今日は2026年2月20日、金曜日です。
今回は、ホツマツタヱ2アヤの解説、そのPart2をやります。
このアヤでは、ウタは少なく、どちらかと言えば、説明的でさえあります。
この部分は後世の現代に於ける我々、日本人にとって、極めて重要なことが記されています。
それは、かつて武烈天皇(ぶれつてんのう)がデタラメをやってしまって、皇統断絶の危機を迎えたとき、継体天皇(けいたいてんのう)が巧みな治世によって、年月を費やして、順次、大和路に中央権力化を行い、全国統一に向かった出発点となった御家(おいえ)が、女系の日野家(ひのけ)であったことが記されているのです。

これは越前の日野神社、この付近には5つ程の日野神社があり、女系の大きな御家であることが見てとれます。
男系相続による英雄的な生き方というのは、強力ですが、破滅的でもあり、世界に冠たる偉大なロシヤでさえ、「さて、いつ迄保つかな?」と思わせるのです。
日野神社(ひのじんじゃ)
福井県越前市荒谷町22-1
35.871942,136.199763
祭神
百日諾命(ももひなぎのみこと)宇比地邇神(うひじにのかみ)
百日册命(ももひなみのみこと)須比智邇神(すひじにのかみ)
標高 122m
利用河川 穴田川→浅水川→日野川
これは、皇統というものが、男系男子の血統によって維持されてきた、と言う虚構を打破する事実でもあります。
振り返ってみれば、日本文化と謂うものは、核家族的な血統によって継がれてきたものでは無いのです。
アメ族は、御家(おいえ)と謂う大規模な「構造体」に依って立つ社会だったのです。

これは越前富士こと日野山
さて、では本文にはいりましょう。
●一行訳3
| 2-10 | なつきます ひとなるのちに | ナツキマス ヒトナルノチニ 【ナ、名・ツ、付・キ(分詞素)・マ、坐・ス(分詞素)、名付けたのです】。【ヒト、人・ナ、成・ル(分詞素)・ノチ、後・ニ(与格)、長じて成人した後】、 |
| 2-10 | やよひミか みきつくりそめ | ヤヨヒミカ ミキツクリソメ 【ヤ、弥・ヨ、佳・ヒ、日・ミ〔三〕カ、日、吉日の三日】、【ミ(寧)キ、酒・ツク、造・リ(分詞)・ソ、初・メ(分詞素)、御酒を造り初め】、 |
| 2-10 | たてまつる もゝとにくめる | タテマツル モモトニクメル 【タテマツ、奉・ル(分詞素)、奉りました】。【モモ、桃・ト、門・ニ(与格)・ク、汲・メ(分詞素)・ル(不完了)、桃のミヤで飲む】、 |
| 2-11 | みきにつき うつりすゝむる | ミキニツキ ウツリススムル 【ミ(寧)キ、酒・ニ(与格)・ツキ、月、御酒に月が映るのを見つつ】、【ウツ、移・リ(分詞)・スス、勧・ム(分詞素)・ル(不完了)、交互に勧めました】。 |
| 2-11 | めかみまづ のみてすゝむる | メカミマズ ノミテススムル 【メ、女・カミ、上・マ、先・ズ(分詞素)、女御上がまず】、【ノ、飲・ミ(分詞素)・テ(造格)・スス、勧・ム(分詞素)・ル(不完了)、飲んで勧め】、 |
| 2-11 | のちヲかみ のみてましわる | ノチヲカミ ノミテマシワル 【ノチ、後・ヲ〔雄〕カミ、上、次は男御上が】、【ノ、飲・ミ(分詞素)・テ(造格)・マシワ、交・ル(分詞素)、飲んで交わる】、 |
| 2-11 | とこのみき みあつければや | トコノミキ ミアツケレバヤ 【トコ、床・ノ(生格)・ミ(寧)キ、酒、床身酒の儀式です】。【ミ、身・アツ、暑・ケ(分詞素)・レ(婉曲)バ(造格)・ヤ(反語推量)、(夏のことで)身体が暑かったの・か】、 |
| 2-12 | あすミアさ さむかわアびる | アスミアサ サムカワアビル 【アス、翌・ミ〔三〕・ア〔敬〕サ、浅、三日の翌早朝】、【サ、冷・ム(分詞素)カワ、川・ア〔敬〕ビ、浴・ル(分詞素)、冷たい(穴田川の)水を浴びた】、 |
| 2-12 | そでひちて うすのにこゝろ | ソデヒジテ ウスノニココロ 【ソデ、袖・ヒ、濡・チ(分詞素)・テ(造格)、袖が濡れて】、【ウ、失・ス(分詞素)・ノ(生格)・ニ(与格)・ココロ、心、熱気が失せて涼しくなるにつれ、二人の心は】 |
| 2-12 | またきとて なもうびちにと | マタキトテ ナモウビチニト 【マタ、全・キ(分詞素)・ト(態)・テ(造格)、(実に)満ち足りた気分になったので】、【ナ、名・モ(例示)・ウ、多・ビ、濡・チ(分詞素)・ニ、若・ト(並立)、(その)名をウビチニと】、 |
| 2-12 | すびちかみ これもうびにる | スビチカミ コレモウビニル 【ス、少・ビ、濡・チ(分詞素)・カミ、上、スビチの御上と呼ぶようになりました】。【コ、此・レ(分詞素)・モ(例示)・ウビ、初・ニ、似・ル(分詞素)、これは物事の初まりを受け継ぐ】、 |
| 2-13 | ふることや おゝきすくなき | フルコトヤ オオキスクナキ 【フル、古・コト、事・ヤ、也、古い故事によります】。【オオ、多・キ(分詞素)・スクナ、少・キ(分詞素)、多い・少ない・という】、 |
| 2-13 | うすのなも このひなかたの | ウスノナモ コノヒナカタノ 【ウ、多・ス、少・ノ(生格)・ナ、名・モ、多・少という部族の表現も】、【コ、此・ノ(生格)・ヒナ、雛・カタ、形・ノ(生格)、この雛人形・の】、 |
| 2-13 | ヲハかむり うおそではかま | ヲハカムリ ウオソデハカマ 【ヲ〔雄〕・ハ(属格)・カム。冠・リ(分詞素)、男雛は冠】、【ウ、広・オ、大・ソデ、袖・ハカ、穿・マ(分詞素)、大きく広い袖と袴】、 |
| 2-13 | めハこそで うハかつきなり | メハコソデ ウハカツキナリ 【メ、女・ハ・コ、小・ソデ、袖、女雛は小袖に】、【ウハ、上・カ、被・ツ(分詞素)・キ、着・ナ、也・リ(分詞素)、上被着という姿なのです】。 |
| 2-14 | このときに みなつまいれて | コノトキニ ミナツマイレテ 【コ、此・ノ(生格)・トキ、時・ニ(与格)、この時】、【ミナ、皆・ツマ、妻・イ、入・レ(分詞素)・テ(造格)、(男系の家では)皆妻を入れ(入妻婚)】、 |
| 2-14 | ヤソつゝき もろたみもみな | ヤソツツキ モロタミモミナ 【ヤ〔八〕ソ〔十〕・ツツ、連・キ(分詞素)、物部の縁者は】、【モロ、諸・タ、手・ミ、身・モ(例示)・ミナ、皆、配下に至るまで皆】、 |
| 2-14 | つまさたむ アめなるみちの | ツマサタム アメナルミチノ 【ツマ、妻・サタ、定・ム(分詞素)、(自分が入る御家の)妻を定めました】。【ア〔天〕メ・ナ、也・ル(分詞素)・ミチ、路・ノ(生格)、中央の習俗が】、 |
| 2-14 | そなわりて たぐひなるより | ソナワリテ タグヒナルヨリ 【ソナワ、備・リ(分詞素)テ(造格)、安定し】、【タグ、類・ヒ(分詞素)・ナ、成・ル(分詞素)・ヨ、自・リ(分詞素)、このように変わってから】、 |
| 2-15 | としかぞえ ヰモつきアまの | トシカゾエ ヰモツギアマノ 【トシ、歳・カゾ、数・エ(分詞素)、何年も経ちました】。【ヰ〔五〕モ〔百〕・ツ、継・キ(分詞素)・ア〔天〕マ、間・ノ(生格)、五百継に及ぶかという・アマの(キミ)の】、 |
| 2-15 | まさかきや ヰつよのかみハ | マサカキヤ ヰツヨノカミハ 【マ、間・サカ、栄・キ、木・ヤ、也、アメ族の歴史(の偉大さ)・よ】。【ヰ〔五〕・ツ(類)・ヨ、代・ノ・カミ、上・ハ、(オホナムチから起算し)五代前の御上は】、 |
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●連続訳3
長じて成人した後、吉日の三日、御酒を造り初め、奉りました。
桃のミヤで飲む、御酒に月が映るのを見つつ、交互に勧めました。
女御上がまず、飲んで勧め、次は男御上が、飲んで交わる、床身酒(とこみき)の儀式です。
夏のことで身体が暑かったのか、三日の翌早朝、冷たい、穴田川の水を浴びた、袖が濡れて、熱気が失せて涼しくなるにつれ、二人の心は、実に満ち足りた気分になったので、その名をウビチニと、スビチの御上と呼ぶようになりました。
これは物事の初まりを受け継ぐ、古い故事によります。
多い、少ないという、多・少という部族の表現も、この雛人形の、男雛は冠、大きく広い袖と袴、女雛は小袖に、上被着という姿なのです。
この時、男系の家では皆妻を入れ(入妻婚)、物部の縁者は、配下に至るまで皆、自分が入る御家の妻を定めました。
中央の習俗が、安定し、このように変わってから、何年も経ちました。
五百継に及ぶかという、アマのキミの、アメ族の歴史の偉大さでしょうか。
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●解説3
この床身酒(とこみき)という儀式は、昭和の時代に、2000年の時を越えて、樋口可南子(ひぐちかなこ)演ずるTVドラマ、「こおろぎ橋」で「御床盃(おとこさかずき)」という婚姻の儀式(地方によっては、現在でも残っているかもしれません)として紹介されました。

これは篠山紀信の描写するところの、若き樋口可南子(部分)
女優って、良いですね。
クシミカタマが、大昔の事として、ウビチニ、スビチニを紹介しているのは、百年以上経ってからだと想われます。
この翌日、ウビチニ、スビチニの若夫婦は、暑さを払うためにミヤの横にある穴田川の水を浴びたことから、代々の入婿(いりむこ)は水を掛けられる儀式をすることになったといいます。
また、昔からの習わしとして、雛人形に、その時の出で立ちと装いを写したと言われております。

これは小袖(こそで)と云う衣装ですが、元禄時代にも流行ったようで、元禄小袖などとも呼ばれています。

これはカツキと云う衣装ですが、無論、当時は真夏の事とて、ボアでは無い、一重(ひとえ)の夏バージョンがあったものと想われます。

上被着というのはこんな構造になっており、穴の部分から顔をだして、前後に振り分けて羽織るのですね。
カツキと云う言葉は、今日では、皮付きのサトイモを蒸した物を、皮を剥きながら食べる(ヌルヌルが手につかない)作法を衣上被着(きぬかつぎ)と呼んでおります。(これは美味い!)
●一行訳4
| 2-15 | まさかきや ヰつよのかみハ | マサカキヤ ヰツヨノカミハ 【マ、間・サカ、栄・キ、木・ヤ、也、アメ族の歴史(の偉大さ)・よ】。【ヰ〔五〕・ツ(類)・ヨ、代・ノ・カミ、上・ハ、(オホナムチから起算し)五代前の御上は】、 |
| 2-15 | おゝとのち おゝとまえなり | オオトノチ オオトマエナリ 【オオ、大・ト、門・ノ(生格)・チ、内、オオトノチと】、【オオ、大・ト、門・マエ、前・ナ、也・リ(分詞素)、オオトマエです】。 |
| 2-15 | つのくゐハ おゝとのにゐて | ツノクヰハ オオトノニヰテ 【ツ、津・ノ(生格)・ク、奥・ヰ、居・ハ(属格)、港の奥に住む(オオトノチ)・は】、【オオ、大・トノ、殿・ニ(与格)・ヰ、居・テ(分詞素)、大殿(現泉大津市池上曽根遺跡)に居て】、 |
| 2-16 | いくゝいお とまえにあひみ | イククイオ トマエニアヒミ 【イク、幾・ク、咋・イ(分詞素)・オ(対格)、イククイを】、【ト、門・マエ、前・ニ(与格)・ア、相・ヒ(分詞素)・ミ、見、門の前で結婚の対象として見染めて】、 |
| 2-16 | つまとなす かれヲハとのぞ | ツマトナス カレヲハトノゾ 【ツマ、妻・ト(態)・ナ、為・ス(分詞素)、妻としました】。【カ、彼・レ(分詞素)・ヲ〔雄〕・ハ(属格)・トノ、殿・ゾ(強調)、それ故、夫を殿と呼び】、 |
| 2-16 | めハまえと やモつゝきまて | メハマエト ヤモツツキマテ 【メ、女・ハ・マエ、前・ト(態)、妻は前と(呼んだのです)】、【ヤ、家・モ〔百〕・ツツ、連・キ(分詞)・マテ、迄、(当地の)百門の家迄も広がった風習でした】。 |
| 2-16 | ムよのつぎ おもたるのかみ | ムヨノツギ オモタルノカミ 【ム〔六〕ヨ、代・ノ(生格)・ツ、継・ギ(分詞素)、六代前の(ウビチニの血を)継ぐ(次代)】、【オモ、主・タ、治・ル(分詞素)・ノ(生格)・上、「主な地を統治した御上」(と呼ばれ)】、 |
| 2-17 | かしこねと ヤもおめくりて | カシコネト ヤモオメクリテ 【カ、佳・シ(分詞素)・コ、子・ネ、根・ト(態)、(周囲を喜ばす心を持つ「人の親」)と呼ばれるカシコネと】、【ヤ〔八〕モ、方・オ(対格)・メク、巡・リ(分詞素)・テ(造格)、八方を巡って】、 |
| 2-17 | たみおたす ヲうみあつみの | タミオタス ヲウミアツミノ 【タ、手・ミ、身・オ(対格)・タ、治・ス(分詞素)、配下を治めました】。【ヲ〔尊〕・ウミ、海・ア、安・ツミ、曇・ノ(生格)、現琵琶湖安曇川付近を】、 |
| 2-17 | なかはしら ひかしハやまと | ナカハシラ ヒカシハヤマト 【ナカ、中・ハシラ、柱、本拠地として】、【ヒカシ、東・ハ(属格)・ヤ、家・マ、間・ト、処、首都である】、 |
| 2-17 | ヒたかみも にしハつきすみ | ヒタカミモ ニシハツキスミ 【ヒ〔日〕・タカ、高・ミ、見・モ(例示)、ヒタカミも】、【ニシ、西・ハ(属格)・ツ、尽・キ(分詞素)・スミ、隅、九州北部の壱岐島】、 |
| 2-18 | あしはらも みなみあわそさ | アシハラモ ミナミアワソサ 【アシ、葦・ハラ、原・モ(例示)、現中国・近畿地方・も】、【ミナミ、南・アワ、淡・ソ、曽・サ、南、南は淡路島から熊野(現泉大津市)】、 |
| 2-18 | きたハねの やまとほそほこ | キタハネノ ヤマトホソホコ 【キタ、北・ハ(属格)・ネ、峰・ノ(生格)、北は峰の】、【ヤマ、山・ト(並立)・ホソ、細・ホ、穂・コ、子、山(白山)とホソホコ(現島根)】、 |
| 2-18 | ちたるくに およベとモヨホ | チタルクニ オヨベトモヨホ 【チ、道・タ、足・ル(分詞素)・クニ、国、交通の便の良い現若狭に】、【オヨ、及・ベ(分詞素)・ト(態度)・モ〔百〕・ヨ〔世〕・ホ〔歳〕、及び・ましたが、天涯に、当代には何処にも】、 |
| 2-18 | つぎこなく みちおとろひて | ツギコナク ミチオトロヒテ 【ツギ、継・コ、子・ナ、無・ク(分詞素)、(男子の)継子が無く(女子は居る)】、【ミチ、道・オトロ、衰・ヒ(分詞素)・テ(造格)、血族は衰え】、 |
| 2-19 | わいためな ときにアめより | ワイタメナ トキニアメヨリ 【ワ、分・イ(分詞素)・タメ、別・ナ、無、わいため無く、社会が乱れました】。【トキ、時・ニ・ア〔天〕メ・ヨ、自・リ(分詞素)、そんな時・アメ(ここではオモタル)から】、 |
| 2-19 | フたかみに つほハあしはら | フタカミニ ツホハアシハラ 【フ〔二〕タ(類)・カミ、上・ニ(与格)、二尊(ナギ・ナミ)・に】、【ツホ、壷・ハ・アシ、葦・ハラ、原、葦原をツボとなるミヤとして】、 |
| 2-19 | チヰモあき いましもちひて | チヰモアキ イマシモチヒテ 【チ〔千〕ヰ〔五〕モ〔百〕、ア、空・キ(分詞素)、多くの放置されている空白の地を】、【イマ、今・シ(強調)・モチ、用・ヒ(分詞素)・テ(造格)、今(新たな耕地として)これから用いて】、 |
| 2-19 | しらせとて トとほこたまふ | シラセトテ トトホコタマフ 【シ、知、ラ(分詞)・セ(指示)・ト(態)・テ(造格)、統治しなさい・と】、【ト〔尊〕・ト(並立)・ホコ、戈・タマ、給・フ(分詞素)、国璽と戈を給わりました】。 |
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●連続訳4
オホナムチから起算し、五代前の御上は、オオトノチと、オオトマエです。
【ツ、津・ノ(生格)・ク、奥・ヰ、居・ハ(属格)、港の奥に住むツノクヰ(オオトノチ)は、大殿(現泉大津市池上曽根遺跡)に居て、イククイを、門の前で結婚の対象として見染めて、妻としました。
それ故、夫を殿と呼び、妻は前と呼んだのです。
当地の百門の家迄も広がった風習でした。
六代前の、ウビチニの血を継ぐ次代、「主な地を統治した御上」と呼ばれ、周囲を喜ばす心を持つ「人の親」と呼ばれるカシコネと、八方を巡って、配下を治めました。
現琵琶湖安曇川付近を、本拠地として、東は首都である、ヒタカミも、西は九州北部の壱岐島、現中国・近畿地方も、南は淡路島から熊野(現泉大津市)、
北は峰の、山(白山)とホソホコ(現島根)、交通の便の良い現若狭に、及びましたが、天涯に、当代には何処にも、男子の継子が無く(女子は居る)、血族は衰え、わいため無く、社会が乱れました。
そんな時・アメ(ここではオモタル)から、二尊(ナギ・ナミ)に、葦原をツボとなるミヤとして、多くの放置されている空白の地を、今、新たな耕地としてこれから用いて統治しなさい、と、国璽と戈を給わりました。
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●解説4
オホナムチから起算して、と云うのは、クシミカタマは、オホナムチの時代が、アメ族の最も、高度な統治が行われたと考えているのですが、その時代のオホナムチは「ウツシクニタマ(現し邦君)」、つまり、「この世で最高の統治者」という称号を得ていたからなのです。
オホナムチは、物部氏の分裂を避けるため、出雲(いずも)の統治権を差し出しましたが、その徳によって、日本列島(及び島嶼部)すべての統治権を得ているのです。
また、当然の帰結として、クシミカタマはオホナムチ以降の人ということになります。
さて、ここで、オオトノチというのが偉い大名だ、と思ってしまいがちですが、深窓の令嬢ならぬ、箱入り皇子ということになります。
そして、イククイは、幾つもの分家(ぶんけ)を従え持った女当主というのが正しい読み方になります。
実際には、分家では無く、新ミヤ(にいみや)と云うものかもしれません。(つまり、家族が増えて御家は大きくなっただけで、戸主は一人)
ホツマツタヱの表面しか読んでいない人は、アマテルこそが尊い立場にあると誤解してしまいます。
良く読み込むと、イサナギの遺言などにも、アマテルの至らなさが記されています。
つまり、アマテルは比較的上手に統治をしていましたが、物部氏に関していえば、常に後手にまわっていたと言えるのです。
この件に不満のある方は、もう一度、私の文法に従って全編を読み直していただきたいと思います。
改竄者Xでさえ、一番優れていたのはオホナムチだ、と解っていたようで、オホナムチをさらに神格化する改竄を加えていたのです。
つまり、当時の主権者である「トミ」達も皆、一番強力な統治をしたのはオモタル、カシコネの時代であるが、その結果は良く無く、自らの後継者まで刈り取ってしまっていたのです。
御家の存続を狙った、継承者である、イサナギ、イサナミは、強権に依る統治ではなく、それぞれのオノコロ(自治体)の実力を高めるため、トミ・タミの家族が自分たちの生活に意義を見出すように誘導していき、単純再生産と社会の平安こそが国力となることを説いて廻ったのです。
さて、ホツマツタヱに関するご意見ご要望、いちゃもん、文句、NGのあるかたは掲示板のほうに書いていただければ、うちのトが対応します。
http://hot-uma.bbs.fc2.com/