• H3ロケットの打ち上げ時間やコースは、この飛行機の機長が飛行ルートに関わる重要な情報として管制から先に知らされていたと思われるので、 その情報をコックピット内で共有するだけではなく、乗客にも知らせて見せてあげようという粋な計らいだったのだろう。

  • 旅客機の機長とか新幹線の車掌とか、輸送が本業なのにちょっとしたアナウンス入れてくてくれるのが良いね。 金曜の山手線の遅い時間「今週はお疲れさまでした。良い週末をお過ごし下さい」ってアナウンスあったときはちょっと嬉しかった。

 

 

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配信

  • 見せることにあれこれ言われる人が居ますが、こういう病気でこういうこともあると他の患者さんが知れることも一つだと思います。 私もヒルシュスプルング病ですが、Twitterでこういう病気が出たとかこういう後遺症がでてるとか載せてますが、言われるのが自分だけでは無かったとかこういう時にどうしょうと思っていたので知られて嬉しかったですと結構言われます。 希少な病気だと、なんでなんで?から自分を責めてしまう親御さんとか本人が多いので発信することも良いと思いますよ 見てああこういう事あるんだと心構えもできるし 私も腹部にストーマや手術しすぎて感覚がないのですが、怖いのが怪我した時とか帯状疱疹になった時 痛みやらも鈍いので血だらけになってから気がつくことも多いので気をつけて。毎日見て確認してあげてくださいね。

 
  • 娘が同じ病気で手術しました。 昔に比べて進歩していますが、まだまだ難しい手術です。 ネットで日本に三人、この手術の名医がいると聞いて飛行機の距離でしたが行きました。 入院中仲良くなったママさん達のお子さんもみんな側湾症。 他の病院では受けてもらえない難しいケースの方もいました。(他の障害もあり、側湾症の程度も酷い) しかし全員成功してましたし、先生が人柄的にもとても良い。 同じ年、地元の最も良いところ言われていた病院で、ほぼ同じ年の子が側湾症手術で死亡していた事がわかりショックを受けました。 病院によってもかなり変わるから、転院も手かもしれません。 遠い病院だととても大変ですけどね。 ウチも小学生の兄弟もいたのでそちらも大変でした。 病院ではリゾート地の海辺で使うようなら簡易ベットと毛布は借りられ、親が泊まる事は出来て幸いでした。 術後の麻酔は麻薬を使った強いものでした。

 

 

たまひよONLINE

手術後、入院中の様子です。

人気YouTuberのちいりおちゃんこと理央奈ちゃんは、母親の佳寿美さん(35歳)、父親の裕一さん(36歳)、兄の湊人くん(9歳)の4人家族です。 理央奈ちゃんは2歳半で背骨が左右に曲がってしまう側弯症(そくわんしょう)という病気の症状が現れます。背骨を少しでもまっすぐにする手術を受けますが、胸から下にまひが残ってしまうことに。全3回のインタビューの2回目です。

 

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2歳半くらいで右の肩甲骨に小さなこぶが現れ、側弯症と診断

背骨のCTスキャン画像。背骨が横にも後ろにもねじれ、神経も曲がっています。

 

――理央奈ちゃんに側弯症の症状が現れたのはいつごろだったのでしょうか?

 

  佳寿美さん(以下敬称略)

 2歳半のとき、背骨にこぶのようなカーブを見つけました。あわてて受診したところ、側弯症と診断されました。その後、1年ごとに受診していましたが、4歳半のとき、急激な進行が発覚し、手術が必要と診断されました。 通常、側弯症の手術は曲がった背筋をまっすぐに固定するのが一般的なようです。ただ、その手術を受けると身長が伸びなくなるため、多くの場合、思春期を過ぎてから手術を受けると聞きました。 でも理央奈は低年齢で発症し、症状も重かったので5歳2カ月で手術せざるを得ませんでした。

 

 ――当時、どんな症状が出ていたのでしょうか?

 

  佳寿美

 4歳半のころは背骨が曲がることで肺が圧迫されてしまっていて、しゃべるときも歩くときも息切れするような状態でした。「ハアハア」いっている感じでした。 側弯症の手術を受けると身長が伸びなくなると聞いていたので心配していました。でも、背骨の成長を温存しながらカーブを矯正する方法があるとのことで、その手術を受けることにしました。

手術中、まひの兆候が出てしまい中断

側弯症の症状が出始めた2歳半のころ。

 

――手術はどのようなものだったのでしょうか?

 

  佳寿美

 脊髄の神経の状態をていねいに観察しながら、曲がってしまった脊椎を少しでも戻しつつ、身長が伸びることが期待できるプレートのようなものを脊椎に添え木のように添わせる手術だと理解しました。 その手術を受けたのが、2022年の5月、理央奈が5歳2カ月のときでした。 希望すれば手術の様子をモニターで見ることができるということで、私たち夫婦は、手術の様子を別室で見ていたんです。モニターには、手術している部分だけがクローズアップして映されていました。娘の体にメスが入るのはとってもショックでもあり、つらくてつらくて涙があふれてきたことを覚えています。 手術が始まって1時間くらいしたら、「主治医からお話があります」と呼び出されたんです。どうしたのかと思ったら、手術着のままの主治医から「手術中にまひが起きていないか頭から微弱な電気を流してモニタリングをしながら行っていましたが、信号が消えました。まひの兆候が出たため、これ以上手術を続けられません。手術を中止して術野を閉じます」と伝えられました。

 

 ――とてもショックだったと思います 

 

 佳寿美

 「まひするってどういうこと?」と、何が起きたのかも理解できず混乱しました。痛い思いをして手術をしたのに、娘の人生が閉ざされたようで絶望しました。娘にも家族にも申し訳なくて、自分を責めました。 理央奈の脊椎は曲がりがひどく、かなり難しい手術だったとのこと。 医師からは「手術によって神経はショックを受けているので、最初の手術から1カ月くらい間をあけたらその間に神経も回復するはず。だから、その後2回目の手術をしましょう」と伝えられました。 でも、術後1週間くらい経って「神経の回復がよくない」と言われました。そこで最初の手術から2週間後には2回目の手術が決まったんです。

 

 ――2回目の手術を受けられるとわかったとき、どんな気持ちでしたか?

 

  佳寿美

 2回目の手術が受けられることにまず喜びました。側弯症を改善し、身長が伸びるためのプレートのようなものを入れるはずだった手術のどちらもできていなかったので、このままだと側弯症が進行し、肺や心臓を圧迫し、命すら救えなくなるのではないかと心配していました。 理央奈は気道が狭いため、手術のために気管挿管をすると、抜くときに刺激でむくんで気道が閉塞してしまうらしいんです。抜管をするときはかなり慎重に対応し、1回目の手術から1週間くらいは麻酔薬でずっと眠っていました。だから理央奈からすると、目を覚ましてみたら1週間後には再手術が決まっていた状態だったのです。

 

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