最近はなんでもかんでも日本遺産を目指しますが、これは良いんじゃない…
以下、奈良新聞より転載
「橿原市と宮崎市・神武東征で日本遺産認定目指す(https://www.nara-np.co.jp/news/20180406085419.html)
初代の神武天皇による縁で姉妹都市盟約を結んでいる橿原市と宮崎市は、その「神武東征神話」にまつわるストーリーを日本遺産に申請しようと準備を進めている。同神話ゆかりの自治体と連携して認定を目指し、広域での活性化につなげたい考えだ。
神武東征は、神武天皇が九州の日向(宮崎県)から東に向けて出発し、大和の橿原宮(橿原市)で即位するまでを描いた、古事記や日本書紀に登場する国家草創の神話。
橿原市によると、宮崎市とともにこの神武東征神話のストーリで、日本遺産に申請する計画を立てている。神話にゆかりがある西日本の約20市町村と連携を図りたい考えで、県内では東吉野村や宇陀市、桜井市に参画を呼び掛ける。早ければ平成31年、遅くとも32年までの認定を目指す。
橿原市は「神武天皇の実在性に捉われず、古事記や日本書紀に記されたストーリーで関係市町村と連携し、活性化につなげたい」と話す。
日本遺産は地域の歴史や文化にまつわるストーリーを文化庁が認定する制度。平成27年度に創設された。
橿原市が関係するものでは「日本国創成のとき~飛鳥を翔(かけ)た女性たち~」と「1400年に渡る悠久の歴史を伝える『最古の国道』~竹内街道・横大路(大道)~」が、既に認定を受けている。
以上、転載終わり
神武天皇です…
神話の世界で実在は…、とかいわれていますが…
また、神武から崇神までは1人だとか…、史学界ではいわれてますが…
私的には応神までの15代がそうではないかと考えています。
なぜなら天皇の名で「神」が使われているのはこの3人…、と天皇ではありませんが神功皇后のみ…
その神功皇后は応神天皇の母ですので、これはなにかあるでしょう…
さて、神武東征の中で…、私が注目しているのが…
日下草加…
いまの大阪・東大阪市日下のことです。
河内国草香邑と孔舎衛坂
読みはどちらも「くさか」。
日本書紀に出てきます。
三月丁卯朔丙子遡流而上径至河内国草香邑青雲白肩之津
夏四月丙申朔甲辰皇師勒兵歩趣竜田而其路狭嶮人不得並行乃還更欲東踰胆駒山而入中洲時長髄彦聞之曰夫天神子等所以来者必将奪我国則尽起属兵徼之於孔舍衛坂与之会戦有流矢中五瀬命肱脛皇師不能進戦天皇憂之乃運神策於沖衿曰今我是日神子孫而向日征虜此逆天道也不若退還示弱礼祭神祇背負日神之威随影圧躡如此則曾不血刃虜必自敗矣僉曰然於是令軍中曰且停勿復進乃引軍還虜亦不敢逼却至草香津植盾而為雄誥此云烏多鶏縻因改号其津曰盾津今云蓼津訛也初孔舍衛之戦有人隠於大樹而得兔難仍指其樹曰恩如母時人因号其地曰母木邑今云飫悶廼奇訛也
三月十日、川をさかのぼって、河内国草香村の青雲の白肩津に着いた。
夏四月九日に、皇軍は兵を整え、歩いて竜田に向った。その道は狭くけわしくて、人が並んで行くことができなかった。そこで引返して、さらに東の方生駒山を越えて内つ国に入ろうとした。そのときに長髄彦がそれを聞き、「天神の子がやってくるわけは、きっとわが国を奪おうとするのだろう」といって、全軍を率いて孔舎衛坂で戦った。流れ矢が当たって五瀬命の肘脛に当たった。天皇の軍は進むことができなかった。天皇はこれを憂えて、はかりごとをめぐらされた。
神武東征のところです。
で…
日本国者倭国之別種也。以其国在日辺、故以日本為名。或曰、倭国自悪其名不雅、改為日本。或云、日本舊小国、併倭国之地。
日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。あるいはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となすと。あるいはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたりと。
旧唐書 巻199上 東夷伝 日本国の条
いかがですか…
日下…「ひのもと」です。
「ひのもと」…、「日本」です。
日本書紀、旧唐書の記述通りなら紀元前660年の神武天皇即位の前に「日本」という名があったことになります…