昨日の雨が上がり、天気予報通り寒くなりました。外は15度くらい上着がないと寒いです。
私は土日祝は自炊(といっても大半は惣菜買ってくるだけ)して家で食べるのですが、なんかきょうはなんもする気がしない。
まあ、スーパー行ってくるかと出掛けると、「うん」…
牛タン弁当。まさにおうちで食べただけのご飯。
さて、ちょいとリクエストがありましたのでタイに駐在していた日本人奥さんの話を…
私の時代500バーツ札が出始めたのですが市中で見ることはまだ少なかったのですが…、バンコク・フジスーパーちらし | DACO CO., LTD.に行くと運転手付きの車で乗り付けた奥さん方が500バーツ札をバンバン使っている光景をよく目にしました。
まず最初にすべての奥さんではなく極一部(もう少しいたかな)、勤めている会社で待遇は違う、そして三十数年前、「失われた三十年」の前の話だということをことわっておきます。
タイや東南アジアが好きという奥さんは問題ないのですが、「ええっ、タイ。アメリカやヨーロッパじゃないの」という人が…
まあ、そう言っても旦那さんとタイにやって来る(それもビジネスクラスで)わけですが…
当時のタイの物価水準は日本の7分の1といわれていましたし。旦那さんの給料に日本では付かない海外赴任手当のようなものも付く(これけっこう付いたみたいで本給の4分の1くらいあったと聞きました)。
さらにコンドミニアムっていうんですか、プール、ジム、警備員付き、お邪魔したことあるんですがそこは3LDKなんですが、そのLに日本の3LDKがすっぽり入るようなでかさ。そして家賃は会社持ち。
なぜそうなるかといえば安全のため。私が住んでいた比較的治安がよいとされたスクムビットですら夜な夜な拳銃の音がしていましたから。
で、家とともに自動車も会社持ちで、それも運転手付き。これもなぜかといえばBTS(高架鉄道)やMRT(地下鉄)がない当時のタイの交通事情は最悪。そんななかで事故に遭ったりしたらとんでもないことになりますから。
そしてもう1つ付けられるのが医療。もし、病気になっても日本語ができるスタッフがいる病院と会社が契約していて費用はもちろん会社持ち。それにこれは記憶違いかもしれませんが、日本にいないので給料から健康保険が引かれなかった…、と。
「ええっ、タイ」と言っていた奥さんもこれには…
が…
数年そのような生活の後日本に戻ると…
1分の1の物価、2Kのアパート(これは人様々ですが平均的にみれば)に家賃を払い、車は当時都内なら駐車場代だけで月5万円。もちろん赴任手当もなく、健康保険も天引き、それに「失われた三十年」は始まり出すし…
このギャップに精神が…してしまったお奥さんが多くいると(なぜか旦那さんは大丈夫なんですが)…
いまはもうない…でしょうけど。