シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて〜その366〜 |  アンドロゴス生涯学習研究所

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これから、ホツマツタヱ4アヤの解説を始めます。
今日は最初の、Part1です。
私は、アメ族が日本列島に来訪してから、50年〜70年程の間を「浅い日」と呼んでいます。
本文中や、地名に「アサヒ」という言葉がでてきたときは、ほとんどが「朝日」では無く、「浅日」であることをしらなくてはなりません。
このアヤはアメ族の浅い日に、宰相タカミムスビ5代目のタマキネによって開かれたと考えられるヒスミノミヤに始まりますが、これから話題になるのは、大和路で起こっている事柄なのです。
とうぜん、タカミムスビであるトヨケは、現代に言う、大和路で政治力を発揮する、ということになります。
また、以前書いたように、このアヤは後世に言う、「演義(えんぎ)」の形で表現されているのですが、それを意識するばかりに、コマ切れになって、かえって書いてあることがわからない、という結果になり、少々、反省しております。
今回は、オオヤマスミが入れた間の手(あいのて)を示す、文中の「 」は、無益なので省いて紹介しています。
この演義に興味のある方は、「〜その169〜」、「〜その170〜」、「〜その171〜」、「〜その172〜」、「〜その173〜」を参照していただきたいと思います。(ただし、肝心の翻訳のほうは稚拙です)

そして、このトヨケが「東のトコタチ」と呼ばれる基になったのは、ホツマクニのヒスミノミヤですが、現代の白河付近の「関和久官衙遺跡」に相当する地域にあったのです。
そこにおけるトヨケのミヤは、現関和神社に相当します。


これは関和神社、浅い日のトヨケのミヤです

関和神社(せきわじんじゃ)
福島県西白河郡泉崎村関和久関和神社1
37.135414,140.314572

祭神 
大山咋命(おおやまくいのみこと)

標高 322m
利用河川 阿武隈川

この祭神、大山咋(おおやまくい)は他のアヤでもでてきますが、オオヤマスミの別の呼び方で、オオモノヌシである人物ですが、山住みの地位に対する呼び名で、個人名ではありません。
「トヨケ」は讃え名で、一族の中でのヰミナは「タマキネ」です。
アメ族全体から見ると、その役職に対するカバネは「タカミムスビ」ということになります。
ほかにも、「カナサキ」は「夏の御家の幸せ」、つまり、殷の末裔でありながら、パートナーである「夏」の利益を第一に考える人、という讃え名ですね。


では、本文にはいりましょう。

●一行訳1

4-1 ヒのかみのみづみなのアや  ヒノカミノミヅミナノアヤ 【ヒ〔日〕・ノ・カミ、上・ノ・ミヅ、瑞・ミ(寧)ナ、名・ノ・ア〔敬〕ヤ、綾、日の御上の瑞御名の綾】
4-1 もろかみの かみはかりなす モロカミノ カミハカリナス 【モロ、諸・カミ、守・ノ、諸守が】、【カミ、守・ハカ、諮・リ(分詞)・ナ、為・ス(分詞)、諸侯会議をする】、
4-1 たかまにて おゝものぬしが タカマニテ オオモノヌシガ 【タカ、高・マ、間・ニテ(場所)、タカマで】、【オオ、大・モノ、兵・ヌシ、主・ガ、大将軍が】、
4-1 ヒのかみの ゐみなのアやお ヒノカミノ ヰミナノアヤオ 【ヒ〔日〕・ノ・カミ、上・ノ、日の御上(アマテル)の】【ヰ、居・ミ、身・ナ、名・ノ・ア〔敬〕ヤ、綾・オ、ヰミナの謂れを】、
4-2 もろにとふ おゝやますみの モロニトフ オオヤマスミノ 【モロ、諸・ニ・ト、問・フ(分詞)、諸守に問うた】。【オオ、大・ヤマ、山・ス、住・ミ(分詞)・ノ、オオヤマスミの】、
4-2 こたえにハ みをやのしるす コタエニハ ミヲヤノシルス 【コタ、応・エ(分詞)・ニハ(仮属詞)、答えて言うには】、【ミ(寧)ヲ〔敬〕ヤ、親・ノ・シル、記・ス(分詞)、御親(ここではトヨケ)の記した】
4-2 うたにアり もろかみこえハ ウタニアリ モロカミコエハ 【ウタ、歌・ニ・ア〔敬〕リ(分詞)、ウタに、その謂れがあります、と】。【モロ、諸・カミ、守・コ、請・エ・ハ(理由)、諸守が請うので】、
4-2 やますみが つゝしみいわく ヤマスミガ ツツシミイワク 【ヤマ、山・スミ、住・ガ、ヤマスミは】、【ツツシ、謹・ミ(分詞)・イ、言・ワ(分詞)・ク(伝聞)、謹んで言います】。
4-3 むかしこの くにとこたちの ムカシコノ クニトコタチノ 【ムカシ、昔・コ、此・ノ、それは、昔】、【クニ、国・トコ、常・タ、立・チ(分詞)・ノ、(大陸の)クニトコタチの】、
4-3 やくたりこ きくさおつとの ヤクタリコ キクサオツトノ 【ヤ、家・クタ、下・リ(分詞)・コ、家から下された皇子が】、【キ、木・クサ、種・オ・ツト、苞・ノ、種々の植物(の種)を携えて】、
4-3 ほつまくに ひかしはるかに ホツマクニ ヒカシハルカニ 【ホツ、真・マ、実・クニ、国、(ここ)ホツマクニに(来ました)】。【ヒカシ、東・ハル遥・カ(分詞)・ニ、東遥かに】、
4-3 なみたかく たちのほるヒの ナミタカク タチノホルヒノ 【ナミ、波・タカ、高・ク(分詞)、波は高く】、【タ、立・チ(分詞)・ノホ、上・ル(分詞)・ヒ〔日〕・ノ・立ち上る日(常陸)の】、
4-4 ひたかみや たかみむすびと ヒタカミヤ タカミムスビト 【ヒタ、直・カミ、上・ヤ、也、(常陸の)直上(のホツマクニ)へ、(と来ました)】、【タカ、高・ミ、身・ムス、結・ビ(分詞)・ト(態)、タカミムスビとして】
4-4 くにすへて とこよのはなお クニスヘテ トコヨノハナオ 【クニ、国・スヘ、据・テ、国を作り】、【トコ、常・ヨ、世・ノ・ハナ、花・オ、常世の花(唐橘)を】、
4-4 はらみやま かくやまとなす ハラミヤマ カクヤマトナス 【ハ、葉・ラ、母・ミ、身・ヤマ、山、(大和路の)ハラミ山(に植えて)】、【カ、夏・ク、具・ヤマ、山・ト・ナ、為・ス(分詞)、夏具山・と呼びました】。
4-4 ヰモつきの まさかきもうゑ ヰモツキノ マサカキモウヱ 【ヰ〔五〕モ〔百〕ツ、継・キ(分詞)・ノ、(先祖が)500回も植え継いだ】【マ、間・サカ、栄・キ、木・モ(例)・ウ、植・ヱ(分詞)、真榊も植えました】。
4-5 よゝうけて ヲさむヰつよの ヨヨウケテ ヲサムヰツヨノ 【ヨ、代・ヨ、々・ウ、受・ケ(分詞)テ(仮属詞)、(その)代々を受け継ぎ】、【ヲ〔尊〕サ(分詞)ム(再帰)ヰ〔五〕ツ(類)ヨ、代・ノ、治めた5代目の】、
4-5 みむすひの ゐみなたまきね ミムスヒノ ヰミナタマキネ 【ミ、身・ムス、結・ヒ(分詞)・ノ、ミムスビで】、【ヰ、居・ミ、身・ナ、名・タマ、君・キネ。杵、ヰミナをタマキネ】、
4-5 もとアけお うつすたかまに モトアケオ ウツスタカマニ 【モト、元・ア〔敬〕ケ、明・オ、(雨亜族の)始祖の栄光を】、【ウツ、映・ス(分詞)・タカ、高・マ、間・ニ、反映したタカマに】、
4-5 アめみをや もともとアなれ アメミオヤ モトモトアナレ 【ア〔敬〕メ・ミ・オ〔敬〕ヤ、雨の御親と】、【モト、本・モト、元・ア〔敬〕ナ、慣・レ(分詞)、先祖の雨亜族縁(ゆかり)の】、
4-6 ミソフかみ まつれハたみの ミソフカミ マツレハタミノ 【ミ〔三〕ソ〔十〕フ〔二〕カミ、神、32神を】【マツ、祀・レ(分詞)・ハ(結果)・タ、手・ミ、身・ノ、祀ったので配下から】、
4-6 とよけかみ ひかしのきみと トヨケカミ ヒカシノキミト 【トヨ、豊・ケ、餉・カミ、上、豊かな・食料の御上と呼ばれました】。【ヒカシ、東・ノ・キミ、君・ト、東のキミとして】、


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●連続訳1
日の御上の瑞御名の綾
諸守が、諸侯会議をする、タカマで、大将軍が、日の御上(アマテル)のヰミナの謂れを、諸守に問いました】。
オオヤマスミの、答えて言うには、御親(ここではトヨケ)の記した、ウタに、その謂れがあります、と。
諸守が請うので、ヤマスミは、謹んで言います。
それは、昔、大陸のクニトコタチの、家から下された皇子が、種々の植物(の種)を携えて、ここ、ホツマクニに来ました。
東遥かに、波は高く、立ち上る日(常陸)の、直上のホツマクニへ、と来ました。
タカミムスビとして、国を作り、常世の花(唐橘)を、大和路の、ハラミ山に植えて、夏具山と呼びました。
先祖が500回も植え継いだという、真榊も植えました。
代々を受け継ぎ、治めた5代目の、ミムスビで、ヰミナをタマキネ、雨亜族の始祖の栄光を反映したタカマに、雨の御親と、先祖の雨亜族縁(ゆかり)の、32神を、祀ったので、人々から、「豊かな・食料の御上」と呼ばれました。

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●解説1
気をつけないといけないのは、ここでは「アメ」というのは、アメ族のメインストリームである「雨亜族」の御家のことなのです。
そのキミは、日の儀であると同時に雨亜族の儀でもあるからです。
そして、これまで、誰も理解していなかったことに、オオモノヌシというのは、「物部氏」の司なのですね。
これをわきまえないと、話がグチャグチャになってしまうのです。




●一行訳2

4-6 とよけかみ ひかしのきみと トヨケカミ ヒカシノキミト 【トヨ、豊・ケ、餉・カミ、上、豊かな・食料の御上と呼ばれました】。【ヒカシ、東・ノ・キミ、君・ト、東のキミとして】、
4-6 みちうけて おゝなめことも ミチウケテ オオナメコトモ 【ミチ、道・ウケ、受・テ、(古来の)作法を受けついで】、【オオナメコトモ、(代々の)大嘗祭も行い】
4-6 まさかきの むよろにつきて マサカキノ ムヨロニツキテ 【マ、間・サカ、栄・キ、木・ノ(枕)真榊の】、[ム、胸・ヨロ、寄・ニ・ツキ、継・テ、代毎に継いで]、
4-7 うゑつぎハ フソヒのすゞの ウヱツギハ フソヒノスズノ 【ウ、植・ヱ(分詞)・ツ・ギ、儀・ハ、植継いだ君は】、【フ〔二〕ソ〔十〕ヒ〔一〕・ノ・スズ、鈴・ノ、二十一鈴の】、
4-7 としすてに モフソヨろナチ トシステニ モフソヨロナチ 【トシ、歳・ステ、既・ニ、年にはすでに】、【モ〔百〕フ〔二〕ソ〔十〕・ヨ〔百〕ロ、万・ナ〔七〕・チ〔千〕、120年〈60年〉が過ぎ・七千と】、
4-7 ヰモフソに かんがみれとも ヰモフソニ カンガミレトモ 【ヰ〔五〕モ〔百〕フ〔二〕ソ〔十〕・ニ、520年にも思われたほどです】。【カンガ、考・ミ(分詞)レ(自発)ト(態)モ(例)、思えば】、
4-7 かんまこの チヰモうしアる カンマコノ チヰモウシアル 【カン、上・マコ、孫・ノ、(我が)始祖の裔には】、【チ〔千〕ヰ〔五〕モ〔百〕・ウ、多・シ(分詞)・ア、在・ル(分詞)、大勢の偉人がいますが】、
4-8 そのなかに あめのみちゑて ソノナカニ アメノミチヱテ 【ソ、其・ノ・ナカ、中ニ、そのなかに】、【アメ、雨・ノ・ミチ、道・ヱ、得・テ、雨亜族の血筋で】、
4-8 ひとくさの なけきおやわす ヒトクサノ ナケキオヤワス 【ヒト、人・クサ、草・ノ、人々の】、【ナケ、嘆・キ(分詞)・オ・ヤワ、和・ス(分詞)、嘆きを和す】、
4-8 かみあらず あらねハみちも カミアラズ アラネハミチモ 【カミ、上・ア、在・ラ(分詞)ズ(否定)、御上は出ませんでした】。【アラ、在・ネ(否定)・ハ・ミチ、道・モ(例)、それでは(雨亜族の)血筋も】、
4-8 つきんかと なけくとよけの ツキンカト ナケクトヨケノ 【ツ、尽・キ(分詞)・ン(逡巡)・カ(反語推量)・ト(仮属詞)、尽きるのかと】、【ナケ、嘆・ク(分詞)・トヨ、豊・ケ、家・ノ、嘆く(ナギは)豊家の(縁の)】、
4-9 はらみやま のほりてみれと ハラミヤマ ノホリテミレト 【ハ、葉・ラ、母・ミ、身・ヤマ、山、香具山に】、【ノホ、登・リ(分詞)・テ(態)・ミ、見・レ(分詞)・ト(仮属詞)、登って(周囲を)見たのですが】、
4-9 ヤしまなる ヨろマすたみも ヤシマナル ヨロマスタミモ 【ヤ〔八〕シマ、島・ナル、八洲(列島内の八方の領地)に】【ヨ〔百〕ロマ〔万〕ス・タ、手・ミ、身・モ、数多く居る人々も】、
4-9 うぐめきて みちならえぬも ウグメキテ ミチナラエヌモ 【ウグ、蠢・メ(分詞)・キ(不完)・テ(仮属詞)、右往左往するだけで】【ミチ、道・ナラ、習・エ(分詞)・ヌ(否)・モ、道に従えないのも】、
4-9 ことわりと やはりなげきて コトワリト ヤハリナゲキテ 【コトワ、理・リ(分詞)・ト、道理かと】、【ヤ、矢・ハ、張・リ(分詞)・ナゲ、嘆・キ(分詞)テ(仮属詞)、やはり嘆いて】、
4-10 ひたかみの みやにかえれバ ヒタカミノ ミヤニカエレバ 【ヒタ、直・カミ、上・ノ、直上の】、【ミヤ、宮・ニ・カエ、帰・レ(分詞)バ(結果)、ミヤに帰ると】、
4-10 いさなみの ちちにもふして イサナミノ チチニモフシテ 【イ、伊・サ、佐・ナ、名・ミ、身・ノ、(ナギは)イサナミの】、【チチ、父・ニ・モ、申・フ(分詞)、シ(使役)テ、父に申されて】、
4-10 よつぎこも がなとおほせバ ヨツギコモ ガナトオホセバ 【ヨ、代・ツ、継・ギ(分詞)・コ、子・モ(例)、(私の)代継ぎ子も】、【ガ、欲・ナ(分詞)・ト・オホ、仰・セ(分詞)バ、欲しいと言われました】。
4-10 うらなひて つきかつらきの ウラナヒテ ツキカツラギノ 【ウラ、占・ナ、綯・ヒ(分詞)・テ(仮属詞)、占って】、【ツ、築・キ(分詞)・カツラ、葛・ギ、木・ノ、築いた・葛木の】、
4-11 いとりやま よつきやしろの イトリヤマ ヨツギノヤシロ 【イ(矮)・トリ、鳥・ヤマ、山、鳳凰山(現奈良県葛城市の金剛山)の】、【ヨ、世・ツ・ギ、儀・ノ・ヤ、屋・シロ、代、世の儀のヤシロ(金剛山頂の葛木神社)に】
4-11 いろしてハ アめのみをやに イロシテハ アメノミヲヤニ 【イロ、色・シ、色・テ、垂・ハ、(下げた)色垂は】、【ア〔敬〕メ、雨・ノ・ミ(寧)・ヲ〔敬〕ヤ、親・ニ、雨亜族の先祖に】、
4-11 いのらんと とよけみつから イノラント トヨケミツカラ 【イ、威・ノ、宣・ラ(分詞)・ン(意思)・ト(仮属詞)、権威を宣ろうとしたのです】。【トヨケミツカラ、トヨケは自ら】


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●連続訳2
東のキミとして、古来の作法を受けついで、代々の大嘗祭も行い、真榊の、代毎に継いで、植継いだ君は、二十一鈴の、年にはすでに、120年〈60年〉が過ぎ・七千と五百二十年にも思われたほどです。
思えば、我が始祖の裔には、大勢の偉人がいますが、そのなかに、雨亜族の血筋で、人々の、嘆きを和す、御上は出ませんでした。
それでは雨亜族の血筋も、尽きるのかと、嘆くナギは、豊家の御縁の、現天香具山に、登って(周囲を)見たのですが、八洲(列島内の八方の領地)に、数多く居る人々も、右往左往するだけで、道に従えないのも、道理かと、やはり嘆いて、(クニトコタチの祠の)直上の、ミヤに帰ると、ナギは、イサナミの、父に申されて、私の代継ぎ子も、欲しいと言われました。
占って、築いた・葛木の、鳳凰山(現奈良県葛城市の金剛山)の、世の儀のヤシロ(金剛山頂の葛木神社)に下げた色垂は、雨亜族の先祖に、権威を宣ろうとしたのです。

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●解説2
この数詞表現には往生させられました。
「モフソヨロナチ」というのは、どうやら定形句のようです。
二十一鈴はイサナギの治める世なのですね。

また、「イトリヤマ」というのも、鳳凰は「オオトリ」ですから、へりくだって「小鳥」と言っているのです。
「イ」は矮小辞なのです。

また、現代では「天香久山」ですが、元々、雨の夏具山で、「雨亜族が夏に具した山」ということなのです。
それゆえ、「あまのかぐやま」と読むのが正しいと思われます。


これは大和路の現大和三山のひとつ、天香久山にある現天香山神社です。
すぐ南側にある国常立神社の高間に、遠い先祖のクニトコタチを祀ったので、トヨケは「東のトコタチ」と呼ばれているのです。
そこにお参りしたナギが、ヒタカミ(すぐ北にある)カグヤマノミヤに帰ったということなのですね。
ホツマツタヱの記述は、現代のロケーションともピッタリと合致しているのです。
クシミカタマは、super natural なことは一切書かないのです。

現代ではアメリカが左前になって久しいのですが、ドルがしぶとく居座っており、簡単に解決しないのかもしれません。
ここはがんばって、一気に大団円! と行きたいものですね。



さて、ホツマツタヱに関するご意見ご要望、いちゃもん、文句、NGのあるかたは掲示板のほうに書いていただければ、うちのヱが対応します。
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