⑤ 何も決めない日本の上司・変化を拒み、保身を図る体質

 

(前回まで4回にわたって、投稿したこのテーマに関する記事については、「日本流Followership-何も決めない、変えない日本の上司①~④」をご参照ください。)

 

 

さて、このような典型的な日本の会社の「上司」、あるいは中間管理職は、一般的に、とにかく変化に対して鈍感というか、変化を拒む体質にあると思います。今回はその「体質」がどうやって形成されてきたのかを、角度を少し変えてみてみたいと思います。

 

最初の視点は、日本企業の多くみられる、日本型の人事制度、人事評価制度に起因されると思われる部分です。

典型的な、日本の大会社の人事評価制度でも、最近では、年度毎の達成目標を定めて、それに対し達成度を評価するという考え方は取り入れられていると思いますが、問題は、その「目標設定」にあります。

日本語は、ある意味とても便利な言語で、「曖昧」に表現することが極めて簡単にできますので、制度がしっかりと明確に目標設定のルールを作ってないと、この日本語の「曖昧な部分」と相まって、理解出来たような、出来ないような曖昧な、そして、「結果はまだ、出ていないが、それなりの進展がみられる」とか。「事業環境が大きく変化したわりには善戦した」とか、いわゆる「よく頑張った」的な評価を、上司の上司もつけてしまいがちではないでしょうか?


 

外資系の人事の世界では、もはや基本中の基本となった、評価の目標設定のルールですが、

目標の設定はSMARTでなくてはいけないのです、つまり、S(Specific, 具体的に)
M (Measurable 測定可能な) A (Achievable 達成可、能な) R (Related 経営目標に関連した)TTime Bound 時間的制約がある)

とこらが、日本の会社では、このSMARTが守られていないケースが多く、営業や千三現場のように、営業目標や生産性のKPIという指標が日常的に使われない部門や中間管理職の立場では、とくに定量的でなく、定性的な目標設定となっているケースが多いと聞きます。

そうであれば、抜本的な改革を伴うような目標設定をせず、前年度より、少し向上したとか、異なる取り組みをしたとかというような取り組みや、数値目標も会社全体や部門全体のものをつかって、その中間管理職個人の独自の目標設定や実績管理になっていないように思います。


確かに、一年では結果が出ないケースや、定期的な人事異動がある会社では、前任者が苦労して巻いた種を、後任者が来た途端に成果がでるというケースもあるでしょうが、大切なことは、やはり中間管理職が個人個人として、「自分として何をめざして一年間仕事をするのか」という具体的かつ、測定可能な目標設定をさせるよう経営陣が指導する必要があると思います。(次回に続く)

 

 






11 自信と慢心、謙虚と弱気の違いについて (その③)

 

 

 

また、自分自身を自分で成長させ、より高いレベルのビジネスマンを目指し、また、仕事をする力を身につけるという目標に向かっていくにあたっても、この、「謙虚さ」と「自信」のバランスは大切ではないかと思います。


部下を「その気にさせる」には、やはり、よく言われるように、「褒めて育てる」ことは非常に重要です。つまりは、その人の仕事ぶりや成果の中での、いい部分、よくなった部分を必ず褒める、あるいは、フィードバックするということは、上司として、まずは基本中の基本ではないでしょうか。もちろん、歯の浮いたようなお世辞を言えといっているわけではなく、的確にまた、褒められた相手が、「ああ、よく見ててくれている」と思うようなタイミングと具体的な事例をもって、褒めることがなによりも、意味があるわけで、そういういいフィードバックをもらうことで、部下の人は、いわゆる「やる気」が沸き起こるものです。と同時に、「君にはさらに上のレベルに向上していってもらうよう期待している」

といったコメントを付け加えることで、実際に問題がある部分や、もっと努力を必要とする分野に対し、謙虚に取り組むよう指導するというのが、より効果的だと思います。

 

一方、自分自身のなかでの、「謙虚さ」と「自信」のバランスですが、これは、ある意味、

百人十色、人間、みんな性格が異なりますので、それぞれ、自分自身で、どういうバランスで自分を褒め、戒め、また、「その気」になるような気分の高揚を施していくかを考え、実行するこということでしょう。

私の場合は、やはり、新しい職責についたときや、転職し、新しい組織に入っていくときなど、不安と期待が入り混じるような状況では、できるだけ、期待の部分、つまりは、新しい世界や知識、新しい人との出会いなどに対し、長年の経験から、自分の好奇心を鼓舞し、できるだけ、不安な気持ちを払拭するよう、自然と行動しているようです。


また、どうしても、自分の中での、直接的な経験が限定的であったり、その分野の知識が限定的であるような案件において、自分が説明したり、あるいは、プレゼンテーションをする必要がある場合は、やはり、どうしても、「うまくできないのではないか」という不安が頭をよぎります。この場合、なぜ不安になるかというと、それは、やはり、周りからの評価を気にしてしまうからだと思います。準備を十分にしても、経験と知識が限定的な分野の場合、どうしても、「うまくできない」可能性が高くなります。そのような場合は、「うまくできない」のがあたり前で、周りも自分がうまくできなくても、厳しい評価をしないだろう、あるいは、厳しい評価をするほうがおかしいというぐらい、いい意味で開きなおり、自分がいかに興味をもって、その限定的な知識しかない分野に取り組んでいくかという前向きな気分に自分をもっていくことで、「弱気」と対峙するようといいと思います。

 

また、一方で、自分が一番よく知っている分野、一番経験も多く、いろんな意見をもっている分野に関し、会議があったり、あるいは、同席する他の人がプレゼンテーションをするような場合、また、自分の部下がそういった自分の得意の分野に関し、提案をもってくるような場合は、逆に、どうやって自分の慢心をコントロールするかが肝要になってきます。


自分がよく知っていること、経験が豊かな分野について、議論があったり、説明がもとめられるような会議や交渉の場面で、その場において、自分に求められている役回りを理解せず、いわゆる独壇場のように、自分のより深い経験と知識で、議論や説明を仕切ってしまうと、当然、自分自身は、高揚感に包まれるかもしれませんが、それを周りがどう思うか、どう評価するかという部分が見えなくなりがちです。


このような状況は、きわめて慢心に陥りやすく、それは、たとえ、部下と一対一で、話をしたり、議論するような場面では、よりいっそう注意が必要となります。

つまり、自分の知識や経験をひけらかすのみになってしまいますと、部下や相手の人、会議の出席者からは、たとえ、意見や説明が的を得ていたとしても、あまり高い評価が得られないでしょう。


こういう場合は、とくに、謙虚に振舞うこと、謙虚に発言することが求められ、そのことにより、より人間的な部分や品格において、高い評価を得ることも可能となるでしょう。





⑩   自信と慢心、謙虚と弱気の違いについて (続き)

 

一方で、あまりに自分の評価に厳しすぎたり、謙虚すぎるのも、考えものという場合もあります。

大勢の人が集まる会議や、組織の上層部の人の前でプレゼンテーションをする、あるいは、大切な顧客との折衝の準備をしているなどといったとき、自分の話す内容をまとめ、あらゆる質問を想定し、その答えを準備したりしていても、実際の本番が近づくにつて、緊張し、心臓がどきどきし、時として、準備が十分でないため、本番で思ったような説明や交渉ができず、自分自身が考えても「失敗」したと思わざるを得ないような場合もあるでしょう。そんな時、周りも、腫れ物に触るように何もコメントしないこともあるでしょうし、また、上司や顧客から、厳しく叱咤されることもあるかもしれません。


いずれにしても、長いビジネスマン人生や、組織の中で働くにあたって、こういう失敗はつき物で、どんな人でも経験するものです。問題はそういうとき、あるいはそういった経験を自分のなかで、どう位置づけ、次につなげていけるかということです。


一度の失敗から、次回の同じような場面でも、また失敗するのでは、また、厳しく叱咤されるのではと弱気になったりすると、結果として、不安が先にたってしまうために、与えられた仕事の全貌が理解できす、十分な用意が出来ずに、結果として、不出来になってしまったり、そして、それがもとで、常に自信が持てなくなってしまったりといった負の循環に陥ってしまうこともあるでしょう。


また、現実には、たいした失敗ではなくても、自分で自分自身を評価する基準をより高いレベルにおいてしまうがために、周りからの評価は決して低くなくても、自分自身が低い評価をしてしまい、結果として、あまりその分野の知識や、判断にあまり自信が持てず、必要以上に、弱気というか、緊張してしまい、自分の意見に積極的になれず、結果として、だんだんと周りの評価も下がってしまうといったケースもあるでしょう。

 

このように、自分自身に厳しすぎるのも、問題ですし、前述したように、慢心することも、結果として、周りの評価、あるいは周りからの評判を下げてしまうことにつながってしまいます。


人間はその人の性格にもよるところが大きいとは思いますが、大なり小なり、気分で動くという部分があります。当然、自分がほめられ、自分自身に自信がでてくると、担当している仕事も、ビジネスも楽しくなって、さらに努力をしようという気分の高揚から、好循環に入っていけます。一方で、叱咤されて落ち込んだり、うまくできないのではという不安な気持ちは、どこかで切り替えていかないと、気分が沈んだままでは、よい仕事をすることやよい結果を出すが、より困難になりかねません。


気分や気持ちがより前向きになるような、そんな「謙虚さ」と「自信」のバランス、これがなによりも大切ではないでしょうか。


私は心理学を専門的に学んだことはありませんが、ビジネスや仕事の世界で、長年、いろんな人と一緒に仕事をし、上司に仕え、部下を指導し、評価され、評価してきて思うことは、やはり、人間、どうやって、「その気になる」か、「その気にさせるか」ではないかと思います。前述した、「謙虚さ」と「自信」のバランスこそ、部下を評価し、育成していく場合の基本ではないかと思います。(次回に続く)

 

 

 


     自信と慢心、謙虚と弱気の違いについて



ビジネスの世界、組織の中での、その人の評価というものは、長い時間の中で、その人の仕事ぶり、見識、人間性、品格などにより、自然と周りが作っていくものであり、人が人を評価するにあたって、いろんな見方があるものの、最終的な評価というのは、ある程度、公平なものであることが多いといえましょう。

人間である以上、多少、個人差はあるにせよ、周りの評価はやはり気になるものです。


提出しなければならないレポートの出来、不出来、あるいは、会議や、客先との面談でのプレゼンテーションや、発言、そして、契約の交渉や、相手を説得できたか否かなどの結果など、ビジネスや組織の中での日々のこういった「自分の出来」に関して、周りからの評価はやはり、気になるもので、周りからの評価にかかわる、ちょっとした発言やコメントに思わず一喜一憂してしまうのも、人間である以上当然のことだと思います。



また、多くの企業や組織で今日採用されている、一年を通した、一人ひとりの従業員や、組織の構成員の評価や、組織の中での昇進、昇格といった場合の、具体的な評価や、同レベルの他の人との比較などにおける、どちらが選ばれたか、どちらが優れているかといったことも、とても気になって当たり前だと思います。



当然、自分の仕事ぶりや、具体的な仕事内容について、周りから、いい評価をもらったり、ほめられたりしたときは、うれしいものですし、そういういい評価や、フィードバックが、仕事に対する自信につながっていくものです。しかしながら、そういったほめられたこと、あるいは高い評価をもらったことを、自分自身の中で、慢心してしまうと、当然、そういった気持ちが言動にあらわれ、つい、相手の心証も考えず、自分がいかに高い評価を得ているかということや、自分がいかに仕事に自信があるかを、これ見よがしに周りに吹聴したりしてしまい、せっかくの高い評価が、一転して、「鼻持ちならない奴」「いやな奴」と

いうような、人格や品格において、厳しい評価や評判を作ってしまうことになりかねません。



当たり前のことですが、周りから高い評価をもらったり、また、実際の仕事や仕事ぶりに対し、いいフィードバックをもらい、ほめられた場合には、素直に喜び、自分自身のそれまでの努力を自分自身でほめてあげることは大切ですが、同時に、まだまだ、上には上がいること、そして、知識においても、また、判断力、意思伝達力、発想力など、ビジネスや仕事を遂行するにおいて、まだまだ、努力を続けていかなければならないことを、自分自身に戒め、謙虚に、レベルアップを目指すよう、自分により高い目標を設定することで、そんな周りからの高い評価や、ほめられたことを、新たなエネルギーに変えていくと心がけることがなによりも大切だと思います。



そして、そういう考え方を周りが見て、さらに、「謙虚な人だ」、「さらに努力をしようと心がけている」など、より高い評価、評判へとつながっていくという、周りからの評価が、好循環につながり、その人の高い評価が不動のものになっていくわけです。

(次回に続く)




⑧「恥ずかしい」と思うのは大事なこと 続き

 


自らを主張し、誇張し、これみよがしに、自らの実績や経歴をひけらかすような人に対しては、その人の地位や持っている権限に対し、礼を尽くす人はいるかもしれませんが、本当の意味で、尊敬され、目標とし、感謝する人は少ないでしょう。


ビジネスの世界、仕事の世界には、運不運は、たしかにつきものですが、人が持っている基本的なものの見方、価値観というのは、大勢の人が集まっている、会社や組織の中では、いわゆる多数派の意見としては共通のものがあり、そういう客観的かつ、多数の意見というのは、ほとんどの場合、共通の普遍的な価値観、つまり基本的な人間としての値打ちみたいなものに裏打ちされていると思いますので、ある意味とても公平なものだと思います。



よく言われるように、とくに部下からみると上司のいいところも悪いところもよく見えるものですので、自分が人の上に立った時に、いくら自分の、権限、実績や経歴で部下を尊敬させようとしても、それは部下の人からは、「丸見え」で、まさに、「恥ずかしい」行動となってしまうと思います。



このように、自らを常に「恥じる」気持ちと、常に謙虚にもっと上を目指そうとする取り組む姿勢を持ち続けることは、年齢を重ねるとともに、また、組織の中で、よい上の役職に就くにしたがって、より難しくなってくるものです。言い換えれば、50歳台や60歳台ともなると、自ら歩んできた道や、実績、そして、どういう取り組みを続けてきたか、もっといえば、仕事を通して、どういう生き方をしてきたか、そんな自分の過去を否定することは、自分の存在そのものを否定することにもなりかねず、恥ずかしいと思いがあったとしても、正直にそれを認めることの出来る人は、ほんとうに少ないのではないでしょうか。


やはり、何歳になっても、さらに自分を向上させようという気概と、情熱をもってこそ、恥じる気持ちが持ち続けられるのだと思います。

 

自らの人生、ビジネスの世界における、自らの生きかた、そういう本当の根幹の部分で、「恥じる」気持ちを持ち続けるかどうかが、何年もの間にわたって、大きな違いとなり、その人のビジネスマンとしての集大成の時に、周りの人の評価として、あるいは、自らの納得性において、必然的に結果がでてくるのだと思います。


 

⑦ 「恥ずかしい」と思うのは大事なこと



謙虚さと同じような意味で、仕事の上においても、自らを、また自らの仕事を「恥じる」という感情や、考え方がとても大切だと思います。


とかく、外国や外資系の組織で仕事をしていると、西洋人、とくに、アメリカ人には、この「恥じる」という感覚がまるでないように思います。日本はある意味「恥の文化」であるとよく言われるように、自らを恥じる、自らの仕事の質を恥じることで、慢心することなく、謙虚に、より向上することを目指すというのは、とくに、日本人にとっては、とても素敵な、そして、大切な価値観ではないかと思います。

 

自らの目線を高く、また、ひとつひとつの仕事の成果に満足することなく、常により高いレベルの目標をもって仕事の質をそして、自らを向上させることを心がけていれば、たとえ、取引が成立した、実績があがった、プロジェクトが予定通りに完了したなど、周りからも褒められるようなことがあったとしても、自らが満足することなく、謙虚に、まだまだ、出来てないこと、あるいは、知識や知恵が足りないと自戒の念を常にもち、「こんな質の仕事で満足していては、とんでもない」と自らを恥じることで、さらに、一段上のレベルを目指し、また、努力していけるのではないでしょうか。



よく例えでいわれるように、仕事の上での西洋人的な強い自己主張が必要とされる局面も確かにあるとは思います。ただ、その分野での第一人者と自他ともに認められるような見識や、経験があれば、ことさら自己主張せずとも、必然的に、周りにも認められ、人よりも、より多くのチャンスが与えられるのではないかと思います。

 

何度もお話しているように、評価は周りがするものであり、自ら自分をPRせずとも、豊かな見識と経験に裏打ちされた仕事ぶりから、自然と自らの仕事や能力に対する評価というのは、できてくるものだと思います。

 

このように、ある意味、正常人的な自己主張、あるいは、自己誇張とは真逆の「恥じる」気持ちや心は、自らを成長させ、また、周りからの心からの信頼を勝ち得るために、最も大切な考えかたではないでしょうか。そしてそういう考え方を継続し、ビジネスマンとしての真の見識、判断力、リーダーシップを兼ね備えるよう成長しようとすることは、ある種の美意識ともあいまって、「わかる」人からは、高く評価されるのではないかと思います。

 

 

     目線を変えて考えてみよう (続き)

 

人が二人以上集まれば、当然のように様々な関係が生まれます。あたかも分子と分子が化学反応を起こすがごとくです。特に努力もなく相手に理解してもらえることもありますし、どんなに努力をしても、残念ながら理解を得られないことも多くあるでしょう。ただ、一つ言えることは、自分をわかってもらう努力をせずに、相手から理解されることは難しく、また、皆さん自身も相手を理解する努力をせずには相手を理解することが時として難しいこということであり、ある意味、特にビジネスの場においては、こうした相互理解が難しいと、結果として自分の可能性を狭めてしまうことになりかねません。

 

幕末の志士である坂本竜馬は、今でも多くの日本人を魅了して止みません。彼が人を惹きつけ、現代においても、多くの人から慕われるのはなぜでしょう。

幕末という時代を振り返ってみると、様々な人々が、様々な立場で、日本の行く末を議論し、案じ、そして何とかしていきたいという思いが日本中に広がっていたと思います。同時に、それぞれの立場における利権やエゴも渦巻いていた時期でもあります。


そんな中、坂本竜馬は、自分とまったく意見の違う人たちとぶつかっていくのですが、彼は決して相手を批判せず、まずは相手をいったん受け入れ、そして対話をあきらめない人でした。そんな竜馬を多くの人が理解し、信頼し、そしてそれぞれの立場の人々にとって、本当の目的、「日本が世界に通用する、一流の国家になること」を達成するための行動をとらせるに至ったのだと思います。坂本竜馬は、自分のことを理解してもらうための努力を常に重ねていたと思います。ドラマや小説において、多少誇張されている部分もありますが、国を動かすほどの大仕事を成し遂げるための日々の小さい努力が、竜馬が竜馬として愛される所以なのでしょう。

 

相手がなぜそのような考えや行動をとるのかを考察したときに、その行動に対して共感できるとき、できないときがあると思います。共感できるときは、よりスムーズに物事が進みますが、できないとき、どのように皆さんが振舞うのか、ビジネスパーソンとしての真価が問われるところかもしれません。自分がなぜそのように考えるのか、それがどれだけの利点を持ち、事業や組織にとって大切なことなのか、あきらめずに自分の思いを語り、また相手を受け入れることで、道が開けていくのではないかと思います。


こういう思考パターンや行動は、ビジネススキルとして身につけること以前に、やはり人としての器を大きくする努力、意識がなければなかなかできないことでしょう。また一朝一夕でできることではなく、常に自分のエゴとの葛藤になることでもあります。一生を通して身につけていくぐらいの気持ちで、常に人と接するときには、相手の立場、意見、考え方、そういうことを考えられるように、また諦めずに自分自身をわかってもらえるような努力を重ねていければいいのではないかと思います。




     相手の目線で考えてみよう


30歳台のビジネスパーソンにアドバイスすることで、「相手の目線に合わせるコミュニケーション」をしなさいと言うアドバイスをすることがよくあります。仕事について、それなりの経験がつまれ、自分の知識に自信を持ち始めると、相手に理解してもらうということよりも、自分の伝えたいことだけ伝えるということだけ考える傾向が出てきます、そしてそれが、ともすると、「人の意見をあまりきかない」とか、「コミュニケーションがうまくない」といったネガティブな印象を周りの人に与えかねません。


では、なぜ相手に目線を合わせる必要があるのでしょうか?それは全ての人が、基本的に、「自分が正しい」というベースを持って生きているからだと思います。


自分の意見や考え方について、相手の人から「その考えはおかしいんじゃないか?」「あなたの言っている意味がよくわからない。」「それは違う。」などと否定された場合、一瞬戸惑いを感じるのではないでしょうか?当然、相手の言っていることが正しかったりすることも多々あり、また20歳台後半から30歳台にかけての年代では、より、人生経験や社会経験が豊富な人たちと比べて、間違っていたりすることも多いので、そういう指摘はたくさん受けたほうがよいのです。しかし、その一瞬の戸惑いは、やはり、「自分は正しい。」という前提があるからだと思います。そういう意味では、相手も人間ですから、同じように、「自分は正しい。」という前提を持ってあなたと接していると考えるのが自然でしょう。


そんな中で、やはり自分の正しさや、意見、やってみたいことを相手に伝え、またビジネスの中で自分の考えを推し進めていくためには、まずはその相手に対して、「先方にも正しいと思っている前提がある。」ということを冷静に受け止めることです。この場合、相手が正しいのか、自分のほうがより正しいのかを議論することは必要ありません。


ここで大切なことは、意見がかみ合わないのはなぜか、自分の意見が受け入れられなかったのはなぜかについて冷静に分析することです。相手をいったん受け入れることによって、相手への理解が深まり、そこから、ではどうすれば自分が目的とすることを成し遂げることができるかについて、作戦を練ることが初めてできるのです。これが「相手の目線」で考えるということです。

 

そして、もうひとつ重要なことは、相手に対しても、「自分」というものをよく理解してもらおうと努力することです。なぜ自分がそのように考えるのか、なぜその考えに至ったのか、その背景にある自分自身の思いや信念は何のか?自分が大切にしていることは何なのか?そのようなことを相手に理解してもらうことは、やはり努力をしなくてはなかなか難しいものです。


日本には、以心伝心という言葉がありますが、以心伝心になるためには、やはり言葉や身振り手振りを使って、自分自身を相手によく理解してもらうように努めなくてはいけないのではないかと思います。

 (次回に続く)



 

④ 準備がすべて (続き)

 

さて、プレゼンテーションの目的に基づき、一枚一枚のスライドの伝えたいメッセージが準備できたら、あとは、リハーサルです。プレゼンテーションには、かならずリハーサルが必要です。とくに、お客さんの上層部の方へのプレゼンテーションであったり、自らの会社のトップへのプレゼンテーションであったり、また、セミナーや集会のような何百人というような大勢の聴衆の前でのプレゼンテーションのような場合は、パワーポイントのスライドのみならず、話す内容の台本を作成し、それを暗記、実際にリハーサルで声にだして、話してみるという、そういうプロセスが極めて大切になってきます。

 

一人で、鏡に向かって、あるいは一度自分のプレゼンを録画してみるといったリハーサルをするというのは、セルフチェックとして、とてもいい方法です。自分の声を自分で聞き、そして、実際に声に出して言ってみることで、自分が伝えたい内容、論理、そういったとても重要な部分が、どの程度、明確で、自分自身の言葉として話せているかということが、自分の声の力強さや、語尾の明確さなどの部分で判断できるものです。


このリハーサルを繰り返すことで、自然とプレゼンテーションの内容と、話し方が精査され、自分の中での自信も強まっていくことは間違いありません。

とくに、日本人の場合、帰国子女の方のように、ネイティブに近い人以外は、英語でのプレゼンテーションの場合、このリハーサルの重要性は、日本語でのプレゼンテーションの場合の何倍もの意味があることは、私の経験からも明らかです。

 

この「準備」というプロセスは、とても時間がかかり、大変なプロセスのようですが、こういった内容、そして、伝え方を含め、きちっとした「準備」ができているプレゼンテーションは、まずもって、プレゼンテーションをする人に自信がみなぎっていますので、聞き手側も安心して聞けるので、よりいっそう理解が進むということになります。一方、準備不足で、語尾がはっきりしなかったり、説明があっちへいったりこっちへいたりするようなプレゼンテーションは聞いている側からすると、内容もわかりにくく、聞く集中力を欠くことにも繋がり、結果として、「何がいいたかったのか、よくわからなかった」といった評価になりがちではないでしょうか。

 

このように、プレゼンテーションのみならず、仕事においては、日常的に行われる

上司、部下、チームの仲間にたいする説明にしても、常に、「準備」こそが最大の武器であり、また、「準備」がしっかりできることが、自分の仕事の質を高めるにあたって、最大のスキルであると言っても過言ではないと思います。



 

      準備がすべて


お客さんへのプレゼンテーション、あるいは社内の上層部に対するプレゼンテーションなど、極めて

重要かつ、緊張するような状況においては、スキルアップしてきたからといって、いいプレゼンテーションができる自信がすぐに身につくとは限りません。

そういった、とくに重要なプレゼンテーションをどうやったらうまくできるかという質問をよく30歳台の方からも受けるのですが、そんなときに私がアドバイスすることは、極めて単純で、かつ、重要な一点のみです。それは、「とにかく準備をしっかりしなさい」ということです。


プレゼンテーションの場合、一番大切なことは、そのプレゼンテーションの聞き手が誰で、なにをどう理解してもらいたいかという、プレゼンテーションの目的をまず極めてクリアーに理解しているかという点にあります。


特に社内のプレゼンテーションにおいては、情報を共有するためのものなのか、聞き手に理解してもらい賛同してもらいたいのか、あるいは、具体的な承認を求めているのかといった、目的があいまいなまま、プレゼンテーションを用意し、内容も、また、プレゼンテーションの話しかたも、はっきりしないまま、終わってしまうというケースも多いのではないでしょうか。

 

準備はまず、この目的の明確化から始めなければなりません。そこがはっきりすれば、あとは、そのプレゼンテーションの内容に対する、聞き手側の現在の理解度を想定し、なにをどこまで詳しく説明し、そのあと、何を理解してもらい、何どうプレゼンテーションの目的を達成するかというシナリオを作成すればいいわけです。


もう一つ、プレゼンテーション用のパワーポイントを作成する時によくある問題ですが、パワーポイントを作成する本人は、自分の頭の中で、何をどう伝えたいかという部分が整理されておらず、とにかく、自分の知っていること、あるいは伝えたいことをうまく整理せず、パワーポイントのスライドを作成しているケースが多いです。これは私が40歳のころ、当時人事部長をしていた際、直接の上司であった日本法人の社長の方から、何度も何度も繰り返し教えられたことですが、「パワーポイントのスライド一枚一枚にちゃんと伝えたいメッセージがないとだめだ」ということです。情報を箇条書きにしたり、プレゼンテーションの聞き手がわかりやすくまとめることはもちろん大切ですが、それだけでは足りませんし、いろんな情報を一枚のスライドで伝えようとすると、そのスライドはいわゆる「BUSY」なスライドとなり、見た人、聞いている人も、情報はいっぱいですが、結局「何かいいたい」のかがわからないという状況に陥りやすいのです。


つまり、一枚一枚のスライドを作成する際には、作り手の人の頭の中に「伝えたいこと」がはっきりとしていて、そのメッセージを伝えたいためのスライドが作成されているという状態でなくてはいけないわけです。

(次回へ続く)