シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて〜その453〜 |  アンドロゴス生涯学習研究所

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今日は、ひとつ、都市伝説を話しましょう。

■ 背景

これはベトナム(漢字表記では越南)のお話です。
かつて、ベトナム人は、自称か他称かはわかりませんが、キン(漢字表記では「京」)族と呼ばれ、紀元前から大中華に征服され、その属国として過ごしていました。
大中華の影響でしょうか、漢字文化圏になっているようです。
キン族は、やがて、ベトナム北部に帝国を築き、統一に向かいました。
大中華、特に明に服属したりもしましたが、1500年頃には小国を飲み込みながら南進し、1800年頃には現在のベトナム全土を帝国化したものと思われます。
しかし、やがて、フランスの植民地にされ、コーチシナと云う名で呼ばれていたようです。
それ以来、カトリック文化の強い影響を受け、現在も残るフランス式の建築物がつくられたようです。



私は良く識らないのですが、ベトナム人の男子にグエンという名が多いのは古くからある阮朝の名「阮(ぐえん)」を通字(とおりじ)として用いているのではないでしょうか。

第二次世界大戦が佳境に入ると、日本は(毎度、何でも佳境にはいると名前が出てきますね)ペタンのヴィシー政権に強要して1940年に北部仏印(トンキン、漢字表記「東京」)に軍を進駐させました。



1941年になると、時のインドシナ総督ジョン・ドゥクー(Jean Decoux, gouverneur général de l'Indochine française )と結んで、日本軍は南部仏印(コーチシナ)も軍の勢力下にして行きます。
この人は、1884年ボルドー生まれで、フランス海軍の極東部隊を指揮していたのでしょう。

これは元々の、ラオスやカンボジアも含んだインドシナ植民地政府との合作でしたが、なぜか日本の正史では「南部仏印への進駐がインドシナ半島の紛争のはじまり」というように語られているようです。(はいはい、なんでも日本が悪いのね)

さて、日本はといえば、大戦の敗北に終わり、世界はアメリカの指揮下に移っていくのです。
好むと好まざるとにかかわらず、終戦時にインドシナ半島には6万人以上の日本人将兵が居たのですから無関係で済むわけは無いのですが、この頃の話はさまざまな戦記物でも見てもらうしか無いでしょう。

そして日本では、何でも世界の悪と云う、ワーギルトインフォメーションに染まるのですが、世界は、同盟国だったソ連をアメリカが「許せん!」とばかり冷戦体制へと導いたのです。
日本人はすっかり騙されて、「アメリカは正義!」、「ソ連は世界の悪!」というプロパガンダで右往左往してきたのですね。

そもそも、ソ連が千島に進行したのはアメリカの指導の元だったのです。


これは、1945年8月、9月に行われた北方4島占領作戦にアメリカが援助していたとされる平成29年12月30日の北海道新聞の記事です。
なにしろ、アメリカ・ソ連は同盟国ですから当然です。
その後の冷戦時代というのに、日本がだまされたというばかりか、世界中が翻弄されていたのですね。

ホーチミンのベトミン(漢字表記「越盟」)は日本軍の糧秣倉庫を徴発したりして、飢饉時をしたたかに生き延び、ベトナム人民のなかに結束を強めて行き、やがて全土で革命を起こしてベトナム民主共和国を設立しました。

1945年8月15日、日本の降伏を受け、ホーチミン軍に参加した日本人も少なからず居た、と聞いております。

ベトナムはジュネーブ協定によって南北に分裂させられたことになっていますが、各部に軋轢が残っており、アメリカの介入を許すことになるのです。

フランスはといえば1954年にディエンヴィエンフーの戦いにボロ負けしてインドシナ半島から植民地を失って全面的に撤退することになったのですから、ベトナムにおけるフランスの影は歴史的建造物の姿でしか残されていないのかもしれません。

しかし、その頃、インドシナ半島では幾多の戦火が繰り広げられていたのです。
小学生だった私は、世界のことなどなにもわからずに過ごしたので、覚えているのは、夕方のアニメの時間の合間に流れるフラッシュニュースで、「カンボジア」、「シアヌーク殿下」、「ラオス発ビエンチャン」「パテトラオ」「南ベトナム民族解放戦線」「ゴジンジェム政権」なんていう単語が流れたのを覚えていますがそれが何を言っているのかは理解していませんでした。

アメリカは1964年、トンキン湾事件を企て、ベトナム全土に利権を拡張しようとしました。(ソ連の脅威という・・・)
この年、日本では、東京オリンピックなどというものが開催され、インドシナ半島のことなど、まるで当然のように、平和に向かっているものだと信じ込まされていました。

北ベトナム(ベトナム民主共和国)は、南ベトナム(ベトナム共和国)に、解放勢力であるベトコン(南ベトナム民族解放戦線)を共産主義の「細胞」として送り込んだのでしょうか、次第にベトコンは威力を増していったのです。

アメリカは南ベトナムを支援して、補給路を断つなどといって、北ベトナムを攻撃(北爆)していましたが、早い話が、「世界の警察」を標榜してソビエト連邦に喧嘩を売っていたわけです。
アメリカ軍は24D等の枯葉剤(かれはざい)を散布したり、悪逆の限りを尽くしていました。
(24Dは、日本では、柑橘類の落果防止の為に、手作業でマッチ棒に微量を付けて未熟な果実のヘタに塗布していました)

村があればナパーム弾で焼き尽くし、手当たりしだいに民間人を殺したのですが、肝心のベトコンは、総延長数百キロに及ぶトンネルを縦横に掘りまくり、首都サイゴンに迫ったのです。
1975年のサイゴン陥落によって、アメリカの敗北が決定的になり、南ベトナムに駐留していた米軍とその軍属は、命からがらサイゴンから逃げ出したのです。


これは千鳥ヶ淵の「みたま祭り」に似たホイアンの灯篭流し

最近、ふと思い出したのですが、あ、アメリカ、賠償金払ってないよな、と。

■ 都市伝説

1975年、アメリカは敗戦、の賠償金の代わりに、日本国の統治権をベトナム民主共和国に引き渡した・・・というものです。
日本人には知らせないまま、50年後には日本人は皆、ベトナム人になる、と。

最近良く言われる、「すでにアメリカは大中華に日本人を売り渡した」、という話に比べると、ずいぶんと気が利いた話じゃないですか。
あるいは、滅亡予言のたぐいの、「2025年、100mの超巨大津波が列島を覆い尽くす」なんてのもありました。
昔の、予言で、「2025年、日本人は全滅しそうになるが、かろうじて逃れられる」、などというのも。

って言ってる間に年が明けちゃいました、皆様、あけましておめでとうございます。(津波もあったけど)

なんでも、その50年後というのが、来年、2025年7月だというのです。
アメリカの法律では合衆国のアーカイブは極秘の資料であって、50年経つと、公開してしまうとか。
アメリカ人にしてみれば、日本人なんて搾り取ってポイしたちゃえばいいだろ、と思ったんじゃないですか。
ことろがベトナム人は律儀に日本を併合しようと考えた、というのがこの都市伝説のココロなんですね。

■ 検証(検証もクソも、ただの都市伝説だっつうの)

令和5年第1回定例会 予算決算常任委員会(3月13日) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=80kf_kFoJj4

(53m43s〜1h7m00s)

当該部分の内容を書き出してみましょう。

○南澤委員
説明の冒頭で、地域おこし協力隊でベトナム人コミュニティ構築の配置をするというような説明があったかと思うんですけども、その背景をもう少し説明していただけますでしょうか。

○久光社会環境課長
このたび地域おこし協力隊としてベトナム国籍の方を採用してコミュニティづくりを推進したいと思ってます。現在、市のホームページに掲載し、募集を行っております。
本市では、本年2月末現在、先ほどありましたように892人の外国人の方が暮らしております。中でもベトナム国籍の方が256人と全体の約3割と一番多く、市内の事業所で多数働かれております。
そういう中で、ベトナム国籍の方のコミュニティづくりや相談窓口の対応や日本語教室等の生活のサポートなどを行い、さらに地域との橋渡しや、市民との交流の場づくりを通じて、違いを尊重し合えるまちづくり、これを推進させてほしいというふうに考えております。

●26000人しか市民がいないところに、256人のベトナム人がいるというのは既に1%も居るということなのです。
「多文化共生推進」というのが全国で繰り広げられている中央政府の施策だったのですね。
実はベトナム人の一番多いところはグンマー(群馬県)だそうで、そこでも、中央政府によって同様な展開がされているようです。
多文化共生という衣(ころも)を被った政策なのです。


これは「〜その187〜」で貼った、元、私の相棒のグンマーです。
(失礼、これは特定の個人を誹謗するもので、広範な群馬県民のことではありません、この絵は愛すべきヌバ族ですね)

○田邊委員
すみません、先ほど地域おこし協力隊のベトナム人国籍のためのサポートということで御説明があったんですけれども、なぜベトナム国籍の方だけを対象にしてるのかがちょっといまいちよく分からなくて。
今まで外国人の方のサポートは事業として取り組まれたと思うんですけれども、その中で、いわゆる課題があってそこに対して人員が必要だからプラスするっていうのであれば、その人員プラスさせたもので全体を見るということも可能だと思うんです。
それがなぜベトナム国籍だけのために1名入れられるのかというところをちょっと具体的に教えてください。

○内藤市民部長
確かになぜベトナム人なのかということあるかと思います。
まず、我々安芸高田市は、当然社会環境課ですけども、こういったコミュニティをつくるというところのノウハウを持ち合わせていません。
ですので、まずは、一番上、たくさんお住まいになっていただいてるところ、こちらのほうのコミュニティづくりを推進し、その中でノウハウといったらちょっと語弊があるかもしれませんが、知見を蓄えたいと。
併せて、ベトナム人の方々に地域おこし協力隊の方は注力いただきますけれども、併せて我々職員のほう、ほかにもタイの方ですとか、たくさん住んでいただくことありますので、この辺りへの事業展開にも参考にしたいというふうには考えております。

●田邊委員と南澤委員は、FAQ(よくある質問)をエミュレートしているのですね。
この二人は、SIB/PFSの時と同様、中央政府のエージェントとして議会にいる、いってみれば、ナビゲーターのような存在なのです。
一方、石丸市長はといえば、アメリカのネオコン(トロツキストの細胞がアメリカ的に変化した勢力)に類似した、いわゆる抵抗勢力なのでしょう。
大分、はっきりしてきましたが、次の資料で決定的になります。

法務省のページ
https://www.moj.go.jp/content/000110979.pdf
これはJAICAの作成したベトナム憲法の和訳と解説です。
法科の人でなければ、条文ではなく、冒頭の解説を読むだけで充分理解できます。

ありゃ、都市伝説では無い?!、これはマブネタか・・・???

トロツキストみたいなのとは相性が悪そうで、アメリカとは反りが合わないでしょうね。
でも、日本人は社会正義が大好きだから、平気かも、そもそも、民族は自決しなくてはならないから、これは問題ないけど。
家族も重視しているし、居住の自由もあるし、うまくいくかもしれません。
なによりも、日本人は今の専制的な政府とは合わないから、かえって幸せになれるんじゃないかな。

私は未熟なりに、日本国憲法を愛していたのですが、こんなところに、理想的な憲法が転がっているとは思いませんでした。
これなら、ロシアともうまくやれるし、領土の折衷案もうちだせるでしょう。

かつて、アベッちは、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、南朝鮮(大韓民国)、東朝鮮(日本国)の皇帝になると言ってたよね。
彼は、東朝鮮の統治権を失ったら元も子も無いのですね。
それで逆らってたのかぁ。
でも粛清されちゃったから、韓国の影響も排除されたんですね。
EGが粛清されたのも同じ理由かしら。
まだ、キッシーがどっち側かわからないからね、ってことは、すでに日本国憲法の効力も無いんだろうなぁ。

どーも、本当くさい。
これなら、宇宙時代になっても、ならなくても、日本はベトナムになっていきそうだね。


信じる信じないはあなた次第ですね。

弥栄!(井口博士風)




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