シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて〜その117〜 |  アンドロゴス生涯学習研究所

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■ヤマサカミ三題

ヤマサについての解説をすすめましょう。
8アヤに3種のヤマサを実戦で使用した例が記載されています。

1457    チわやより アめゑのみちが    8    78    チワヤからの知らせで、アメ・ヱの道(=キミの兄、ここではシラヒトの配下)
1458    をんかみに ことかたらんと    8    78    御上(=アマテル)に、話をつけよう、と
1459    よばらしむ きみいふきとに    8    78    呼ぶので、キミはイフキドに
1460    しつめしむ いふきとぬしハ    8    78    平定を命じた。イフキドヌシは
1461    みゆきこし はたれがとわく    8    79    輿に乗って行ったので、ハタレは、
1462    かんかみか こたえてかみの    8    79    お前は御上か?と聞いたが答えて、御上の
1463    やつこなり またとふヤツこ    8    79    ヤ・ツ・コ(=屋の子、家人)だと言うと、またハタレはヤ・ツ・コ(=末っ子)が
1464    こしハなに いわくなんちお    8    79    何をしに来たのだ?と聞くので、汝を
1465    やことせん ゆえにのるなり    8    80    奴(やっこ、奴隷)にする為に来た、だからノル(=宣る、命ずる)のだ。
1466    またはたれ なんちわかばゑ    8    80    そこでハタレは、お前は若僧のくせにナマイキだ、
1467    はちみする やつことせんと    8    80    恥をかかせてやる、奴にしてやる、と
1468    なりめくる はたゝかみなり    8    80    雷鳴のように怒鳴り散らすので、
1469    いふきとハ うつろいまねき    8    81    イフキドは、ウツロイを呼んで
1470    これおけす むらくもおゝい    8    81    気勢を削いだ。ハタレは、ムラク・モ(=群れる・100人、集まった群衆、村の人々)を巻き込んで
1471    くらませハ しなとおまねき    8    81    混乱させたが、シナトを呼んで
1472    ふきはらふ ほのほおはきて    8    81    解散させた。怒鳴りながら
1473    むろやけハ たつためまねき    8    82    小屋に火を付けたりしたので、タツタヒメを呼んで
1474    これおけす はたれむせんて    8    82    消火にあたらせた。 

最初の、チわやは地名と思われますがよくわかりません。

「ちわや」という音は人名では「千巖」というのが多くあるようですが地名はまだ見つかりません。

候補になるのは、岡山県北東部に相当する美作国苫東郡と、広島県東部にあたる備後国甲奴郡に知和邑(ちわむら)というのがあったようです。
地形はわかりませんが、谷戸(やと)、谷津(やつ)があれば、「ちわや」でしょう。
徐福渡来は漢字成立以前であっても、篆(てん)表記は知られており、音(おん)訓(くん)を問わず、概念が使用されるのは何の問題もないのです。
音便には必然性があり、ダメダメな国語学者のように、用も無いのに「音が転じた」ですますのは納得できません。



ここに出てくるウツロイはいわゆる「警察」に類したものです。
取り締まられる側の暴徒はキミの縁続きの配下であるため、アメの公権力に対して、全力でぶつかることができません。
つまり公権力の警察機構が暴力装置であることを熟知しているのです。

ひるがえって、現代、高知白バイ事件以降、警察も検察も裁判所でさえ「正義の暴力装置」でないことが知れわたってしまっているため、実際に暴動が起きてしまったら火器に頼らざるを得ないのです。(暴動は簡単には起きませんが)





次に、シナトベですが、これは風神の守人ですね。
クシミカタマは学習者が自分で理解度を知ることができるように、紛らわしい書き方をしていますが、神名は「シナト」だと思われます。
つまり、読者(後世の皇子達)がもやもやした感じを覚え「よくわからない」ときの助けとして本文中にさまざまな文法表現をちりばめてあるのです。
上昇志向がある読者(=統治者としての適性がある人材)が助言者無しに学習をすすめることができるようにしてあるのです。

シナトベは常々トミタミの前に露出し、権威があることを示していなければ、騒ぎになっても群衆をクールダウンさせることはできません。
したがって、このハタレの乱のときも、騒動の起きている領域のシナトベでなくては対応できないのです。
人は簡単に付和雷同するものなので、普段、粗結合の社会で静かに生活していても、扇動しだいでは大規模な騒乱状態に陥るのです。
注意を喚起するために心理的に一喝し、次第にクールダウンさせることができる「教育者」はこういった業務にも向いており、タイミングを読む能力が必須になります。




タツタヒメは火消し集団を統括し、発生してしまった火災を鎮める役目です。
これと対極にあるカクツチは防火を徹底するために火元管理の専門家として訓練されなければなりません。

火消し衆は大きな火を見ても、すくむことなく対処しなければなりません。(すくむと命にかかわります)
野生の(あるいは幼い)馬は火を極度に恐れますが、軍馬は大きな火にまかれてもひるまない訓練を施してあるのですね。
つまり軍部でも主計から見ると、兵よりも軍馬のほうが元手がかかっているので価値が高いのです。
初年兵は簡単に弾に当たりますが、古兵(二年兵)は一年間生き延びているので「自分は価値が有る」と思い込んでしまうのとは違い、主計から見れば、そんなもの、兵同士でかってにすればいいことで、誰が威張っていても興味は無いのです。

現代の消防団はどうでしょうか?
寄り合いをやって飲んだくれているだけで、仲間を集めオルグすることだけに生きがいを見出しているように思われ、「火消し」の信念などとは無縁なように思われます。
私の知っている消防団員は某高校の副校長でしたが、教育委員会の手先として、PTAをオルグする事のみ留意して、個人情報保護法を盾に、PTAの活動に横槍を入れ、偽計業務妨害を行い、公務員職権濫用にあけくれていました。(つまり教育者ではなく、犯罪者)
教育が必要なのはタミばかりではなく、トミのほうだったのです。

徐福の一団は中華帝国の文明から逃れたかった、といっても、彼らの文化や信仰心を捨てることは無く、縄文人に「タツ」の概念をトランスファして、上手に習合しているように見えます。
しかし、「〜その59〜」で書いたニニキネがトヨタマヒメに話したタツの話はトヨタマヒメにとっては、タツなどたいした意味は無いように思われたのでしょう。
若い人は先祖に対する想いは弱く、逆に老人は強くなりますから、平素から明確な「神使い」が身近に居たほうが信仰心は強くなると考えられます。

ヤマサの話はシベリア組にとって、もっとも重要なテーマになると考えられますので、これからも話をしていきたいと思います。

ロシア語の話も書きたいのですが、なにしろ視力が・・・

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