ニット服の収納はたたむ派?掛ける派?
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たたみます、掛けたら伸びそうなので…
で、きょうのお昼は…
この組み合わせは最強ですね、炭水化物祭りと言わないでください。
さて、城といえば…
これは昨年行った彦根城です。
で、ヨーロッパの城といえば…
画像はhttps://rekishi.kagawa5.jp/594-%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91-%E4%B8%AD%E4%B8%96%E3%81%AE%E5%9F%8E/%E8%A5%BF%E6%B4%8B/より
さらに中国の城といえば…
画像は
より
この中国の城とヨーロッパの城が戦った戦があったのをご存じでしょうか…
ときは1652年–1689年ですから日本では4代徳川家綱から5代徳川綱吉ころ、場所は
アムール川の所(図の×)
清露国境紛争(アルバジン戦争)
ロシア(帝政)がアムール川周辺に侵入し砦を造ったのですが、これが木製のため清軍の大砲で崩れさ一度は撤退したものの懲りずにまたやって来て建てたのが
図はОсада Албазина (1686) — Википедияより「アルバジン砦を攻撃する清軍(1685年)」
ヨーロッパで火砲に対抗するために考えだされた稜堡式城郭というやつ。
清軍も城を造り戦ったのですが、前回の木製の砦のように簡単には落ちず兵糧戦の末両軍に多大な損害を出したが落ちなかった(落ちたという説も)というもの。
和平が結ばれその後のネルチンスク条約(中: 尼布楚條約、露: Нерчинский договор)で両国の国境が決まりました。
しかし、ロシアって日本の4代将軍のころには日本海までもう少しの所まで来ていたんですね。