、9割は農家でほぼみんな親戚、1日にバスが一往復しかなく、小学校は全校生徒6名とか、そういう所でした。
数十年経った今、少しだけいた子供達も大半が都会に就職してしまい、動ける若手がいない。最近ではついにJAまで支店が撤退してしまって、車の運転が出来ない高齢者は、町に出て貯金を下ろすこともままならないという状態らしいです。
だから、昔は米やミカンの収穫には、その辺の親戚が協力してなんとか作業できてたらしいのですが、もう手伝おうにも動けない人ばかりで、伯母さんの家も、仕事の合間に手伝ってくれる子供達や孫達だけではどうにもならん、という状態になってしまったそうです。

もともと、伯母さんの家は専業農家ではなく、夫婦どちらも他に仕事をしながらの兼業農家でありましたから、ミカン作りをやめたところですぐに生計に困る、といった訳ではないでしょうが、それでも、先祖代々受け継いだあの山からミカンが消えてしまうのは寂しいものです。

ニュースなどで限界集落を再生させる試みや、都会から田舎に移住する人の話などが放送されていたりしますが、現実問題人が去ってしまった田舎の村に若者を呼び戻して地域再生…なんて、とんでもなくハードル高いよなあ、と嘆息してしまいます。
ちなみに、昔はあった全校生徒数名の小学校も、今はもう廃校になってしまったそうです。
こうなると子供の育てやすさを考えたら、田舎に住むという選択肢は、元々そこに住んでた以外では難しいなあと思う次第です。
もちろん、田舎でしか学べない体験とかも色々あるでしょうが、そう甘いものではない事を、ミカンを見るたびに思い出しそうです。

とりあえず、今年届いたミカンを大事に噛み締めながら食べたいと思います。
ちくしょう美味いよ伯母さん。
お正月…ではなく、予定日です。

妊娠初期の頃は、上の子を面倒見ながらのつわりやだるさに
「予定日ってなんて遠いんだろう」
と嘆息していましたが、気付けばもうすぐです。
長かったけど、振り返ればやっぱりあっという間でした。

お医者さんからは、もういつ産まれてもいい状態だから、入院の準備はしておいてくださいねと言われてますが、上の子もそうでしたが、今回の子も平均よりかなり大きな子になりそうらしく、そういう子は予定日超過しやすいとのこと。
言われてみれば、上の子も予定日を十日ほど過ぎても陣痛が来なかったので、結局入院して促進剤での出産となりました。

今度もそうなるかもしれませんが、前回と違って困るのが、実家に里帰りしているために、旦那を呼ぶタイミングがつかみにくいことです。
なにしろ今回は飛行機の距離で離れているので、そうそう気軽に呼ぶわけにもいかず、そして旦那の会社は秋が繁忙期のため休みのタイミングが難しいのです。

まあ、大人一人ぐらいなら移動なんてどうとでもなるだろうとは思ってますが、やっぱり産まれたらなるべく早く会わせたいというのが本音なところ。
予定日通りに産まれてくれたら、かなりベストな日程なのですが、こればっかりはねぇ…。

予定日通りに出てきておくれ~、と語りかける毎日です。