「軍師官兵衛」…茶々 | andrewさんのブログ

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いや~、秀吉の色ぼけ、欲ぼけいいですね~、とくに茶々への執心ぶり母がだめなら娘を…、私もやってみた~い(←おいっ、おっさん)


で、その茶々ですが豊臣家をつぶしたのは間違いなしに茶々。


徳川家康が実権を握った後も意地といっていいのか我を張って…


私、、徳川家康は豊臣家をつぶす気はなかった…、と考えています。


豊臣家、利用価値大だからです。


徳川幕府、絶対権力ですが「大政奉還」で分かるように形として「朝廷」から「政治(まつりごと)」をお預かりしている、という格好。


征夷大将軍も朝廷の任命ですから…(じつはこの征夷大将軍は「令外官」なのですがこれはまた)


まあ、幕府と朝廷は微妙な力関係の上になっていた…、といってもいいのでは…


ですから、鳥羽伏見で錦旗が出てきたら総崩れ…、なんてことに


で豊臣家、豊臣は関白「関(あずか)り白(もう)す」ですから、これを世襲すれば…


征夷大将軍と関白、もちろん関白の方が位は上、でも豊臣が徳川宗家の家臣になれば…


ほんらいなら朝廷に「奏請」するところを「そうせい」(ここ笑うところです)ですむのですから…


もし、豊臣家が滅びず徳川の家臣として関白を世襲していたら…、東京はいまでも江戸…、だったりして。


前置き長くなりました茶々です。


浅井長政の娘、 母は織田信長の妹・市、織田信長の姪です。


生まれは永禄12年(1569年)、そして大坂の陣、慶長20年5月8日(1615年6月4日)で亡くなっています。


が、生まれよく分かっていなくて永禄9年(1566年)説もあります。


これは江戸時代に書かれた「翁草」に、茶々が大坂の陣で死亡した時49歳だったと記されいるからで、そして母の市が長政に嫁いだのが永禄10年頃とされているので…


信長の娘説まであります。


信長ですが「うつけ」とか「たわけ」といわれていますが、その「たわけ」…


「上通下通婚(おやこたはけ)」が元になっています、意味は…、「親兄弟と××」する人。


まあ、信長と市は従兄弟という説もありますので…


しかし、、浅井三姉妹


長女が茶々、次女が初、三女が江…


江は近江の江か江州の江…


じゃ、なんで次女が初…?


あれれっ、官兵衛の話が…