中国の軍事パレードに出席した国連の潘基文事務総長にいちゃもんつけた日本、そしたら…
以下、チャイナネットより転載
日本は国連が何かを知っているのか(http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2015-09/09/content_36542727.htm
)
国連の潘基文事務総長は国連を代表し、9月3日に北京で行われた中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年の記念式典に出席した。日本政府の高官はこれに対し、根拠を欠いた批判や非難、抗議を繰り返した。これは、第2次大戦や国連、戦後の国際秩序に対する日本の一部の人の道理を欠いた態度や無知を示している。
日本は、潘基文事務総長の訪中と記念式典出席に不満を示した唯一の国家である。このことはまた、日本のバランスを欠いた間違った態度をも反映している。日本は近年、常任理事国入りに向けた努力を進めている。だが国連の性質や使命に対してさえ正しい理解と態度を欠いているならば、常任理事国入りの目論みは天下の笑いを誘うものと言わざるを得ない。
国連は、第2次大戦の勝利の成果・体現であり、戦後国際秩序の基礎である。中国は、抗日戦争の勝利のために巨大な犠牲を払い、世界の反ファシズム戦争勝利に大きく貢献した。日本の指導者が記念式典に欠席したことが、歴史の反省と再生の実現の絶好のチャンスを逃したことを意味するならば、国連事務総長の記念式典出席を日本が非難したことは、第2次大戦がいかに発生しいかに終結したか、国連の目的や原則、使命は何か、戦後70年の国際平和と安全秩序はいかなるものなのかに対し、日本が正しい認識と道理を欠いていることを示している。
国連事務総長は国連行政のトップであり、その職責は、国連の理想と信念を実践し、国連の宗旨と原則を実施し、国連の価値観と道徳的権威を守ることにある。潘基文事務総長の記念式典出席は、平和と正義のためであり、その職責を履行するためである。
第2次大戦の終結から70年が経過した。だが敗戦国たる日本は、同じく敗戦国たるドイツのようにその教訓を深く認識することなく、第2次大戦の歴史問題において人類の良知と世界の公理への挑戦を繰り返している。潘基文事務総長が閲兵式を含む記念式典に参加したのは、国際社会が歴史の教訓を汲み取り、明るい未来を作り出すことができるようにするためである。勝利を記念し、再度の戦いを防ぎ、未来を切り開くという重大な原則的問題を前に、潘基文事務総長は平和と正義、公平を選び、「中立」を選ぶことはなかった。
長期にわたって世界第2の経済国であった日本は、国連の分担金と平和維持費の負担率は世界第2となっている。日本はこれに基づき、常任理事国入りを要求している。だが分担金や平和維持費の拠出は加盟国が関連原則に基づいて行う義務である。さらに日本の負担率は低下の一途をたどっており、今後3年(2016-2018年)で10%を割り込むものとみられている。
さらに重要で日本が理解すべきなのは、安全保障理事会には、歴史と時代によって特別な責任が与えられており、安保理常任理事国は、国際社会に対して政治的な責任と負担を引き受け、平和と安全を守る責任と能力を持ち、人類の良知と国際公理の上で模範とならなければならないということである。もしも日本が、国連の性質と使命に対して基本的な理解さえなく、国連の目的と原則を認めず、国連事務総長の仕事と職責に正しい態度を持たないならば、日本の常任理事国入りはお伽話にしかならないだろう。(文:張貴洪・復旦大学国連研究センター執行主任、上海国連研究会秘書長)
以上、転載終わり
論拠的におかしいところはありますが、国連(国際連合=United Nations)はそういうところ…
この記事の見出し「日本は国連が何かを知っているのか」はなかなか的を得ているのは…
前の大戦で日本は「枢軸国=Axis Powers」として戦いましたが、その相手米、英、中(中華民国)は「連合国(United Nations)」
これだけでも分かるというもの。
日本が「安保理常任理事国」入りを狙うのは、まさに一発逆転…
しかし、記事にもあるように「平和と安全を守る責任と能力」を持たねばならないもの事実。
平安(安保)法案、そういう意味もあるの…、かも。