こんにちは~暑いですね
イムアです
昨年の秋頃のおはなし。
やたら仕事が忙しくて、
イライラしてることがあったりして
夕方、室内干しをした洗濯物を片付けていた
夕方とはいえ、もう真っ暗だった

むかしむかし、
まだ息子が未就学児だったころ、
わたしが一人きりで本音と向き合えるのが
この2階にある室内干しスペースだった
あの頃はまだ正社員で週5日働いてたし
今よりも多動でせわしい息子と
乳児の娘もいて
出勤する車内も、買い物も、お風呂でさえも
一人になることがなかった
あの頃は
まだまだ成長してほしいと願う気持ちが大きくて
息子の成長の可能性を過度に信じていた
信じてないと成長できずに止まってしまうような焦り
だから、
出来てることよりも、出来ないことにばかり目がいって
周りの子たちと比べて、わたし一人焦っていた
一人で自由になれないストレス
結婚して出産して、そんな夢が叶ったはずなのに
わたしはなぜこんなにしんどい?
病気をもってなかったら、息子はどんなかんじだったんだろう?
知的障害がなければ、息子はどんなかんじだったんだろう?
そんな考えに囚われた時期もあった
息子がいなかったら?
息子が施設に入所して、いまこの家にいなかったら?
わたしはラクになるんだろうか?
いや、預けたことを家族に責められ、自分を責めるんじゃないかな
そんなことを考えることもあった
(そんなことを考えたのは、通ってた園に
生まれて持病がわかったタイミングで育てられないとなり
預けられた子が通っていたから)
こんなドロドロした考えはよくない
でも考えずにはいられない
こんなわたしは駄目だ
そんなことを毎日グルグル考えながら
わたしは乾いた洗濯物をカゴへ投げていた
結果、それをやってたら、飽きた。
いつまで同じこと考えてるんだろう
生産性のない思考
その時期のときのことを、
今でも思い出す
そんなわたしがここで洗濯物を片付けてたな、と

昨年の秋
イライラしてドロドロな気持ちになってるわたしは
そのころのわたしを思い出した
あの頃は、一人必死にやってたな
まいにち笑ってなかったわけじゃないけど、
もっとかわいい息子を見てればよかった
なんなら、あの頃の方が、今よりもよく喋ってたのにね
今はどうだろう
毎日、いつ起きるかわからない息子の発作を予測しながら
悪さをしてくれなければいい
学校に行けてたらいい
発作で倒れることもあるけど大けがしなきゃいい
もっと自立してほしい
できることを増やしてほしい
そんな願いは、いつの間にか捨てた
どこまで望んでいいのか、それがわからない
わからないから、可能性を願えない
そうだな、
わたしは息子には成長することの期待はしてない
あ、身長はまだ伸びてほしいけど
発作で倒れるのに支え切らないから小さいままの方が都合がいいのか…
ん????
わたしはいま「育児」をしてるのだろうか?
10代の息子の世話をしてるけど、
こんな思考が「育児」といえるのだろうか??
これは、「介護」じゃないのか?
気づいてしまったわたしは、
ドロドロと真っ黒に染まったような重たさで
沈んでいくようで
荒ぶる感情はなく、意外と冷静で
涙が出たかどうかは覚えてないけど
笑いがもれた

気づいてしまった
わたしはどこへ向かえばいいんだろうか?
つづきます
さぁ、いっぽ前へ

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