シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて〜その140〜 |  アンドロゴス生涯学習研究所

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調子に乗って10アヤも全訳をやってしまいましょう。

今までにやらなかった試みとして、このアヤを分解してみました。


これで小見出しをつけることにしました。
なんか、ノンフィクションっぽくていいよね☆

■讒言

10-1    かしまたちつりたいのアや     カシマ断ち釣り鯛のアヤ
10-1    フソヰすゝ コソミゑとしの    二十五鈴、コソミヱトシノ[去年三枝、(今年は四枝、「歳の」と断っているので鈴で数える)]
10-1    さアゑなつ かぐゑしほみて    サアヱ夏、カグヱ・シホミ・テ【カグヤマヲキミが崩御され???】
10-1    フとまにの しちりハやもり    フトマニノ【文と・マニ(ままに)、手紙の意の通り、シチ・リ・ハ【七里飛脚は】(告げた)、ヤモリ【家守、代官】
10-2    はげしくて つねすみのくに    (徴税が)ハゲシクテ【激しいので】、ツ・ネ・スミ・ノ・クニ【北西の隅の国、出雲】を
10-2    みせしむる よこべかえりて    見に行かせた。ヨコベ・カエリ・テ【ヨコベが帰って】
10-2    もふさくハ いつもやゑがき    報告するには、イツモヤヱガキ【出雲の八重垣のトミである】
10-2    おほなむち みつれハかくる    オホナムチは、ミツレハカクル【満つれば欠ける】
10-3    ことはりか ぬかおたまかき    コトハリカ【理りだろうか、故事のように】、ヌカ・オ・タマカキ【額を玉垣、ミヤの正面を瑞垣で囲い】
10-3    うちみやと これコゝ※のゑに    ウチ・ミヤ・ト【内宮と呼ばせ】コレ・ココ・ノ・ヱ・ニ【と、(中央の)九重に】
10-3    くらふなり さきにみこもり    比べた(という讒言を聞いた)。その前、御子守りの
10-3    おもいかね しなのいなほら    オモイカネは、シナ・ノ・イナ・ホラ【信濃の・伊那・洞で神上がり】
10-4    アちのかみ よりてなゝよの    阿智の神になった。こうして七代目の
10-4    うなめこと たかぎねやすの    ウ・ナメ・コト【大嘗事(地方行事、大嘗祭ではない)】はタカギネの安国の
10-4    いまみやに たがわかみやの    今の宮から、多賀若宮の
10-4    かふのとの たかみむすびの    カフノトノに移った。タカミムスビが
10-5    かみはかり いづもたゞすハ    カミハカリ【諸侯会議で】イヅモ・タダスハ【出雲を糾すのは】
10-5    たれよけん ホヒのみことゝ    タレヨケン【誰が良いだろう】、ホヒノミコトと
10-5    みないえハ ホヒのみことに    皆が言うのでホヒ・ノ・ミコト・ニ【ホヒの尊に】
10-5    むけしむる しかれとホヒハ    ムケ・シム・ル【向けさせた】。シカレトホヒハ【だがホヒは】
10-6    くにかみに へつらいこびて    クニ・カミ・ニ【国御上、オオナムチに】へつらい媚びて
10-6    みとせまて かえことアらて    三年〈1年半〉まで報告もしなかったので
10-6    おゝせいゝ みくまのやれハ    オオセイイのミクマノをやったが
10-6    ちゝがまゝ かえらねハまた    父の言うままで、帰らなかったのでまた
10-7    かみはかり つかハすヒとハ    カミハカリ【諸侯会議の結果】、ツカハ・ス・ヒト・ハ【使わす人は】
10-7    アまくにの アめわかヒこと    アマクニノ【アメのクニの(者でなければダメだろう)】と、アメワカヒコに
10-7    きわまりて たかみむすひが    決まって、タカミムスビが、
10-7    かこゆみと はゝやたまひて    カコユミとハハヤを(アメの使者の印として)授けて、
10-8    むけしむる このかみもまた    (イツモを)向けさせた。(しかし)この守もまた、
10-8    まめならす たかてるヒめお    勤勉でなかった。タカテルヒメを
10-8    めとりつゝ アしはらくにお    妻として娶り、アシ・ハラ・クニ・オ【悪し・腹・国を、賄賂が有効な国を】
10-8    のらんとて やとせふるまて    ノラン・トテ【則っとり、オオナムチの国是に従って】ヤトセフルマデ[八年・経る・まで〈4年〉](23−28にオオナムチの釈明あり)
10-9    かえらねハ なゝしのきゞす    帰らなかったので、(タカミムスビは自分で行って)ナ・ナシ・ノ・キギス【名も無いキギスに】
10-9    といくたす アめわかヒこが    トイクタス【問い下した】アメワカヒコの


このアヤはアマテルが日高見から大日のヤマトに移ったところからはじまっています。
タカギネヤスノ イマミヤニなどとさらりと言っていますが、人名を濁音表現するときは要注意です。
読者を混乱させることが沢山盛り込んでありますので常に疑って読んでいただきたいと思います。

読み方で、順序がいれかわることがありますので、この先も決定されるには長い年月が必要になると思われます。

28アヤにある記述から

28-14    ヒたかみの アめのみやにて    日高見のアメの宮で
28-14    みちまなぶ ミソホにしろし    道を学んだ。三十歳〈15歳〉で即位し、
28-14    みやつくり おゝヒやまとに    宮を造って大日山のあるヤマトで
28-15    まつりとる アめフたかみの    奉りを取ったアメの二尊の
28-15    ゆつりうけ アまヒのみこと    譲位を受け、天の日の御子として

だからといって他でオオヤマトというのがでてきても、ここだぁ!にはならず、常陸国にオオヤマトというのをもって来ても良いのですから。

まあ、ヤマトという言葉の元がわからないのですからつぎつぎと思索を廻らすしかないと思います。

大日の山は琵琶湖の南にある130mほどの低い山ですが、「大日」なんていうと、仏教汚染してしまって、よくわからなくなります。
すこし探索してみましょう。



大日山の北側に田上稲津町(たなかみいなづちょう)
ここに上津神社というのがありそうですが、あまり美味しそうな地形ではありません。

田上石居町(たなかみいしずえちょう)
ここには神立神社(かんだちじんじゃ)というのがあるようですが、これは後世の、しかも、洪水等で廃社して山の上に移転し、さらに寂れて現在に至るというイメージが強くなっていますね。
もっと南のほうが嬉しいのですが。

なんと、こんなブログがありました。
https://blog.goo.ne.jp/uo4/e/1717b0dba2244bae0104e88db28b5e34


よくぞ残してくれました、という感じですね。

神立(復路)バス停
滋賀県大津市里4丁目2
34.935447,135.926923

見つけました、ここが大日のヤマトだと確信します。
瀬田川に接続する沖積平野にひろびろと田が展開され、船で移動する弥生時代のアメ族にぴったりの地形です。
そもそも、なんでもない神社の移転した跡に石碑をたてますか?

この時代、ミヤコウツシは生産要員が一切合切持って移動するのは、伊勢遺跡のところで理解されていると思います。
居残り組も、遠隔生産者として、元のキミを慕っているのです。
それゆえ、ミヤが移転しても、自作農はそのまま残り、そのタミの子孫はミヤの「殿」を神社として維持するようになったのでしょう。

バス停は名前が残りやすいのかもしれません。
バスの通る道はそこそこの交通量があり、特に、地元のタミの記憶として残りやすいのでしょう。
神社の研究者には、外してはならない要素だと考えます。

何にしても、この地域は古いものが濃いので嬉しくなります。
ここから速川一族(モチコとかハヤコとかハヤアキツとか)の佐久奈度神社まではなんと、3kmしか離れていないのです。

佐久奈度神社
滋賀県大津市大石中一丁目2-1
34.911444,135.912611

佐久奈度神社の千木は女千木で、女系の家だということがわかります。

これは佐久奈度神社の女千木


男千木(おちぎ)と女千木(めちぎ)




これは三島神社、男系で男千木です

なかには特殊なものもあり、サンプルが少ないのでよくわかりません。



早吸姫神社(はやすいひめじんじゃ)
大分県大分市佐賀関3336-2
33.250150,131.878111


これは大分の早吸姫神社
なんと、左右で外削ぎと内削ぎのコンビネーション☆

これは、アカツチの娘、ハヤスフヒメのミヤなのですが、ホツマツタヱをある程度読み解いても理解は難しいでしょう。

ソサノヲがハヤスフヒメを欲しいと言った時、姫は女系の家だったので、アカツチはミヤをくれるならやるよ、というのですが、ソサノヲは部屋住みの身で、希望を叶えられませんでした。
それでソサノヲは局のひとりハヤコと関係してしまうのですが、その後、ハヤコは流離姫になってソサノヲを恨んだ(あるいはその嫁になる姫を妬んだだのか)ため、ハヤスフヒメは殺害されます。
ソサノヲは、ハタレネを討ってハヤコも殺し、一件落着した後、アカツチに対して謝罪、あるいは損失補填の意味でミヤを与えたのでしょうか。
しかし、こ場合、アカツチの姫はもういないので、女系の千木を付けることは許されず、左右で異なった千木になったと考えられます。
つまり、住居だったものは男系・女系を表現するのは当然として、霊廟として造った社は異なった結果になるのです。

私は以前、「〜その138〜」で、「でも、今、こうしてイナタヒメにミヤを与えることができた・・・」と書いたのですが、
同時にソサノヲの胸によぎった想いはハヤスフヒメに覚えた淡い恋情だったのではないでしょうか。
青春の1ページを綴るときにはすでに時は過ぎ去っているのです。

この他にも前後で内削ぎ外削ぎの違うものもあり、これからの研究に期待したいところですね。
研究ついで、といっては何ですが、ハヤスフヒメも「ハヤ」が付くことを見逃してはなりません。
実は、ソサノヲも「速須佐之男命」と「ハヤ」が付いて呼ばれることもあるので厄介です。


ここで、本文に戻るのですが、知らない人もいるかと思うので少し解説しておきましょう。

10-5    かみはかり いづもたゞすハ    カミハカリ【諸侯会議で】イヅモ・タダスハ【出雲を糾すのは】
10-5    たれよけん ホヒのみことゝ    タレヨケン【誰が良いだろう】、ホヒノミコトと

ホヒというのはアマテルとモチコの間に生まれた皇子で、イミナがタナヒトといいました。
ホヒはそれなりに人気はあったようです。

この真相は良くわかりませんが、アマテルがセオリツヒメに入れ込んだせいで、モチコはないがしろにされたようです。

結局、セオリツを真后(まきさき)にしてしまったというのです。
それだけでなく、セオリツがオシヒトを産んだので、ホヒは廃太子してタナキネに格下げされてしまったのです。
もっとも、セオリツはオシヒトを産んですぐ死んでしまったようです。
この後、モチコとハヤコはは流離姫(さすらひめ)になってしまった、つまり追放、とすればセオリツヒメはモチコが誅殺したと考えて良いのでは無いでしょうか。
まあ、秘密でもなんでもなくても、28アヤには赤裸々(じゃないけど)プンと匂わせてあるのです。

ここで、私が「誅殺」と書いたのは、「罪がある者を裁いて殺す」ことなので、気をつけていただきたいと。
つまり、モチコがセオリツヒメを殺したは、義憤に基づいているということです。
どうにも、この一族の風習は良くわからないのです。

本文中、読み下し文に「オオナムチの国是」と書きましたが、此の時代、商業主義が台頭してくるのかもしれません。
大きく歴史が動いているのではないでしょうか。
最初、タカミムスビは特に不正が行われているとは考えていなかったでしょう。
私の訳文でも「糾す」は問題が何かを質問する、という意味で、「正す」ではありません。
それが、やがて出雲の周辺諸国の声がたかまって来た、ということなのですかね。


さて、ホツマツタヱに関するご意見ご要望、いちゃもん、文句、NGのあるかたは掲示板のほうに書いていただければ、うちのヱが対応します。
http://hot-uma.bbs.fc2.com/