シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて〜その115〜 |  アンドロゴス生涯学習研究所

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すみません、昨日「〜その114〜」の説明に漏れがありました。

 4289 みことのり おころのかみよ 22 14 オコロの守よ、
 4290 はるハかま コたそこにあれ 22 14 春は竈(かまど)、9タの間(あいだ)護りなさい。
 4291 なつハかど ミたそこにあれ 22 15 夏は門、3タの間護りなさい。
 4292 あきハゐど ナたそこにあれ 22 15 秋は井戸、7タの間護りなさい。
 4293 ふゆハにワ ヒたそこにあれ 22 15 冬はニワ(=トイレ)を1タの間護りなさい。
 4294 にゐみやの しきますくにお 22 15 新宮(=ニハリノミヤ)の

で、

春は9タ
夏は3タ
秋は7タ
冬は1タ

となっており、合計すると20タになります。

一般に、「タ」は「八咫鏡」などという表現から長さの単位と考えられていますが、ここでは長さではなく、期間と捉え、1年365日を20で割ると、

365÷20=18・・・5

となり、商は18で、余り5なのです。(つまり1タは18日?)
21、22アヤでテーマにしている、トシノリ神(暦)の「日の護り」の及ばない5日間も表現されています。

こうして、暦(当時のヒヨミ(日読み)に記されている期間、ヤマサ守は当該領域を徘徊して、危険は無いか、汚穢(おえ)は無いか、行政メカニズムに問題は無いか、ということを住人(トミ・タミ)にアピールしていたのでしょう。
こうして暦をレビューすることにより行政のループに宗教的権威付けをして、あるベクトルを持った(つまりホロニックな)強調現実にしていたと推察されます。


今回、データベースが明らかにしたヤマサカミの内容です。
このテーマの最初に貼ったやつとくらべると大変な進化ですね。

残念なことに、ヤマサの思想は、オオタタネコの時代には消えてしまって、単に「地祇」になってしまっているように見えます。
中央集権の弊害か、はたまた海外からの文化汚染によるものなのか、現時点では全くわかりません。


 4303  ちかひにハみはしらたてよ 22 18 誓いをするので、御柱を立てなさい。
 4304 このときに アまつみことの 22 18 こうして、「天の祝詞」が
 4305 さたまれバ かしきのゆふの 22 18 定まったので、炊の夕べの
 4306 みてくらに ヒみつおむすぶ 22 18 幣(ぬさ)を飾った殿で、火・水・土の連鎖を称える
 4307 おきつひこ こゝもたかまの 22 19 オキツヒコは、ここもタカマの
 4308 はらなれハ よゝにちかふる 22 19 ハラなので、末永くと誓う
 4309 のりこちに もしもくにゆり 22 19 祝詞(の意味)は、

なぜ、オキツヒコなのでしょうか、その必然性についてはまだ良くわかりません。
タカマのハラ、というのはハラ(=意志)のことで、多くの御上の前での祝詞なわけで、カミハカリ(=会議体)の立場の貴方がたは、という呼びかけなのでしょうか。

 4309 のりこちに もしもくにゆり 22 19 もしも国を乱す
 4310 なるかみの さわるさわりの 22 19 雷神の怒りの障りが
 4311 あらんとき きねのヒときお 22 20 あるときも、北東の一本の木を
 4312 いやしろに ゑとのムソかに 22 20 イ・ヤシロ(=居・社、寄り代、依代として)ヱトの60日間に
 4313 もりあまる やなヰかくろひ 22 20 守りから漏れる、8・7・5は日があたらないのと同じなので、
 4314 うつろもる うつろゐのかみ 22 20 虚ろな時を守るウツロヰの神の守人は
 4315 あらはれバ たとへなるかみ 22 21 神威をもって、雷神が
 4316 くにゆるも ゐづわざなして 22 21 国を乱すとしても、与えられた権威を示して
 4317 しづむべし もしもむらくも 22 21 これを鎮めなさい。

この部分は、21アヤのレビューで、ウツヲの狼藉を、シナトベを使って収めたことを言っています。
ただ、21アヤと22アヤの間の時間の経過はよくわかりません。
ニニキネは、ウツロ・ヰ(=空間に居る、雷神)の信仰を上手に火・水・土に分けて新たな信仰心を醸成したことになります。
この部分の解説を抜いては、ワケ・イカツチ(=雷を分ける)が成り立たなくなってしまいます。


 4317 しづむべし もしもむらくも 22 21 もしも一揆衆が
 4318 かおうばひ みちにさわりの 22 21 占拠して、日常に障りの
 4319 あらんとき しなとべのかみ 22 22 有る時は、シナトベの守人は
 4320 あらはれバ みちのかうばふ 22 22 進み出て、国の業務を邪魔する
 4321 やえくもお しなどのかぜに 22 22 幾多の一揆衆をシナドの神の威光により
 4322 おしはらヒ よもあけかたと 22 22 押し払い、また状況は掌握していると
 4323 しらすべし もしもヒけかれ 22 23 宣言しなさい。

シナトベというのはどんな思想なのでしょうか、光が失われたときには皆が道に迷うから、その確固たる信念で導きなさい、ということでしょうか?
群衆に対する指導力というのは不満を持ったタミが反乱を起こす前でなければ事態は掌握できないのではないか、と疑ってしまいますが、21アヤでウツロイの騒ぎが起こってからハハヤ(=嚆矢)を射てシナトベを呼んだとあります。若干、シンボリックな内容の気がしなくもありません。
そう考えると、これは情報戦について言っているのかもしれないのです。
大衆は外部勢力の影響を受けやすいので、そんな時のためにカウンタインテリジェンスが重要だ、と言っているのかもしれません。
しばしば国際ニュースなどでは、政変の時に現職の大統領が、「事態は完全に掌握している」という宣言をだすのが普通ですね。
世界は私が思っているよりも常に緊張しているのでしょうか?

 4323 しらすべし もしもヒけかれ 22 23 もしも灰神楽などで竈が汚れて
 4324 あらんとき かぐつちのかみ 22 23 使えなくなったならカグツチの守人が
 4325 あらはれバ たとへおだきの 22 23 いれば良く、また、薪(たきぎ)が
 4326 かくやアれ さらにヒうちの 22 23 濡れてしまったりした時もこれを
 4327 あらためて きよきあたごと 22 24 確保し、きれいな愛宕(=燃焼室)となるように
 4328 しきみより みかまときよく 22 24 内を拭き清めて、御竈を清く
 4329 まもるべし もしもほわざの 22 24 維持しなさい。もしも火事が
 4330 あらんとき たつためのかみ 22 24 出たなら、タツタ姫の神の守人
 4331 あらはれハ たとひほのほに 22 25 であるなら、たとえ炎に
 4332 はたるとも たつたにしづめ 22 25 焼け死ぬとしても、タツタ姫の神威にかけて
 4333 のぞくべし もしもゐのみつ 22 25 消火に当たらねばなりません。

ここはズバリ、竈の心得ですが、どうやらヤマサというのは自己犠牲を厭わないミッションのようです。
まさに、イサナミの時に焼死したカグツチはヤマサの鑑であり、その子であるヱトのオコロも同じ心得を持ちなさいと言っているわけです。
この祝詞を聞いたイクシマ・タルシマは決意を新たにしたことでしょう。
同時に、シンボリックな意味として、竈というのは家庭の全てを表しており、竈を護るというのは家族を護ることと同義なのです。
現代風に考えれば、火元責任者というのは、単純に「長」であり、必ずしも防火の意味でないことは誰もが理解するところです。

 4333 のぞくべし もしもゐのみつ 22 25 もしも井戸の水が、
 4334 くみたえて みけつのさわり 22 25 汲みすぎで(水位が下り)ミケツ(=水歇、断水)の障碍(しょうがい)が
 4335 あらんとき みづはめのかみ 22 26 起きたなら、ミヅハメの守人が
 4336 あらはれバ ゐてのしみつお 22 26 汲み置いた清水で
 4337 いさきよく あらためかえて 22 26 清潔に、改め替えて
 4338 ひとふるに みかめもきよく 22 26 末永く努めて、水瓶(=水源)も清く
 4339 まもるべし もしもみわさの 22 27 維持しなさい。

ここで、水瓶に言及していますが、これは簡単で、現代でも「首都圏の水瓶である小河内ダムは」なんていう表現をしますから、全く無理なく理解することができます。

 4339 まもるべし もしもみわさの 22 27 こうした守人(もりびと)の業(=作業)があれば
 4340 あらんとき すべやまづみの 22 27 スベヤマヅミの守は
 4341 あらはれバ たとひながあめ 22 27 神威を発揮し、長雨に
 4342 あぶれても やまハしげきに 22 27 溢れようとも、(スベヤマズミの神の守人が涵養した)山の木が茂っていることで
 4343 もちこたえ なかれおふかく 22 28 持ちこたえ、流れは(静かで土砂で埋まることが無く)深く
 4344 なすことも つねにいせきお 22 28 保たれていることで、常に井堰は
 4345 まもるなり みなかんちかひ 22 28 守られているのです。皆が神に捧げた誓いの
 4346 いちしるきかな       22 28 著しいことでした。

この部分は、スベ・ヤマ・ズミ(=統べる、山に住む、山神)とスベ・ヤマ・ヅ・ミ(=統べる、山の、身、山を統べる身、山のシステムの管理者)という対比になっていて、かなり高度ですね。
これは、先に述べたように、井堰に堆積した泥は放置すれば井堰が埋まってしまい、砂防ダムになってしまうぞ、という戒めと、堆積した泥は富栄養なので、山に運び上げて散布すれば、広葉樹が茂り、水害を防ぐぞ、という示唆でもあるわけです。
他びアヤに、溜池などもハタトシニサラエなどと言っていますので、20年という期間が水源涵養の周期であることがわかります。

以前、「〜その57〜」で 龗神(たかおかみのかみ)・闇龗(くらおかみのかみ)という話を書きました。
その時点ではなにも知らなかったのですが、これが、調べると、出るわでるわ、「おかみ」、「たかお」に関連した神社は全国に分布しているのです。
これらの神社は皆、水源涵養の機能をはたしていたヤマサだということが分かったのです。

また目が霞んでしまいました、また明日書きましょう。