家族全員体調不良により外出を控え、何となくスマホをいじっているなかで、ふと「かつてお世話になった小学校・中学校の先生たちは今どうしているんだろうか?」という疑問がわき、ネットで検索して見た。最近は「学校便り」「学年だより」がネットにアップされていることも多いようで、かなり多くの先生たちの近況が判明した。


特に中学の場合、当時30代の先生が中心だったせいか現役で教壇に立たれて方が多いことが判明。


校長や教務主任など、立派な肩書の付いている方もちらほら。中には顔写真付きで載っている人もおり、当時と比べて変わったようで変わっていない様子にびっくりしたりもした。


そんな中次のような記事を発見。

http://blog.goo.ne.jp/ikeuchi_1945/e/3fd3a8ac2b63e6cace9c3367e8cf6764


2010年に宇宙飛行士としてスペースシャトルに搭乗した山崎直子さんの記事だが、中に出てくる「恩師の天野修一教諭」とは、自分が中1の時に体育の授業を教わった先生である。


よく見ると、1999年に亡くなられたとのこと・・・。絶句である。


担任ではないし、中2の時には他校に転任されてしまったので本当に短い間の関わりだったが、学校生活において一番印象に残っている先生と言っても過言ではない。


もともと運動はあまり好きでも得意でもなかった自分が中学に上がり、小学校とは比べ物にならない大きさの鉄棒・うんてい・・・体育の先生ってどんな先生なんだろうか?

ものすごい不安の中授業初日を迎えたのだが、最初に天野先生が放った一言

「私はこの中学で一番優しい先生です」

この言葉にびっくりしたのだが、、、


実際、どなり散らすようなことは1度もなかった。本当に優しく丁寧な指導をする先生で、

能力のある子にはより伸ばす指導を、私のような運動が苦手な子にはいかにやる気を出させるか、失敗を恐れずにやらせるか、そういったところに重きを置いていたような気がする。


中1の最初の頃、上にも書いた小学校とは比べ物にならない高さのうんていを渡ることになった。中3にもなれば無理なく渡れるようになるのだろうが、中1の最初だと身長・筋力ともにまだ未熟、中央に近付くにつれ高さを増していくうんていに対し途中で動けなくなってしまう生徒が続出。しかし天野先生は「無理なら遠慮なく言っていいぞ」と言い、リタイヤした生徒を抱えて地面に下ろした。おそらくは「今は渡れなくても卒業までには必ず渡れるようになるから」というメッセージが込められていたのだと思う。


また、あまり得意でなかった水泳の授業初日には、「泳げない人は必ず泳げるようにしてあげますから」という一言。この一言でかなり楽になり、「意欲的に取り組もう」という気持ちになったものだ。結果的には天候不順であまりプールに入れず、「泳げるようになった」とまではいかなかったのだが。。。


柔道の時には自ら一人一人と向かい、技の指導をしたり(そういえば手が大きいせいか受け身が上手と褒められ、皆の前で先生に技をかけられ、受身の実演をさせられたこともありました)、サッカーの授業の際には「ボールを持っている味方と敵と自分と、常に三角形の形になるよう意識する」ことを指導されたり、先生の作る期末テスト問題が非常に難しく、平均点がやたら低かったり・・・。


たった1年だけだったが、自分の持つ「体育教師」の印象をことごとく覆す方だった。それだけに中2の時他校に転任されると聞いた時は寂しい気持ちで一杯だった。


そして今日2014年3月15日は、私が中学校を卒業してちょうど20年、この節目の日にこんな形で残念なニュースを目にしてしまった。ただ亡くなられてから15年、更に山崎さんの記事で世間に知らされてから4年、今日までこのことを知ることができなかったのが無念でならない。

仕事で大阪出張に行ってきました

昨日の夕飯は天神橋筋商店街にある大阪トンテキへ。

いつもトンテキですが、今日は前から気になってたトンバーグ定食を。
期待を裏切らず美味!

そのあとスーパー阪急オアシスへ。

納豆好きとして、普段東京では見かけない、大阪でしか手に入らない納豆はないかと物色しましたが、、おかめ納豆やなっとういちなど、見事に東京のスーパーと変わらないラインナップでした。。。

会社でインフルエンザが流行しています

昨日1人今日3人で計4人

来ていても体調悪い人が多い…

手洗い、うがい

さらにはマスク、手指の消毒液

少しずつ春が近くなってきたせいか、つい油断しがちですが、気を付けます。