村上春樹の「街とその不確かな壁」を読みました。
寝る前にちょっとずつ読み、やっと読了。


昔は一晩かけて一気に読むような読書のしかたでしたが、大人になり、一気には読めなくなりました。



毎日ほんのちょっとずつ、ちびりちびりと読んでいました。




ベッドで読んでいたので帯がくちゃっとしています。笑



https://www.shinchosha.co.jp/special/hm/





そんな読み方でも、飽きて途中離脱〜なんてことにはさせない、流石の筆力です飛び出すハート



最初の印象は、
「秒速5センチメートル」が思い浮かぶな〜
でした。
あまり意味はないと思うんだけど、連想。
初恋の人を思い続ける男性ということで。



作者によるあとがきがあり、こんなことが書いてありました。



ホルヘ・ルイス・ボルヘスが言ったように、一人の作家が一生のうちに真摯に語ることができる物語は、基本的に数が限られている。我々はその限られた数のモチーフを、手を変え品を変え、様々な形に書き換えていくだけなのだ——と言ってしまっていいのかもしれない。

(街とその不確かな壁 p.661 あとがきより)




村上春樹は同じ話を何度も書くと、よく言われます。
確かに、自炊をよくするちょっとすかした孤独な「僕」が、何かを探して異世界に行くという、いつものパターン。


で、それをわかっているのに、むしろそれを期待して、また読みたくなる不思議。


「毎回同じことを書いてる」って批評も読んだことありますが、私は、
同じことを書くことになるのは、当たり前じゃん。
って思います。


だって、村上春樹は、心の中の、芯の部分をいつも出している。


芯の部分だからこそ、何書いても同じになるんじゃないか?
それを飽きずに読ませる書き手としての技術もすごいのだけれど、自分の芯と向き合って、それに触れられるのもすごいことだと思います。


私も、書き手としての技術はともかく(そこは才能も大きいだろうから)、自分の芯に潜ってそれと向き合えるようになりたいものです。


村上春樹の中の、大事なものを見せてもらった気持ちになって、私はとっても満足しました。


「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」もまた読もうにっこり
楽しみが増えて嬉しいです。





意外と技術が要ること

 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する