先日発表された奈良・明日香村の都塚古墳、蘇我稲目の墓…?、と話題に。
説明会には多くに人が詰め掛けたようです、奈良新聞に
蘇我氏の夢 眠る地? - 被葬者に諸説「都塚」
という記事が掲載されました。
以下、引用
石積みでピラミッドのような形の大型方墳と判明した明日香村阪田、祝戸の都塚古墳(6世紀後半)。被葬者をめぐり、蘇我馬子の父、稲目(570年没)の名が取り沙汰されている。16日の現地説明会には約4100人が詰め掛け、関心の高さを見せつけた。ただ、研究者の間では慎重論も根強い。稲目はどんな人物だったのか。
日本書紀は536年、蘇我稲目が大臣(おおおみ)に就任したことを伝える。蘇我氏が政治の表舞台に躍り出た瞬間だ…
以上、引用終わり
詳しくはこちら、奈良新聞(http://www.nara-np.co.jp/20140818093054.html
)
さて、稲目の墓…、かどうかはいまだ不明です。
歴史研究家のアンドレ氏(←おいっ、おっさんのことやないけ!)によると…
蘇我氏、その象徴的な名前。そして歴史に現れるのは稲目から…
稲目の父は高麗、そして祖父は韓子。
これは高句麗から伽耶(馬韓、辰韓、弁韓)を経て日本来たことを示しているのでは…
そして蘇我氏は住み着いた地としていわれている現奈良・橿原市曽我町、この「そが」の地名を「名」とし…
稲目の頃(ひょっとしたら初代、1世の可能性も)に地歩を占め、その子に自分たちを表す象徴的な名「蘇我馬子(我れ蘇る馬の子)を付けたのでは…
と、いうことですが…、どうでしょう。