日本の会社と外資系の会社の違いを理解せよ


前章でお話した、「環境」という観点で、組織に属して、経験を積み上げるにあたって、その経験が日本の会社で体験できるものと、外資系の会社で体験できるものには、もちろん例外もたくさんありますが、一般的には、かなり異なります。

 

したがって、新卒で就活をされている若い人達だけでなく、30歳台になって、世の中のこと、仕事のこと、そしてなりより、ビジネスパーソンとして自分が目指したいものが、少しづつはっきりとしてきて、今の会社から他社への転職を考えている人達に是非理解してもらいたいのが、日本の会社を選ぶのか、外資系の会社を選ぶかによって、かなり、得られる環境が異なるということ、そしてどちらが自分の価値観や目指すものにとって、よりふさわしい「環境」であるかを考える必要があるとおもいます。


私は、日本の会社に17年、そして、3つの異なる外資系の会社に合計20年以上勤務しましたので、その体験から、日本の会社と外資系の会社の違いについてお話ししましょう。この章は少し長くなりますので、数回に分けてお話しますので、皆さんのキャリアデザインの参考にしてもらえると嬉しいです。

 

もちろん各々の会社によって、かなり異なりますが、 一般的に、日本の会社では、和、チームワーク、年功、というような日本的というか伝統的な部分を重視します。つまり、組織のなかでいろいろ経験、勉強して、まわりから認められ、会社がいろんなチャンスを用意してくれるという どちらかというと受身的な形でキャリアの形成がなされるという環境です。前にお話ししましたように、日本型の規格大量生産方式により、官民一体の優れた「日本型システム」によって、70年代までの高度経済成長が達成され、日本型の終身雇用のもと、会社の事業拡大が自動的に組織の中でのキャリアアップにつながるという、受動型で、会社について行っていればいいというような「会社との運命共同体」ともいえるようなモデルは、とくに飛躍的に事業拡大した超大企業において、最も顕著にその社員にとっての、「成功」へのパスポートともいえるような形でもたらされた普遍的ともいえ日本型ビジネスパーソンとしての価値観だった時期がありました。


この価値観は、そんな超大企業の社員であることが、家族も含め、社会的なひとつのステータスとして認識されるまでに至り、そんな超一流企業に入るために、一流大学を目指し、その一流大学を目指すために、進学校である高校を目指すというようなスパイラルが完成されるに至ったわけです。


前に「何も決めない日本の上司」でお話したように、この日本型ビジネスパーソンの成功モデルはいろんな意味で、もはや崩壊寸前まできているわけですが、それでも、今の40歳台、50歳台のビジネスパーソンには、この崩壊しつつあるシステムから抜け出すことをよしとせず、どれだけ信じているかは別として、他の考え方にシフトしようとしない人たちもまた、多くいるのも現実だと思います。


このような日本型成功モデルは、年功、定期的な会社が決める人事異動というシステムによって、社員のその組織におけるキャリアが形成されるという、没個性、没穂人型のキャリアデザインシステムとなっているわけです。(次回に続く)



環境を選べ (続き)

 

前述したように、ビジネスの世界でも、もちろん、ビジネススクールのように、学校で学ぶという機会もありますし、いろんな本や、自己研鑽の番で学ぶこともあると思いますが、何よりも大切なことは、「いい経験」を積むこと、そして、いい経験から、有形無形のいろんな見識を深めていくことです。たくさんの周りの人たちから、たくさんのことを学ぶ、そして、より良質なものを学んでくことで、知らず知らずのうちに、ビジネスパーソンとしての、考え方であったり、アイディアをまとめていく力であったり、報告したり、交渉したりといった、いわゆる対人スキルの部分まで、自分のなかで、そういう風に、体験を通して、周りの人からの影響が蓄積されていくのです。



それはちょうど、草木が育っていく過程で、太陽の光や水や、土の中のいろんな栄養素のように、 成長に必要なものを、少しづつ吸収し、長い年月を経て、培われ、大きく根を張って、立派な木となって成長していく姿に似ていると思います。


たとえ、見た目は、細い木で、強い風雨に大きく揺れる木であっても、しっかりと根が張った木はとても強く、そう簡単には、倒れません。一方、見た目は、幹が太く立派に見える木でも、地面の下でしっかりと根がはっていなければ、風雨に根こそぎひっくり返されてしまうこともあるでしょう。

 

ビジネスパーソンも同じように、いい環境で、たくさんの経験から、たくさんの栄養をもらった人は、いわゆる、ビジネスパーソンとしての基礎、ビジネスパーソンとして、身につけなければならない、大切な物の考え、仕事に対する取り組む姿勢、そして、ビジネスの基礎的なさまざまな知識が身につき、それは、根が広くはった木が、強い風にも耐えられるように、その人の力となって ビジネスパーソンとして、さらに成長していくと似ていると思います。

 

このように、いい環境で、しっかりと有形無形に、そして、無意識のうちに、身についていくビジネスパーソンとしての基礎は、いわゆるビジネスパーソンとしてのしつけのようなものです。 したがって、その人がどういう環境で育ったかで、その後のビジネスパーソンとしての可能性の広がりや、周りからの評価に大きく影響を与えていくものだと思います。



 

    環境を選べ


ビジネスの世界では、会社での研修、また、業界のセミナーなど、また、ビジネススクールなどの教材など、いわゆる、レクチャーや教科書から学べることも多いですが、それ以上に大切なのは、そういう研修や、教科書だけでは得ることが難しい実際の仕事を通して、身につけていくものがとても大切です。


どうやって、取引先、同じ会社の上司や、先輩、また、将来的には部下の人から信頼されるか、そして、仕事にどうやって、優先順位をつけるか、置かれた状況によって、自分や会社の考えをどういう風に相手に伝えるかを、どうやって判断していくかなど、まさに、実際の現場でしか、得られない経験を通して、自分なりの仕事、ビジネスに対するスタイルを確立していくものだと思います。


したがって、よく言われるように、お手本がよければ、そのいいお手本を真似ることから始めることができますし、また、身近に、自分がお手本にしたいと思う人がいれば、その人の仕事に対する考え方や、取り組み方を真似ることから始めることも可能になるわけです。


また、取引先からも、いろんな形で、学ぶことは多いものです。ビジネスの世界では、「お客様」、つまり顧客である相手の会社に、どうやって信頼してもらい、取引を新規に成約、あるいは、継続してもらうかというのは、ビジネスパーソンとして体験し、苦労の中から、成功する方法を覚え、自分のビジネスパーソンとしての自信の形成に役立てていくわけですから、そんな試行錯誤、苦労の体験の中から、顧客から、自分が仕事に対するアプローチや、考え方、取り組み姿勢のどんな部分が評価され、どんなところが成功するポイントとなったかをフィードバックしてもらうことで、自らの至らない部分を反省し、強化し、それを繰り返していくことで、そういう体験を積み重ねていくことで、ビジネスパーソンとしての自信を確立し、自分自身のスタイルも確立していくものだと思います。



このように、どの仕事のタイプを選んで自分の将来像を、目標を立てていくかにおいて、どの方向の仕事の道を選んだとしても、一番大切なことは、自分が目指すゴールに対して、

必要な経験を積んでいくような、自分にとって、自分の将来にとって、意味のある環境に自分の身を置いているかどうかということです。


(次回へ続く)



     不運を嘆くな (続き)

 

例え、理不尽な評価や人事が横行するような組織に属していたとしても、そういう理不尽さが未来永劫続くものではないでしょう。なぜなら、そういう会社や事業は長続きするはずもなく、そういう偏った評価をする上司は、長い目で見ると、会社の経営陣から評価されることはないはすです。 (もちろん例外もあるでしょうが。。。)

組織の中でのいろんなそういった理不尽さを感じたとしても、誰がみても、正しいことは正しいと思うことがなによりも大切だと思います。世の中はフェアにできているというのは、真理であり、客観的な評価こそが、本当の評価であるというものの見方をするべきではないでしょうか。

そして、自分と同じように、正義を信じ、フェアなものの見方をしている人がその組織のどこかには必ずいるものです。

 

 

目線を高く、真摯に努力し続ける人に対して、長い目でみれば、世の中の人々はその人自身のこと、またその人が続けている努力そのものをフェアに評価するものです。逆に言えば、努力を最低限にし、上司に取り入ることだけを考えたり、人の成果を横取りしたり、目先の結果だけで、高い評価を得ようとする人は、必ず、その本当の力が試され、正しく評価されるときが来ます。そんな風に、たとえ、理不尽な状況におかれたとしても、決して人のせいにせず、正義を信じ、真摯に努力をし続ける人の場合には、その人の周りというのは、フェアに状況を理解し、そして、心ある人が必ず周りにはいて、必ず助けの手を差し伸べてくれると思います。

 

このように、ビジネスの世界においては、評価というのは、単に仕事の結果や知識のみではなく、やはりその人の人間性や、立ち振る舞いといった品格も含めた全体を評価するものだと思います。例え、理不尽な環境に自分がいると感じたとしても、そんな状況にもかかわらず、不満を常に言っていたり、不運を嘆くのではなく、自分を謙虚に見つめ、自分の足りない部分を成長させようという姿勢を続けていれば、世間における他人の目というのは、それなりにフェアなもので、どこかに必ず、そんな謙虚で真摯な態度、姿勢に好感を持ち、なんらかの形ですくいの手を差し伸べてくれる人が出てくるのではないでしょうか。

確かに恵まれない状況も長いビジネスパーソンのキャリアの中にはあるでしょう、そんな時に自分の「不運」を嘆き、やる気をなくすことは、自分にとってもマイナスであり、またその時間は大きなロスとなってしまいます。ですから、たとえそんな不遇の時期であったとしても、世の中は長い目ではフェアであると信じ、常に高い目標に向かい努力し続けることがやはり全てにおいて大事なのです。




⑮ 不運を嘆くな

 

組織における人の評価は長い目でみれば、概ね公平なものだという反面、ビジネスの世界では、その組織の大きさにかかわらず、組織の中で仕事をする場合、その人の評価は、人間が持っている本質的な感情の部分が判断の基準になってしまうことは避けられない要素のひとつだと思います。そして、どんな組織においても、偏った好き嫌いで、昇進させる人とそうでない人を選別するといった、パワハラにも似た公平さに欠ける、いわゆる理不尽な評価や人事が行われることも、そう珍しいことではないでしょう。



誰しも、周りからいい評価を得たいものです。それは、子供のころから、親に褒められる、先生に褒められるなど、『褒められる』ということは、いいことであるという、そんな物心がつくころからの、自然と培われた価値観や美徳感が影響しているからだと思われます。



 受験戦争の末に選ばれて、いわゆる名門校に入学すること、ビジネスパーソンとなり、その組織で出世すること、このように、人が成長していくプロセスにおいても、選ばれる、競争に勝つという結果が、一種のよい評価であるという社会的な価値観となっていることは極めて多いはずです。もちろん、名門校に入ること、一流会社に入ること、一流会社で出世することは決して人としての価値の全てではありません。その人の価値を測る、ひとつのアングルにしか過ぎません。しかしながら、学校を含め、どんな組織に属しており、その組織でどんな立場であるかということは、他者から見て極めてわかりやすく、ある意味客観的な説明であり、それがそれまでの人生における、一応の成功を収めているか否かの第一印象となってしまうケースも、現実には多々あるということは容認せざるを得ません。

 

同僚のAさんやBさんが高い評価を得ているのに、自分の評価が低いのは、おかしいと考えることもあるでしょう、そして、その評価の基準が、やはり上司や、人事担当者の好き嫌いではないではないかと、思えることもあるでしょう。 


しかし、現実にそれが事実であったとしても、そのような考えに陥ってしまうことは、既にネガティブな感情のサイクルに入りこんでしまう原因となりますし、常に自分の思うようにいかない場合は、いわゆる「人のせい」にするという考え方に支配されるようになりかねません。何事も「人のせい」にしていいことはありません。


「人のせい」にするということは、自分で謙虚に自分の経験不足、能力不足、準備不足を認めず、うまくいかない理由を自分以外のものに求め、自分への責任追及から逃れるという、いわゆる人間としての「弱さ」から、そういう考え方に繋がっている場合が多いのではないでしょうか。(次回に続く)



 

 

評論家になるな


これは、日本の会社のみならず、外資系の会社でも同じことが言えるのですが、仕事をする中で、意見を言う場面で、いわゆる「評論家」的に、他の人の仕事や、意見を評価、批判するタイプの人がいます。30歳台、40歳台ともなると、業務経験も豊かになり、いろんな局面で、自分の意見を求められることが多くなります。もちろん自分が直接担当している仕事や、前に担当していた仕事、あるいは時には、直接関わっていないような仕事、案件、そして「人」についても意見を求められることが多くなってきます。


そんな、自分の意見を言う場面で、これは、ほんとうによくあるタイプなのですが、求められて言う意見で、あっても、また自分から進んで言う意見であっても、あの案件はよくないとか、リスクがあるとか、十分にリサーチされていないとか、取り組み方がどうかと思うなど、単に批判的な意見を言い、なぜそう思うか、そう判断するかも、十分に説明しない人がいます。 


勿論そういう人は、得てして、自分の上司や役職が自分より上の人には、そういう言い方はしないもので、どちらかというと自分と同レベルか 下のレベルの人に対して発言するときもそのような批判だけの意見に終始する人が多いのではないでしょうか?


意見として、どこが間違っているとか、どこが不足しているというような指摘を行うことは必要な場合もあると思いますし、それを目的としていろんな人から意見を求められることもあるでしょう、ただ、「できるビジネスパーソン」は常に建設的なアプローチをするものです。したがって、意見を求められた場合は、まずその対象である案件や、プロジェクトや人について、まずポジティブだと思う点を意見として話し、その次に物足らない部分、あるいは、間違っているかもしれないと思われる部分について、なぜそう思うかという理由を丁寧に説明して、意見を言うという形がいいと思います、そして、是非行して欲しいのは、その不足している、間違っているかもしれないと思う点については、理由をしっかりと説明し、その上で、こう修正すべきであるとか、こういう点をもっと確認した上で次のステップに進むべきだあるとかという、いわゆるソリューションを同時に意見として言うことで、さらに、より建設的で意味のある意見となると思います。



例え、直接的でないとしても、否定的な意見を言われた人は、それが部下や下のレベルであったとしても、気分がいいものではありませんし、その言い方ひとつで、「じゃあ、自分でやってみろ」とか、「自分だってどうすればいいかわからないんじゃないのか」といった、反感を買うことにもなりかねません。でるから、前述したように、意見を求められた場合は、まずは、いいところを褒めることから始めることが肝要です。そうすると、聞きては、素直にその先を聞こうとする態度に自ずからなるもので、そのあと言ってあげる、建設的なアドバイスを「その通りだ、ありがたい」と肯定的に受け取ってもられる可能性が強くなくのではないでしょうか?



このように、意見を求められて言う場合は、評論家のように、単に批判したり、否定的な意見のみを言うことは、組織の中では、いわゆる「敵を作る」ことになってしまい、また、意見を言ったあなたに対する評価があまりよくなくなるという可能性があります。是非、あなたが言った意見を受け取る人の立場をまず考え、その人の身になって、どういう風な言い方であればより受け入れ易いかを考えて、建設的にアドバイスしてあげることが大切だと思います。



組織の中では、評論家は、必要とされておらず、より建設的なアドバイスを与える人が周りから信頼され、評価されるものです。



     人から学べ(続き)

 

 

 

素直に感動したり、敬服するような人と出会ったり、一緒に仕事をする機会を得たときは、

それが、あまり具体的なものではなくても、「あんな人になりたい」、「あの人ように仕事が出来るような人になりたい」と素直に思い、その思いを、ある意味、自分の目標とする基準にするという自然な気持ちがとても大切だと思います。もちろん、それぞれの人に、いわゆる、「好み」や」タイプ」があって当然です、自分にとって、自分の思う「魅力的なビジネスパーソン」の理想に照らし合わせて、「この人はすごい」と思える人との出会いはとても大切だと思います。


そういう、いい「人との出会い」の経験が積み重ねられ、自分自身の中での、ビジネスマンとして目指すレベルといったものが、形成されていくのではないでしょうか。

 

ビジネスの世界では、組織のトップになったからといって、あるいは、成功し巨万の富を得たからといって、それですべての夢がかない、目標が達成できたというものではないでしょう。上には上がいる、そして、成功しても、また次なるチャレンジが待っているのがビジネスの世界です。どれだけ自分を伸ばせるか、どんな夢や目標を持つことができるかは、その人の取り組みかた、そして、「感じかた」次第ではないでしょうか。「人」に好奇心を持ち、常に、敏感に会った人の魅力を素直に評価し、自分にないものを見つけ、そして、学ぼうとする、こういう考え方や、取り組み方が、自然と自分の中にできるように、30歳台、40歳台は意識的に取り組んでもらうことが肝要かと思います。

 

より大きな夢、より大きな目標、そして、より夢中になって仕事に取り組めるような環境に自分をおけるようになるには、素直に「人」に感動し、その感動を自分の夢や目標につなげていけるような、そんな感性が大切だと思います。

是非、若い人たちには、素直に「人」に感動してもらいたいものです。



 

⑫ 人から学べ

 

人と会う、人と一緒に仕事をする。それが、上司であれ、お客様であれ、また、同僚や、競争相手であったとしても、自分にないものを持っている人、自分にはない経験、知識、思いつかないような発想や、判断力を持っている人と出会うことはとても素晴らしいことです。特に20歳台、30歳台のビジネスマンには、そんな卓越した人たちと出会った時は、素直に感動し、「すごい人だ」と思い、そして、そんな人に憧れて欲しいと思います。


だんだんと仕事にも自信が出来、また、会社や組織の中で地位も上がってくると、ともすると、こういう卓越した人に出会ったとしても、自分と比べ、自分のほうが勝っているところを探したり、あるいは、その人が自分より劣っているところを探したりして、自己肯定の思考になってしまうこともありがちですが、それでは、成長しません。


そういう人に出会った場合には、やはり、素直に感動し、謙虚に自分にはないものを、また、自分よりも卓越している能力や見識に敬意を表することが何よりも自分をさらに成長させる第一歩ではないでしょうか。

いろんな意味で、「人」に興味を持ち、自然と「人」から学ぼうという気持ちを持つことは、ビジネスの世界では、とても大切なことです。技術や、製品、ビジネスモデルや、新しいサービス、需要の掘り起こしなどは、いわゆる「人」の発想力やひらめきから生まれたものがほとんどだと思います。そして、なによりも、その発想やひらめきを、現実に物やサービスとして作りあげ、実行していくことが、「人」の持つ情熱や、力なのだと思います。


そんな、ビジネスの世界で、「人」の持つ魅力、そして、素晴らしさに感動できること、また、常に、強い好奇心と興味を持って、そういう人に出会うことを追い求めることが、自分自身のビジネスパーソンとしての、目標や夢を形にしていくために、とても大切なプロセスではないかと思います。


ビジネスの世界において、とくに大きな組織に属している場合、どうしても目先の目標や狭い視野になってしまい、より、長期的な、大局観のある自分自身の夢や目標を具体的に持つことは、そうたやすいことではありません。また、30歳台ともなると、仕事の責任範囲も広がり、また、いろんな意味で、周りからも期待され、必然的に、仕事に追われるような毎日を送るようになりがちです。そんな状況では、とにかく、与えられた職責や自らがリードしているプロジェクト、自らが担当している事業や顧客との具体的な取引の成功を追いかけることに精一杯になりがちです。


そして、気がつくと、40歳台、50歳台になり、そんな狭い視野でものの見方に支配され、やがて、組織の中での出世の優劣で、自分や他人の成功を判断するような価値観になってしまうのではないでしょうか。(次回へ続く)



 

⑦ 何も決めない日本の上司・変化を拒み、保身を図る体質 (続き)

 

(前々回まで4回にわたって、投稿したこのテーマに関する記事については、「日本流Followership-何も決めない、変えない日本の上司①~④」をご参照ください)

 

 

 

さて、「優秀な」日本の大企業の中間管理職、「上司」は、ある意味特殊な存在であり、1970年代の高度成長期の遺産を食いつないでいる間はその問題もそう露呈せず、潤沢な企業年金も教授でき、いわゆる「逃げきり」が可能だったわけですが、では、「なぜデフレ、低成長期になっても、このタイプの中間管理職が減らないのか?」という点について考えてみたいと思います。


1980年台後半になり、大企業も、国内市場が停滞、また、グローバルの競争激化により、大企業と言えども、事業拡大が難しくなり、場合によっては、業界の他社との統合や事業の縮小を余儀なくされることも、業界によっては行われるようになりました。そんな環境では、大企業にいても、組織が合理化され、出世の可能性は小さくなり、益々、モチベーションを保つのが困難な環境となってきます。


「そんな閉塞感のある環境から飛び出してしまえばいいじゃないか」という意見もあるでしょうが、皆が皆、「他人には負けたくない」という強い競争意識を持っている人ばかりではなく、その人が育った環境によっては、たとえ環境が厳しくなっても、長年働いてきた組織を離れて、心機一転、新しい会社でチャレンジするとか、起業するとかと決断できる人は、ごく少数に限られています。1970年以降に生まれた人は、その幼少期、青春時代においては、まだ、経済成長に支えられ、年々収入が増えていくという基本ルールが世の中を支配していた時期でしたので、物質的な部分を含め、あまり不自由がなく、「リスクをとって競争に勝たないと幸せにならない」というような教えを受けることもなく、いわば、ぬるま湯につかったまま、大学まで過ごし、安定と世間体を重視し、大企業に就職した人が大多数だったのではないかと思います。

 

そんな風に「大人」になった人が、組織の中で中間管理職になり、例え、世の中が様変わりし、閉塞感が蔓延するような状況になったとしても、自らの価値観や、組織の中での行動様式を変えてみようと思う人はほとんどいないのではないでしょうか?

 

30歳台後半から40歳台になると、確かに、家庭を持ち、小学区や中学に通うお子さんを持つ年頃かもしれません、また、マンションや一軒家を購入し、多額のローンを抱えるような年代かもしれません。そんな家庭という重責を持ち、縮小する組織の中での閉塞感と闘いながらキャリアを積み上げてきた中間管理職に、「もっとリスクをとって、失敗を恐れず、変革をともなくような新しいチャレンジを毎年の目標として、頑張れ」と言っても、頭ではわかっていても、実際に行動に移せる人はごく僅かだと思います。

 

やはり、「人」は育った環境によって、その価値観やとくにリスクに対する考え方が異なってくるものだと思います。「やってみないとわからないこと」に対して、やってみないとわからないから自分がやると思うか、他の人がやってみて、その結果をみてから自分がやるかどうかを決めようと思う人と、いつの世も二通りの人がいると思います。それなりに恵まれた環境で育ち、リスクをとることや、自分がやってみないとわからないことをやることは、賢い選択ではないと教えられ育った人には、閉塞感のある縮小する組織の中で、家庭の重責にさいなまれながら、「やってみないとわからないことをやってみよう」とはなかなか言えないのも理解はできます。

 

 

 

⑥ 何も決めない日本の上司・変化を拒み、保身を図る体質 (続き)

 

(前々回まで4回にわたって、投稿したこのテーマに関する記事については、「日本流Followership-何も決めない、変えない日本の上司①~④」をご参照ください)

 

さて、企業にはそれぞれの企業の文化があるといわれます、その企業の創設時の創業者や創業メンバーの理念、思いなどから出発し、企業の規模が大きくなり、事業も多角化したとしても、そういういわゆる「スピリット」みたいな創業精神は企業文化として根付いていくものですが、たとえば企業規模があまりにも大きくなったり、合併や買収の結果、いろんな企業文化が融合された場合など、そして何よりも、歴史を重ねるにつれ、社長が創業時を経験せず、サラリーマン社長化していくと、そういった「スピリット」は薄れていき、より組織的な合理性や、集団としての仕事が主軸となるような企業のなかでの組織行動が主流となってきますと、前述したような、「曖昧な目標設定」が許される中間管理職ばかりとなり、企業全体としても、より変化を求めたり、あるいは変化を求める人を奨励するようなケースが少なくなり、結果として、事なかれの、いい表現をすればバランス感覚だけが優秀な、評論家タイプの中間管理職が多い集団となってしまいがちではないでしょうか?



こういったバランス感覚型の中間管理職は、組織上、そして人事管理上も、極めて多忙をなり、結果として、自ら考える時間が少なくなり、益々、事なかれで、うまく仕事をこなしていくという行動が強くなっていくのではないかと思います。

 

 

特に、超巨大企業の場合には、新卒採用で超一流大学から大量に採用し、いわゆる「頭のいい人」が多いため、その人たちが中間管理職になった時点では、もちろんそれなりの業務経験と知識、そして何より組織の中での人間関係の縮図を十分理解しているわけですので、状況を分析、理解することには長けているわけです。ただ、そういう「優秀な」人達は多忙のため、組織の中でのバランスと、減点をつけられないことを第一とする行動パターンとなり、結果として、変化を拒み、自らリスクをとろうとしない、つまりは物事を自分で判断しない上司になっていくのだと思います。



 

どんな組織でもそうですが、特に授業員が数万人以上といった、超巨大企業になりますと、社長や役員が、中間管理職と頻繁に議論をしたり、直接報告を受ける機会も少なくなり、(あるいはまったくなくなり)中間管理職が自発的に何を考え、何に取り組んで行こうとしたいと思っているかを理解できるほど十二分に時間を使っていないケースがおおいのではないでしょうか?このような巨大組織の場合、ますます社長や役員は中間管理職やそれ以下のレベルの社員の人の考えや、気持ちが見えなくなり、とかく、売り上げや、収益、効率といった数字でのみ、それぞれの組織の強さや能力を測ってしまうのではないでしょうか?



このような、組織としての悪循環が始まると、当然社員の不満はどんどん大きくなり、上層部との距離もさらに広がり、創業時のスピリットどころか、現経営陣が何を考えているのかすらわからないといった、病巣に侵されたような組織となってしまい、その企業の事業にかかわる外部環境の大きな変化でもない限り、病巣を取り除くような大手術は行なわれないという末期的な状況に陥ることとなります。(次回に続く)