12アヤの解説、後半です。
■ サツサツツウタ
12-7 | つけなぐる さつさつゝうた | ツケナグル【付けて投げた】サツサ・ツツ・ウタは |
12-8 | さすらでも はたれもはなけ | サスラデモ【そんなにしても】 ハタレモハナケ【ハタレも鼻息が】 |
12-8 | ミつたらす かかんなすがも | ミツタラス【ちょっと足りない】 カカンナスガモ【いくらがんばっても】 |
12-8 | てだてつき かれのんてんも | テダテツキ【もう手立ては無いよ】 カレノンテンモ【だから何をしても】 |
12-8 | アにきかず ヒつきとわれハ | アニキカズ【アメの御上には効かない】 ヒツキトワレト【日月とわしらは】 |
12-9 | アワもてらすさ | アワモテラスサ【天地を照らすのさ】 |
12-9 | さつさつと もろがうたえハ | サツサツト(オノマトペ)【颯爽と】諸が歌ったので |
12-9 | きくはたれ わさもみたれて | (これを)聞いたハタレは、技も乱れて |
12-9 | しばらるゝ かれこのうたお | 縛られてしまった。そこで、この歌を |
これは節をつけて歌ったものなので、歌詞もすこし口語っぽく工夫してみました。
何度も出てくるカカン・ノン・テンという構文にも慣れていただかないといけないと思います。
いつまでも、「篝火」、「祝詞」、「太鼓」ではダメなのです。
■ アマテル稚児を褒める
12-9 | しばらるゝ かれこのうたお | 縛られてしまった。そこで、この歌を |
12-10 | さつさつの こゑとたのしむ | サツサツの節で楽しむ |
12-10 | かのちこお アめにおくれハ | その稚児を、アメに送ったが、 |
12-10 | かみのまえ えたそろハねハ | 御上の前に出ても何だかもわからず |
12-10 | さらんとす アめのみをやハ | 這い出て行こうとした。アメ・ノ・ミ・オヤ・ハ【(ここではアマテル)は】 |
12-11 | これおほめ なんちはふこの | これを褒め、汝、這う子の |
12-11 | いさおしハ もろにすぎたり | イサオシ・ハ【手柄は】モロ・ニ・スギ・タリ【諸御上に勝っている】 |
12-11 | きみまもれ かみアまがつと | (これからも)キミを護りなさい、カミ・アマ・ガ・ツ・ト【神・天・の・護り・と】 |
12-11 | なおたまふ このもとおりに | 名を賜った。この事跡を基に |
12-12 | アきつヒめ ぬのもてつくる | アキツヒメが布で作った |
12-12 | アまがつハ かみうたこめて | アマガツは、カミ・ウタ・コメ・テ【アキツヒメ御上の御歌を込めて】 |
12-12 | チちヒめに たまえハこれお | チチヒメに賜わったので、これを |
12-12 | さきかけの さわりおのそく | (花嫁行列の)サキ・カケ・ノ【先駆けの】サワリ・オ・ノソク【障りを除く】 |
12-13 | アまがつぞ もしもねたみの | アマガツとした。もしも妬みの |
この、這う子というのが倍年法では1歳半ということで、いい加減歩くと思うのですが、三歳だと思いこんでいる人は異なる訳をしてしまっているようです。
ヱ あ、ソレ、トートイトートイ
■ アマガツの威力
12-13 | アまがつぞ もしもねたみの | アマガツとした。もしも妬みの |
12-13 | かむときも アまがつはへり | 咬むときも、アマガツが侍れば |
12-13 | まぬかるゝ もしもうらみの | 免れるのです。もしも恨みによって |
12-13 | なやますも アまがつはべり | ナヤマスモ【悩まされることがあっても】アマガツが侍れば |
12-14 | しりぞくる まかるうらみハ | (これを)シリゾクル【退けるのです】。マカル・ウラミ・ハ【罷る恨み、命にかかわる恨みは】 |
12-14 | アまがつが みにせめうけて | アマガツが、その身に責を受けて |
12-14 | かハるなり あれおにものお | カハルナリ【身代わりとなるのです】。アレ・オニモノ・オ【荒れ・鬼者・を、策略で攻撃する曲者は】 |
12-14 | やぶるなら そらはふこにて | 破るには、ソラ・ハフ・コ・ニテ【嘘・這う・子にて、人形を囮にして】 |
12-15 | まねきいれ しめひきわたし | マネキ・イレ【引き入れて】シメ・ヒキ・ワタシ【捕らえて(吟味方に)引き渡し】 |
12-15 | みそきなせ おにかみしばる | ミソキナセ【罪障をあかし黒幕を知るのです】オニカミ・シバル【鬼守・縛る、悪い御上を捕縛する】 |
12-15 | うつわもの そらほおことハ | ウツワ・モノ【優れた物である】ソラ・ホ・オ・コ・ト・ハ【嘘・穂・生・子・とは】 |
12-15 | ひつしばえ わらもてつくる | (稲の)ヒツジバエ【収穫後の(先々代であるイサナギの庶子の報われなかった子等を表わす)稲藁を束ねた物】の藁で作った |
12-16 | かんがつハ ぬのもてつくり | カン・ガ・ツ・ハ(これ)【(報われなかった)御上・の・護りの人形なのです】。布で作り |
ここで、少しヒツジバエについて説明したいと思います。
図は前回貼ってありますが、まさに、ナギの孫の世代が、飢饉で困窮したのにつけこんだシラヒトが暗躍しているわけです。
ヒツジバエは一般にはヒコバエと呼ぶことが多いようですが、大木の切り株から直接新芽が出ていたりすると、なんとなくほっこりした気分になります。
果樹では切り株ではなく、生産性のある個体の幹になんとなく生ずることがあり、主幹の勢いを削ぐといわれており、直ちに削り取る必要があるそうです。
地方や職種によってヨゲツとかヤゴと呼ばれることもあるようです。
ホツマツタヱに出てくるヒツジバエは稲を刈り取った跡から再び穂が出る現象で、生命力の発露だと考えかんがえられています。
もとの茎の束はすでに藁になっています。
最終的には穂が出て実ることになります。
https://blog.goo.ne.jp/nikoniko39_39/e/935671d927bb14c6f9ff6def68fee747
この人は現代の繁栄だけを言いたいのでしょうかね。
丹精した水田に実った米と刈り取られ、水も抜かれて乾いた土に実った米を比べているのです。
弥生時代に、御上として生まれながら、飢饉があればひとたまりもない、そんな子裔(こすえ)たちは実りさえすればヒコバエも食べたことでしょう。
現代の日本では、飢饉で餓死する人は少ないと思いますが、都市部では固定資産税を払えなくて餓死する人は居るようです。
本文に書かれていませんが、ハタレの乱の総括では「お助け米」が出されたのではないでしょうか。
一行訳で示したように、
ソラ・ハフ・コ・ニテ【嘘・這う・子にて、人形を囮にして】
ソラ・ホ・オ・コ・ト・ハ【嘘・穂・生・子・とは】
ホツマツタヱの作者クシミカタマは単純な繰り返しは嫌うのです。
無論、単なる音便かもしれませんが、なぜ、その音便が生じたかを無視してはいけないのです。
文法に従い、自動詞・他動詞を見分け、異なる品詞がみとめられたなら掘り下げて読んでみれば、必ずや正しい訳にたどりつけるでしょう。
はじめ、庶子の困窮に気づかず、先々代の裔に不義理をしてしまいましたが、それを繰り返さないように、との思いを込めた人形なのです。
カン・ガ・ツ・ハ(これ)【(報われなかった)御上・の・護り(の人形なのです)】
「ツ」には「護る」という意味もあるようです。
11-18 | たもつなり ヤたのかがみハ | 保つことができます。八咫の鏡は |
11-18 | たてにふれ もろとのさがお | タテニフレ【左手に経れ、鏡の臣に持たせなさい】(そして)諸人の性質を |
11-18 | かんがみよ またやゑかきハ | 考えなさい。また八重垣(の剣)は |
11-18 | つにあつけ あらかみあらハ | 右の臣に預け、荒れた御上がいるなら |
ここでは、オオモノヌシは防衛大臣と言えますね。
攻撃的なだけでは東朝鮮のプロトタイプになってしまうのです。
■ アキツヒメのハタレ平定の歌
12-16 | かんがつハ ぬのもてつくり | カン・ガ・ツ・ハ(これ)【(報われなかった)御上・の・護りの人形なのです】。布で作り |
12-16 | かみまねく アきつめのうた | 神(の僥倖)を招くアキツヒメの歌 |
12-16 | アまかつに かみたまわれハ | アマカツニ カミタマワレハ【アマ(朝廷が)勝つために神が味方した】 |
12-16 | もろはたれ さハりなすとも | モロハタレ サハリナストモ【ハタレ共は、障りを仕掛けても】 |
12-17 | きみがみに ヒとたびかハり | キミガミニ ヒトタビカハリ【キミの身に、身代わりとなって】 |
12-17 | たちまちに たちはたらきて | タチマチニ タチハタラキテ【すぐさま威力を発揮する】 |
12-17 | きみがをゑ みなまぬかるゝ | キミガヲヱ ミナマヌカルル【キミへの穢はすべて免れる】 |
12-17 | アまがつのかみ | アマガツノカミ【(これぞ)アマガツの神】 |
12-18 | このうたお みはらにこめて | コノ・ウタ・オ【この歌を】ミハラ・ニ・コメ・テ【(アマガツの)御腹に込めて】 |
12-18 | つくるへし ときにしほかみ | 作りなさい。この時、シホ守が |
アキツヒメがなぜこのウタを詠んだかといえば、伊勢に攻め込んだハタレ勢は速川一門のトミ・タミだったからです。
つまり、これはアキツヒメがハタレを懐柔した、「お前たちはもうハタレではない、私の庇護下にあるアメそのものなのだから」というメッセージになっているのです。
これは、次元をひとつ下げて「神」を「御上(朝廷)}、「アマ(朝廷)」を私(アキツヒメ)と置き換えても成立する関係なのですから非常に優れたウタであると考えられます。
■ 塩の味
12-18 | つくるへし ときにしほかみ | 作りなさい。この時、シホ守が |
12-18 | またとハく いつれもみぎの | また聞きました。どれも皆、同じように |
12-18 | ことくかや かすがこたえて | つくるのでしょうか?カスガが答えて |
12-19 | さにあらす たゝにつくれハ | そうではありません、タタ・ニ・ツクレ・ハ【ただ、(煮て、次行の導引)似たように作れば】 |
12-19 | かれきなり みたまあればそ | (それは命の無い)枯れた気です。御霊が必要なのです。 |
12-19 | たとふれハ しほのあちあり | タトフ・レ・ハ【例えるなら】シホ・ノ・アチ・アリ【塩の味があります】 |
12-19 | はからねハ あちなしやけど | ハカラ・ネ・ハ【考慮しないなら】アチ・ナシ・ヤケド【味気の無い潮を焼いても】 |
12-20 | しほならす このアまがつも | シホ・ナラ・ス【(良い)塩にはならないのです】コノ・アマガツ・モ【このアマガツも同じで】 |
12-20 | こゝろあぢ いれてなすなり | ココロ・アジ【心の・味を】イレ・テ・ナス・ナリ【入れ・て・作るの・です】 |
12-20 | そのときに しほかまはしめ | その時に、シホカマハシメ【シホカマをはじめとして】 |
12-20 | もろほめて はやあきつめの | 皆が褒めて、ハヤアキツ姫の |
12-21 | いさおしお よゝにのこして | イサオシオ【(輿に乗ってアメ亜族を柔した)功績を】ヨヨ・ニ・ノコシ・テ【代々に遺して】 |
12-21 | さつさつの こゑとたのしむ | サツ・サツ・ノ【幸々の】、コヱ・ト・タノシ・ム【声と愉しむ】 |
12-21 | よめいりの そのさきのりの | ヨメ・イリ・ノ【良人(夫)の家に入る良妻の】そのサキノリノ【前・乗り・の、(花嫁の前にアマガツを乗せた輿を通す)】 |
12-21 | アまがつぞこれ | アマ・ガツとは、このことなのです。 |
花嫁行列というのはアキツヒメの事跡に習っているということでしょうか。
さて、いよいよ塩の話です。
海水は、水と、こんな元素からできているのです。
意外なのは2%以上も硫黄を含んでいることです。
そのほとんどが硫酸イオンの形をとっています。
フクイチのピカの後、再臨界の作用で原子状に分解され「黄色い粉末」として降り積もったとか。
純粋な硫黄は臭いも無いそうです。
「硫黄臭いのは硫化物の臭いだ、正確に言え!」などと吠えていた科学者がいたのは、まだ記憶に新しいでしょう。
火山のそばでは硫黄臭いのはマグマの熱で単体になってしまうからでしょうか。
(温泉卵って美味しいよね)
この表の、一位と二位は塩化ナトリウムとして存在するわけですね。
そんなわけで塩(しお)は塩化ナトリウムを主な成分とするイオン結晶でできています。
いわゆる「食塩」ですね。
ミョウバンの再結晶の実験をしたことがある人は巨大結晶を知っていると思いますが、食塩の場合、溶解度曲線がショボいので、あまり大きな結晶はできにくいのです。
それでも、海水の成分を濃縮していくと、塩の結晶が得られます。
縄文人は海水から塩を得ていたようです。
これは中京地域に多数見られる製塩土器と呼ばれる土器です。
下の尖った部分を地面に刺して自立させてから海水を入れ、周囲で焚き火をして沸騰させます。
水分が蒸発して液が減ったら、上から海水を継ぎ足します。
煮詰めて乾燥状態になるまで加熱したものは、塩化ナトリウムに、塩化マグネシウム、それに微量の硫酸マグネシウム、塩化カリウム、塩化カルシウム等を含むようです。
さらに言うなら酸化カルシウム(石灰)、硫酸カルシウム(石膏)はあまり含まれないようです。
このように、海水を一気に加熱して得られた塩を、縄文塩(じょうもんじお)と呼ぶことにしましょう。
ところが・・・
土器製塩に挑戦
http://tanimoto.travel.coocan.jp/tabi2/kibi25.html
製塩土器で一貫生産か、と思わせておいて・・・
”土器を使って塩を作る方法として、まず、塩分濃度3%の海水を煮詰めてかん水(塩分濃度20%程度)を作り、それを土器に入れて炉で煮詰めて塩の結晶を取り出します。講座ではあらかじめセンターで用意しておいたかん水を使って作業を始めました。”
文系の役人仕事丸出しですね。
これでは「縄文塩」の製法が信じられないじゃないですか。
「藻塩焼き」の科学(1)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/swsj1965/45/1/45_48/_pdf
”1kgの塩を得るためには約40kgという大量の水分を蒸発させねばならない。”
”日本の古代製塩の始まりを「土器によって海水を直接煮沸蒸発させた」と考える人があるが、前述の諸数値を見ると、それがいかに実行困難なものかわかるだろう。”
”ましてそれ以前に灰塩という方法が行われていた日本で海水の直煮が実施されたはずがない。”
この論文の主である村上正祥という人は、団体に天下った方でしょうか、ね。
「藻塩焼き」の科学(2)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/swsj1965/45/2/45_111/_pdf/
結局、縄文時代の製塩は想像しただけの不適切な実験考古学に堕した「定説」でしか考えないのですね。
日本料理では、潮汁というのは塩味だけで魚を煮た吸い物で、1%程度の味に仕上げます。
縄文以前の時代、耐熱容器が無くて木の桶でも焚き火で焼いた石を入れるとしばらく沸騰が続きます。
また、海水程度の濃度の塩水に、下ろした魚を漬け込む「たて塩」という技法もあります。
調味料としての塩は固形でなく、塩水(つまり鹹水)を液体のまま使っていたのではないでしょうか。
鹹水(かんすい)は,使っているあいだに、自然に再結晶した塩が得られる濃度まで進化していったのではないですか?
縄文人を甘く見てはいけませんが縄文テクノロジが万能と思い込むのも問題でしょう。
記紀より500年も前のホツマツタヱには藻塩という言葉は現れてきませんが塩を「焼く」という表現はあります。
では、ホツマの頃、弥生時代の製塩はどのようにされていたのでしょうか。
前述された藻塩焼くという表現でも、藻塩と焼くを分離して考えられる鹽竈神社の神事に習った製塩業者の記事があります。
https://mosio.co.jp/
このサイトではホンダワラは濾すだけと考えています。
そして鉄の平釜で海水を10時間煮ています。
ある程度煮詰まったら火を消してそのまま静に温度を下げ、一晩かけて再結晶させる、ということでしょう。
出来た結晶はすくい取って乾燥させるという工程になるようです。
この作り方は結晶を鹹水から引き上げて乾燥させるということですから、マグネシウムの少ない、いわゆる「甘塩」という状態になるのです。
12-19 | たとふれハ しほのあちあり | タトフ・レ・ハ【例えるなら】シホ・ノ・アチ・アリ【塩の味があります】 |
12-19 | はからねハ あちなしやけど | ハカラ・ネ・ハ【考慮しないなら】アチ・ナシ・ヤケド【味気の無い潮を焼いても】 |
12-20 | しほならす このアまがつも | シホ・ナラ・ス【(良い)塩にはならないのです】コノ・アマガツ・モ【このアマガツも同じで】 |
弥生時代は徐福の来訪とともに勃興しましたが、アメ族は製塩のテクノロジも持っていたようです。
常陸国の海岸線にはアメ族の草分けである人々の足跡が残っています。
私は小さい頃、仙台に行った人がいるとおみやげの丹六園の「志ほがま」を心待ちにしていました。あるいは、あれは玉澤の「しおがま」、いや、榮太郎だったかも・・・
無論、行ったことのない子供でも、その味の違い、意匠の違いは理解できていました。
それだけではなく、それぞれの菓匠の文化も良く伝わってきました。
でも、それは宮城県、仙台の文化なのですね。
阿波徳島の「小男鹿」と鹿児島の「かるかん」を比較してもダメです。
それは文化が異なっているからなのです。
それぞれに言い分はありますし、どちらも薯蕷(じょうよ)の香りが爽やかに伝わってきますが品質で比較することもセンスで比較することも出来はしないのです。
先に書いた玉澤の名物に「九重」というのがあります。
小さい頃はこれを牛乳に入れて食べるのが好きでした。
本来、飲み物なのですが子供は砂糖の「食感」を好むものなのです。
私は初代のシホカマが活動していた舞台は常陸の国だと確信しています。
塩竃神社
茨城県日立市日高町四丁目
36.632689,140.690939
日立市の工場群に囲まれた中で、遺跡の話をされても困りますか、そうですか。
神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識
http://www.komainu.org/ibaraki/hitachisi/siogama_hidaka/siogama.html
神社を神の座としか見ていなければ、何も見えてこないでしょう。
もうすこし北の方を見ていくと、かつての常磐炭田の出炭駅である南中郷駅(みなみなかごうえき)のすぐ北側で、私は我が目を疑いました。
こ、これは天然の入浜????!
入浜式塩田か?
常磐線南中郷駅の北300m
36.757058,140.729456
常磐線が敷かれる前なら海岸から,300m足らずのところの標高は0.8m、奥に行くほど高さがあり、5mくらい高くなっています。
しかも、下を見ると「塩田川(しおたがわ)」とあるではありませんか。
私は、けして「えんでんがわ」と読んだのではありません。地形を見て、塩田(えんでん)としての需要が無くなり、後世の人が普通の田圃にしようと考え、塩田川の水を引き込み塩分を洗い流し、砂地あるいは岩盤の地盤に水流を利用して多量の泥を客土した結果が、現在の地形だと考えたのです。
つまり、塩っぽい田圃の川というくらいの意味だと感じたのです。
これを証明するのは容易ではありません。
まずこの田圃の部分の泥を剥ぎ取り、当時の潮汐線(ちょうせきせん)であった岩盤、あるいは砂層まで掘り下げてから塩壺遺構があるかを調べなくてはなりません。
専門家である村上氏は、茨城県の沿岸部分を綿密に調べたはずです。
ヱ でも、気づかなかった、と。
ト いや、気づいたけど、自分の説をいじるコストを考えたんじゃないかな?
親父 そうそう、彼は朝鮮の塩田にも明るいようだし、守備範囲は広いのさ。
おそらく、発掘調査などこの先も考えていないでしょう。
この地形、ご丁寧に、すぐ北側に塩竈神社があるのです。
ト ここも初代シホカマの監理地になったってわけなんだね。
塩竈神社
北茨城市中郷町足洗
36.762425,140.736344
さらに、時代が下って、古墳時代に作られた二基の古墳があるのです、
1975年に発掘調査が行われたようですが、報告書が手に入らない、困った状態なのです。
ト オヤジ、今回は役人崩れの悪口、言い放題だね。
ヱ はやく彼らがヤマサ守になってくれるといいね、でへでへでへ。
ト 兄さん、いいかげんにオヤジのいうことを理解しろよ。
このこんもりしたところが汐見ケ丘古墳公園だそうです。
ヱ 住宅街のすぐ横に古墳とか、ヤバくね?
神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識
http://www.komainu.org/ibaraki/kitaibaragishi/shiogama_ashi/shiogama_ashi.html
ジモティのコメントでは、このへん、何か出るらしいのですが。
さて、ホツマツタヱに関するご意見ご要望、いちゃもん、文句、NGのあるかたは掲示板のほうに書いていただければ、うちのヱが対応します。
http://hot-uma.bbs.fc2.com/