シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて〜その103〜 |  アンドロゴス生涯学習研究所

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また郷原が続きを書いていますが、そればかりフォローしてもしょうがないので、違うことを書きます。

私は、これまで、「ホツマツタヱ」の原典に近づく機会が無かったのですが、

日本翻訳センター刊
平成28年改定第二刷
和仁估安聰釈述 ホツマツタヱ 秀真政伝紀

というのを入手しました。
これは、読みづらいけど、キズまで復刻してあり、原典が伺えるもので、ネットで新刊本¥10000と、安いのがうれしい。

ずっと前に買った展望社の、「定本ホツマツタヱ」(¥13000)は長いこと、正確な印影版だと思っていたのですが、単なる勘違いでした。
結局、これは松本先生から受け継いだ、池田先生のオリジナル著作なわけです。

また、日本翻訳センターの本で、今回わかったのは、和仁估安聰が書写家としては二流ですが、優れた注釈者だったということです。

そして、一般に「ホツマツタヱ」が偽書であると言われてきた理由もわかった気がします。
そもそも、原文で読めもしないものを、なぜ偽書だときめつけるのだ、ナンセンスじゃないか! と思っていたのですが、和仁估本にはホツマ文字の2倍の大きさで、漢訳が載せてあったのです。
つまり、批判者にも読める文章で埋めつくされていたのです。
しかも、そのコンテンツは記紀をベースにした別バージョンの神話だ、そう思われたことでしょう。
これでは、潮音(ちょうおん)の偽作といわれる「先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう)」事件と同様な結末をたどると考えるのが当然でしょう。

なんでも、見ると聞くとは大違いですね。

いずれにしても、神話として漢訳していることから、和仁估安聰が良く読み解けていなかったことがわかりました。
ホツマツタヱは、端的に言ってしまえば、弥生時代から古墳時代にかけての古語で書かれているので、解釈の前に文法的解析が必要だったのです。

ちょっと、半ページほど転載してみましょう。




ごていねいに、ウタの部分は万葉仮名になっているので、ますます記紀の亜流だと思われてしまうのです。

実は私も、「〜その15〜」を書いたときに、ムシモミナシム、というのを「虫達よ、皆鎮まりなさい」と訳したのですが、最近になって「シム」というのは漢字で表現すると、「染む」だ、ということに気付いたのです。

つまり、ここは「虫達よ、皆従いなさい」が正しかったのです。(呪文でよく使う、アーメンとかアブラカダブラと同様な表現「このようになれ」という第三者への命令)
現代語でも「馴染み」なんて言葉がありますが、シムは「親族」あるいは「一族」と訳すとぴったりです。
ホツマツタヱで良くでてくる「シムノムシ」というのも、同じ語源から来ているようで、「居候」的な意味で使う「部屋住み」に相当する、「厄介(やっかい)」という言葉なのです。
現代語でも、「しばらくご厄介になります」のように使いますね。

また、少し上のほうで書いた「アルマ」は単純に、「有る間(=隙間)」であり、不整合に穢れが入り込むおそれがある、ということなのですが、池田先生は日蓮宗的な「魔」を連想したようで、「ハタレマ」も「魔」あつかいしています。
この「マ」は、使用人、使い、という「間」なのです。
後世の言葉で「中間(ちゅうげん)」というのがありますね。
これなど、「仲間」と同義で「組する者」というくくりになり、さらに熟すと「男中」、「女中」、「社中」と展開されているようです。
幕末の「亀山社中(かめやましゃちゅう)」なんてのも、「仲間」ということですね。

ですから、「ハタレマ」というのはハタレ(一揆)に雇われた衆(しゅう)、「モノマ」というのは「傭兵(ようへい)」のことです。

そういえば、出来の悪い臨床医はなんでも「精神的」なものにしたがりますね。
「マ」に、「魔物」という字を当ててはいけないのです。
「モノ」はそのまま「兵」、「軍事」を意味し、「モノヌシ」というのは侍大将(さむらいたいしょう)、あるいは軍務尚書のようなものでしょうか。

そう、銀英伝のオーベルシュタインは、オオモノヌシみたいなもんでしょうかね。

ヱ 何が「そう、」だよ、いいかげん、アニメから離れろ!



文法を正しく整えると、無理なく意味が通ってくるでしょう。
だからといって、現代語に似ているから偽書だ!というのは間違いです。
そもそも、江戸時代の文書を正確に読める人がどれほどいるでしょうか?

これからしばらく、弥生時代の日本語文法について語ります。

まあ、今頃、改訂版を出すとは、日本翻訳センター恐るべし、といったところでしょうか。
みんな、日本翻訳センター刊「秀真政伝紀」を買ってね。

池田先生の「記紀原書ヲシテ」は和仁估本の印影から起こした写植でできているようで、ずっと読みやすくなっているのですが。
紙メディアには限界があり、新たな本を作る度に徹底的に校正しなくてはならないんですね。
やはりコーパス化が急務です。