聖墳墓教会は行ったことがあります…
以下、Cпутникより転載
キリストの墓の年代が特定される(https://jp.sputniknews.com/culture/201711304327147/)
エルサレムの聖墳墓教会にあるイエス・キリストの墓とされている石墓が、実際にローマ皇帝初のキリスト教徒コンスタンティヌス1世の時代につくられたことがわかった。ナショナル ジオグラフィック誌が伝えた。
スプートニク日本
中世の記録によると、キリストの墓はキリスト教を公認したコンスタンティヌス1世の母親、聖ヘレナ皇后によって西暦4世紀に発見された。墓は1700年の間に数回修理、建て直された。
ナショナル ジオグラフィック誌によると、墓の年代測定のために基盤部分と、2016年に見つかった大理石の板の複数の断片が採取された。
科学分析の結果、墓はコンスタンティヌス1世とその息子たちコンスタンティヌス2世ならびにコンスタンティウス2世が統治していたおよそ西暦345年につくられたことがわかった。
これについて考古学者たちは、墓が実際にコンスタンティヌス1世とその母親ヘレナによってつくられた可能性があることを裏付ける重要な論拠であるとの見方を示している。
以上、転載終わり
詳しくはこちら、National Geographic(https://news.nationalgeographic.com/2017/11/jesus-tomb-archaeology-jerusalem-christianity-rome/)
西暦345年ですか…、日本では仁徳天皇の頃ですね。
で…
コンスタンティヌス1世 ガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌス(古典ラテン語:Gaius Flavius Valerius Constantinus ガーイウス・フラーウィウス・ウァレリウス・コーンスタンティーヌス、272年2月27日 - 337年5月22日)は、ローマ帝国の皇帝(在位:306年 - 337年)。帝国を再統一し、専制君主制を発展させたことから「大帝」と称される。
ミラノ勅令を発布したことでキリスト教を公認、その後の発展の政治的社会的基盤を用意したことから、正教会、東方諸教会、東方典礼カトリック教会では、聖人とされている。記憶日は、その母太后聖ヘレナと共に6月3日。日本正教会では正式には「亜使徒聖大帝コンスタンティン」と呼称される。(Wikipedia)
キリスト教を公認した皇帝、教科書にでていましたね。
この方のお母さん、聖ヘレナ皇后がすごい…、聖釘と十字架、そして脇腹を刺した槍を見つけた方…
現在行われている聖体礼儀(ミサ、聖餐式)は4世紀に始まっていますので、このころ盛り上がりというか形が出来たというか…、そういう時代だったんですね。