崇神天皇陵を研究者が立ち入り調査 | andrewさんのブログ

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崇神天皇陵の調査ですか、まあ、本当にそうかは分かりませんが…

 

以下、奈良新聞(http://www.nara-np.co.jp/)より転載

 

崇神天皇陵を研究者が立ち入り調査

 

宮内庁が崇神天皇陵として管理する天理市柳本町の行燈(あんどん)山古墳(4世紀前半ごろ)を日、日本考古学協会など考古・歴史学関係団体の研究者が立ち入り調査した。


陵墓は天皇や皇族の墓として立ち入りが制限されているが、同庁は研究者団体からの要望を受け、平成20年から外部の研究者を対象に公開を実施。同古墳で10回13カ所目、県内では7カ所目となる。


同古墳は柳本古墳群に位置する墳丘全長約242メートルの前方後円墳。古代の道路「山辺の道」沿いにあり、宮内庁が「崇神天皇山辺道勾岡上陵(まがりのおかのえのみささぎ)」に治定している。


幕末の周濠改修時に、「内行花文」の文様が描かれた銅板が出土。同庁が昭和49、50年に行った墳丘の発掘調査では円筒埴輪や「布留式」と呼ばれる土器などが見つかっている。


この日は15団体16人の研究者が南側周濠の渡堤から古墳内に立ち入り、3段築成の墳丘の周囲を約1時間半かけて踏査した。


参加した日本考古学協会理事の杉井健熊本大学准教授によると、南側と比べ北側の墳丘は残存状態が良かった。多数の葺(ふ)き石が確認され、墳丘全体に葺かれていた可能性が高いという。ただ土器や埴輪片などは確認できなかった。


杉井健准教授は「墳丘の段の平たん面がどう回っているかを知るため、今後、観察結果を精査したい。中に入って観察しないと分からないことなので、重要な知見が得られた」としている。

 

以上、転載終わり

 

崇神天皇といえば神武天皇と同一人物といわれている天皇。

 

私的には応神天皇も入れたいところ。

 

なぜなら天皇のなかで「神」の文字を持つのはこの3人と天皇ではありませんが応神天皇の母の神功皇后のみ。

 

で、神功皇后といえば「三韓征伐」実際は新羅征伐でしたが(三韓とは馬韓、弁韓、辰韓の説もあり)、その新羅征伐から九州に戻ったときに産まれたのが応神天皇。

 

なんか意味深いと思いません…