子どもは生まれないほうが幸せなのか
皆さんは「反出生主義」という言葉を知っていますか?
「生まれれば快楽も苦痛もある。生まれなければ快楽も苦痛もない。この二つを比べると、苦痛がある前者の方が害悪」と考える思想で「自分は生まれてこない方がよかった(誕生の否定)」「人間は生まれない方が良いので子供は生まない方が良い(出産の否定)」といった考え方をディヴィッド・ベネターらが主張しています。
ただ、こういった考え方自体は何世紀も昔からあるようです。
先日7月12日付の新聞に、ある女性の告白記事が掲載されました。
「自分は生まれなかった方が幸せ。子どもを持ちたいとは思えない。」という内容。
幼年期に両親から受けた人格否定もあり、すべてのことに嫌気が差し、唯一心地いいのは寝ている間の「無の状態」だけ、だという。
そんなとき、ベネターの反出生主義に出会いすごく腑に落ちた、との話。
でも最近、恋人もでき自分としては変わりたいという願望もある、ということで新聞社へ相談され記事として掲載されました。
該当の記事は下記参照( 出典:2023年7月12日付中日新聞)
「無の状態」心地いい
生まれなかった方が幸せだと考えるのはなぜか。女性は「働くことや家族との関わり、日常生活の全てに嫌気が差している。頑張ることにも、ただ生きることにも非常に疲れた」と話す。反対に心地いいと感じるのが「無の状態」。寝ている間の無意識が好ましく、起きている間は「考えることも意識がある今も嫌」という。
そうした感覚は幼い頃から。最初の記憶は定かではないが、小学校低学年で、両親に「私は自殺して死んだ方がいいですか?」と手紙を書いたことがある。子どもの頃からネガティブ思考で、考え過ぎてしまう気質があったと感じている。
会社員と専業主婦の父母、弟との4人家族。「両親から愛されていると思えたことがない」ことも自分の考え方に影響していると感じる。両親はお金の問題でもめる機会が多かったほか、週末は趣味のパチンコに出かけるため、渡される1000円で弟と昼ご飯を買って食べた。中高ではいじめに遭い、20代の頃からうつ病で投薬治療やカウンセリングを受けた時期もある。
うつが悪化した数年前、両親とそれまでの葛藤について話し合った。父親には「誰のおかげで生活できると思っている」、母親には「愛情を持って育てたのに泣けてくる」と言われた。「だとしたら私の受け取り方が悪かったと、自分を責める結論に至った」。同時に「自分の都合しか考えないのに、なぜ子どもをつくったのか」と両親を恨む気持ちもあったという。
心に秘めていた感覚に名前がついたのは2年ほど前。雑誌や本で反出生主義の考えに触れた。「生まれれば快楽も苦痛もある。生まれなければ快楽も苦痛もない。この二つを比べると、苦痛がある前者の方が害悪」。南アフリカの哲学者デイビッド・ベネターの主張が「思っていたことはまさにこれ」とふに落ちた。
趣味の読書や映画で感動することはあるが、女性には「喜びや幸せがなくて、かつ苦痛もない方がすごく魅力的」に感じる。自分が「無」でいたかったという思いが、「私の子どもは産んでいないから存在していない。なのでそこにいて、と思う。産まないのが私の愛情」という考えにつながるという。
苦痛を感じながらの暮らし。仕事もあまり長く続かず、現在はパートで生活費を得ている。「一緒にいてくれる人がいるとありがたい」と感じるため、パートナーが欲しい気持ちはある。半年ほど前にできた恋人とは子どもや結婚の話が出ている。
あなたはどう思いますか?
人は生きているだけで意味がある
以下は私の個人的意見です。
私はうつ病で(今はほぼ寛解)、うつが悪化しているときにはよく自分の存在理由を考えたりしたものですが、「生」には「能動的・積極的な生」と「受動的・消極的な生」とがあると思うのです。
能動的・積極的な生とは、目標に向かって信念を貫いて生きようとする生のことで「あれをしよう、これがやりたい」と願望を持って前向きに生きようとする生のこと。
逆に受動的・消極的な生とは、例えば「もし自分が死んだら、妻や子はどう思うのだろう、ちゃんと自分達だけで生きて行けるだろうか」とか、そんなことを考えると死ぬこともできず、何気ない妻の笑顔を見て「やっぱりこの人のためにも生きていこう」と思い直し生きてゆく生のこと。「誰かのために生かされている生」とも言えると思います。
そんな消極的な生であっても、妻や周りの人に影響を与えて生きています。
けんかをしたり、悩んだり、笑ったり、そうした行為を通して人と人は影響を及ぼしあい成長してゆくものだと思うのです。
なんのため、誰のために生きるのか。生きる意味とは何か。
そんなことを考える必要はありません。
「ただそこに居るだけで」人が生きる「意味」はある、と思うのです。
いっしょにテレビを見ていっしょに笑って、そんな笑顔の横顔を見るだけで、心は落ち着くんです。何も言わなくても。
存在すること自体に意味がある、と思うのです。
明石家さんまさんが言っていた「生きてるだけで丸儲け」という言葉に近いのかもしれません。
退廃的思想の裏には社会の病理がある
最近思うのですが、こういったマイナス思考の若い女性が増えてきていると感じます。
私はインスタもやっているのですが「ひとを傷つけたり自分が傷つけられるのは嫌だから、自分は気が合う人とだけ付き合いたい。自分ひとりだけの世界に浸りたい。」という理由でフォローをどんどん解除する人たちがいます。
こういった考え方で「自分の殻にこもった生活を送る」というのも私の言う「消極的な生」を生きているうちに入るのだと思います。
また、そういった人たちの職業って決まってパートとか非正規とかの不定期な仕事に就いてるし、大体が独身「おひとりさま」が多いのです。
結婚しない理由は憶測ですが、両親も離婚している、経済的に困窮した家庭で育っている、幼少期に虐待を受けた、といった経験を持っている人が多いように感じます。
人間、歳をとると誰しもが消極的な生になってゆくものですが、20代、30代の若さで夢も希望もないなんて悲しすぎます。
今の社会って、貧富の格差が拡大して、貧しい人たちはほったらかしにされている、そんな感じがして仕方ないのですが、彼らの鬱積した不満や鬱憤が反出生主義の認容という形で顕在化してきたのかな、とも思います。
反出生主義のような終末思想は、内戦で飢餓人口の多いアフガニスタン、リビア、イエメン、シリア、そして戦争中のウクライナで起こるのなら理解できますが、日本のような平和で安全な国で若い女性を中心に増えてくるのは社会が異常です。
少子化を加速させる原因にもなっているのでしょう。
こうした原因は女性や低所得者層の経済的貧困に対処してこなかった政府に責任があるのだと思います。